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トルコ軍機によるロシア軍機の撃墜―懸念されていた事態の発生は何をもたらすか

六辻彰二国際政治学者
(写真:ロイター/アフロ)

11月24日、トルコ政府は「シリアとの国境付近でトルコ領内を飛行していたロシア軍機を撃墜した」と発表しました。トルコ政府によると、事前の警告にもかかわらずロシア軍機が飛行を続けたため撃墜したといいます。

これに対して、ロシア政府は撃墜の事実を認めたものの、「飛行していたのはシリア領だった」と反論。ロシア軍によると、撃墜されたロシア軍機は、シリア領内に墜落したといいます。

トルコは国民のほとんどがムスリムですが、北大西洋条約機構(NATO)加盟国で、安全保障上は西側の一国です。冷戦中、トルコにはソ連を念頭に置いた米軍のミサイルが配備されていました。したがって、その両国の間で発生した今回の事案は、両国間の緊張だけにとどまらない、大きな影響を及ぼす可能性をはらんでいます。

しかし、このような事態が発生する懸念は、以前からありました。それにもかかわらず、発生してしまった今回の事案は、どんな影響をもたらすのでしょうか。

トルコとロシアの間にある因縁

トルコとロシアは、いずれも「イスラーム国」(IS)を敵としています。昔からある、「敵の敵は味方」の論理でいえば、ISの封じ込めにメリットを見出すという意味で、両国は同一戦線に属します

ただし、トルコとロシアの間には深い因縁があり、「IS対策」の一点で共通したとしても、それだけで一枚岩になれる関係でもありません

両者の確執は、18世紀頃に本格化しました。当時、軍事、経済の両面で近代化を進めていたロシア帝国は、一年中凍らない港、いわゆる不凍港を求めて南下し、黒海沿岸のオスマン帝国とたびたび衝突を重ねるようになったのです。一方、16世紀にはヨーロッパ諸国と互角に戦ったオスマン帝国は、近代化に出遅れ、ロシアとの戦争で相次いで敗れ、領土を失っていきました。1853年に発生したクリミア戦争や、1914年からの第一次世界大戦でも、オスマン帝国はロシアと対立する陣営に属していました。

両国の対立は、ロシア帝国後にソ連が成立し、第二次世界大戦後に冷戦が本格化した後も、基本的に継続しました。ソ連からみてトルコは地中海の出口に位置する要衝に位置するため、米国はトルコをNATO加盟国に加え、軍事、民生の両面で支援し続けたのです。この米国のトルコに対する積極的な姿勢は―最近はその話題をほとんど聞かなくなりましたが―冷戦終結後にEUが設立されるやトルコがこれに加盟を求めたのに対して、ヨーロッパ諸国が冷淡といってよい態度を示し続けたことと比べると、対照的でした。

トルコとロシアの対立は、「国をもたない世界最大の少数民族」クルド人を巻き込んだものにもなってきました。トルコでは、イラクやイランなどと同様、少数民族のクルド人が独立を求めてきましたが、トルコ政府は近隣諸国の政府と同様、これを拒否してきました。この環境のもとで、ソ連はトルコ国内のクルド人にアプローチして「クルド労働者党」(PKK)を支援し、その方針はソ連崩壊後の現在に至るまで、ロシアによって引き継がれています。これに対して、トルコ政府はPKKをテロ組織として鎮圧し、他方でソ連/ロシアのジュニア・パートナーであるシリアのアサド政権とも対立してきたのです。

これに対して、現在のシリア領内で独立を求めるクルド人勢力を西側先進国は支援してきましたが、他方でPKKに関しては「テロ組織」と位置付けています。ここに、当該国政府との関係次第で、いわゆる「国際世論」から「テロリスト」と「解放の戦士」のいずれで呼ばれるかの境目を見出すことができます。ともあれ、クルド人の運動が国境を超えて活性化することを恐れるトルコは、後述するように、欧米諸国なかでも米国がシリアのクルド人勢力を支援することへも警戒感を隠していません。それに加えて、現在のエルドアン政権のもとでトルコがイスラーム色を強め、さらにクルド人などへの取り締まりが強まるなか、トルコと米国の間でも外交上の摩擦はたびたび表面化しており、この関係もかつてほど良好とはいえません。

「共通の敵」ISの台頭がもたらした「裏目」

このようななか、2014年6月にシリア東部からイラク北部にまたがる領域で、ISは「独立」を宣言しました。欧米諸国や湾岸諸国と同様、トルコとロシアにとっても、既存の国境線を否定するISは「共通の敵」です。実際、トルコは米国主導の有志連合の一国として今年7月から、ロシアは独自に9月から、それぞれシリアで空爆を行っています。少なくとも、対ISという一点において、両国は同一の陣営に属するといえます。

ただし、例え「共通の敵」があったとしても、それまでの対立や相互不信が一朝一夕に解消されるはずもなく、特にロシア軍による空爆開始以後、トルコとロシアの緊張は高まっていました

ロシア軍が空爆を開始して一週間もたたない10月5日、トルコ政府はシリアで活動するロシア軍機がトルコ領空を侵犯したと発表。この際、トルコ軍機がスクランブルで出動してロシア軍機を領空の外へ追い出し、トルコ政府はロシア大使を呼んで厳重に抗議しました。これに対して、ロシア政府は「悪天候のため」と釈明。しかし、翌日にはロシア軍機が再びトルコ領空を一方的に通過するなどしたため、トルコだけでなくNATOからもロシアを非難する声明が出されました。

ISが「共通の敵」であったとしても、これまでの経緯に加えて、現在のシリア情勢をめぐっても、トルコとロシアの間で利害が一致するとは限りません。特に、アサド政権の処遇は両国間で折り合いがつきにくい点です。ロシアが一貫してシリア政府を擁護してきたのに対して、トルコ政府は「シリア内戦を終結させるためには幅広い勢力を含む政権を樹立する必要がある」という主張のもと、欧米諸国とともに、アサド政権の退陣を求めてきました。ロシアによる空爆がISだけでなく、世俗的な反アサド勢力もその対象となっていることは、いわば「どさくさに紛れて」アサド政権に有利な既成事実を作り出すためとみられますが、これもトルコにとっては受け入れ難いものです。

さらに、トルコはロシアがPKKを通じてシリアのクルド人勢力である民主統一党(PYD)を支援しているとみており、これに関しても10月13日にロシア大使を呼んで警告しています。この際、米国大使も同様の主旨でトルコ政府に呼び出され、やはり警告されたことは、事態の複雑さを象徴します。

くどいようですが、既存の国境を否定するISの台頭は、各国にとって受け入れ難いもので、「共通の敵」の登場に他なりませんでした。しかし、少なくとも結果的には、IS以外の部分での各国の利害の不一致が図らずもあぶり出され、これがむしろ事態を深刻化させているといえるでしょう。これは、所与の状況の下で、少しでも自らの利得を多くしようとする人間の本性が現れたものといえるかもしれません。いずれにせよ、既に生まれていたトルコとロシアの緊張関係に鑑みれば、今回の事案はいずれ発生することが懸念されていた事態だったことは確かです。

エスカレーションは起こるか

今回の事案が、既に高まっていたトルコ‐ロシア間の緊張を高める効果があることには、恐らく異論はないでしょう。トルコのエルドアン政権、ロシアのプーチン政権のいずれもが、国内の反対派に対して高圧的に臨み、他方で国家主義的な外交で多くの国民のフラストレーションを解消させてきた側面に鑑みれば、両国間の緊張がさらに高まる危険性は大きいといえるでしょう。また、米国で広がるロシアへの反感や不信感に目を向ければ、この事案がトルコとロシアの間だけでなく、トルコがその一角を占めるNATOあるいは有志連合とロシアとの間の緊張をも高めることは、容易に想像されます。

ただし、その一方で、当事国のいずれにとっても、直接衝突を避けることは共通の利益です。いくらなんでもトルコがロシアと軍事的に正面から衝突することは不可能ですし、米国にしてもシリア問題に端を発して、トルコに引きずられてロシアと正面衝突という事態は、割のいい話ではありません。他方、強面外交が身上のプーチン大統領も、押しの一手だけでは、偶発的な事故を引き金に、本当に米国と正面衝突しかねません。この観点からすれば、先述の10月5日のトルコ領空の国境侵犯をきっかけに、「事故防止」のために、シリア空爆に関して米ロが調整に着手したことは、不思議ではありません。

とはいえ、今回の事案は、シリア情勢を取り巻く国際環境をより複雑化させるものとみられます。折しも、11月13日のパリ同時テロ事件を受けて、フランスのオランド大統領がオバマ大統領プーチン大統領それぞれと会談し、IS封じ込めのための大包囲網形成に動き始めていた矢先でした。フランス政府はこれをテコに、自らがグローバルなIS対策の主導権を握ろうとしているといえますが、いずれにせよ今回の事案は、こうした動きを逆行させるエネルギーをはらんでいます。もし、トルコとロシアの両国政府が、その国家主義的な外交がもたらす国内の支持を優先させるなら、この連携の模索は泡と消える可能性すらあります

ただし、繰り返して述べたように、IS対策そのものは各国にとって共通の利益であり、さらに各国は直接衝突を避けなければなりません。その一方で、各国政府なかでもトルコとロシアは「一歩も引かない」ことに、主に国内的な利益があります。この状況下でIS対策をめぐる連携が模索されていることは、トルコとロシアにしてみれば、「IS対策ための交渉の場でこの問題を大げさに扱わない」ことが、他国なかでもフランスと米国に対する「貸し」となります。それは、IS対策をめぐる交渉の場における力関係に、微妙であっても確かな影響を及ぼすことになるといえるでしょう。

つまり、もしトルコとロシアの両政府が、国内向けのアピールとは別に、外交・安全保障上の実利を優先させるなら、今回の事案が必然的に当事国同士の正面衝突に至るという可能性は極小化されるとみられます。IS対策が「裏目」に出たことは確かとしても、その状況をさらに悪化させないために、米仏をはじめとする各国は働きかけを強めざるを得ない状況にあることに鑑みれば、むしろこちらの実現可能性の方が高いとみられます。

ただし、その場合でも、延び延びになっていたシリア空爆をめぐる米ロ間の調整など、これ以上の偶発的な衝突を回避する必要性があることは論を待ちません。そうでなければ、さらなるエスカレーションが進むことは避けられないとみられるのです。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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