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エジプトにおける「革命」と「暴動」の岐路について

六辻彰二国際政治学者

エジプトでの騒乱

1月25日、エジプトを30年以上に渡って支配したムバラク政権に、市民が抗議運動を始めてから丸2年が経ちました。しかし、エジプトでは再び、政情が不安定化しており、革命から2周年の前日1月24日から30日までの間に、反政府派と政府支持派および警察との間の衝突で、全土で54名の死者が出ています。

直接的な契機は、1月24日首都カイロのタハリール広場に政府を批判する若者や野党支持者が集まり、警官との衝突に発展したことです。この前日23日、既に行われていた新憲法の承認をめぐる国民投票の結果が、ムルシ政権が提示した憲法草案に「賛成」が過半数を超えたことを、非公式ながら与野党ともに確認しました。この国民投票に対しては、以前にとりあげたように、野党から強い非難が寄せられていました。その主なポイントは、

  • 裁判所の権限を制約し、他方で大統領の権限が強化されている
  • イスラーム的価値観が色濃く反映されている
  • 草案作成の過程で野党側が充分に意見を表明する機会がなかった

この国民投票の結果に対しても、リベラル派の小政党を糾合した連合体「国民救済戦線(NSF)」は、組織的な不正があったと批判しています。これが24日の抗議集会を過熱させ、警官隊との衝突で10名が死亡する背景になりました。

騒乱の火種

ただし、今回の騒乱は、直接的に政府を批判する抗議運動の広がりという側面だけではありません。1月26日、エジプト北東部のポートサイドで、やはり地元住民が警察署を襲撃するなどして、27名以上が死亡する事態となりました。昨年2月、ポートサイドのフットボールスタジアムで開かれた、地元チーム「アルマスリ」と、カイロの「アルアハリ」の試合の後、アルマスリのサポーターがアルアハリの観客席になだれ込み、乱闘となりました。その結果、アルアハリのサポーターを中心に74名が死亡しました。ポートサイドの裁判所は今月26日、この事件にかかわったアルマスリのサポーター21名に死刑判決を下し、これに怒った地元住民らが暴徒化し、警察との衝突にいたったのです。

一見政治と無関係のこの衝突が、しかしカイロの情勢と連動することで、騒乱が広がりました。大きな背景としてあるのは、裁判所に対する不信感です。1月13日に最高裁判所に該当する破棄院が、2011年の死者を出すデモ弾圧で終身刑の判決を受けたムバラク前大統領の上訴を受理し、審理をやり直すことを決めました。これが旧政権派が多い司法府に対する、反ムバラク勢力の不満を増幅させる契機になったのです。この背景のもと、ポートサイドでの騒乱に、反政府派と政府支持派が呼応する形で参加したことで、両者の衝突は北東部一帯に広がり、ムルシ大統領は27日、ポートサイド、スエズ、イスマイリアに夜間外出禁止令を出す事態となったのです。一方で、ムルシは野党側に対話を呼びかけましたが、NSFなどは政府を信用できないとしてこれを拒否。両者の対立がエスカレートすることになりました。

ところが、30日にNSFの指導者モハメド・エルバラダイは、一転して政府に対話を求める声明を出しました。判断が急遽変更された背景には、30日までに全土で54名の死者を出すにいたるなど、衝突が一向に収まらないことがあります。国際原子力機関(IAEA)事務局長としてノーベル平和賞を受賞した経歴をもつエルバラダイですが、今回に関しては、当初政府との対話に踏み切らず、事態収拾に向かわなかった判断に、反体制派の暴徒化に対する読み違いがあったといわざるを得ないでしょう。

リードオフマンの不満

一連の騒乱が、ムバラク退陣からの延長線上にあることは確かです。エジプト政治の潮流を大きく三つに分けるとすると、

  • 第一勢力:現大統領ムルシやその母体であるムスリム同胞団、その政治ブランチである自由公正党(FJP)をはじめとする穏健派イスラーム勢力
  • 第二勢力:軍隊、ビジネス界、公務員に多い、ムバラク前大統領を支持していた勢力
  • 第三勢力:エルバラダイやNSFに代表される、世俗的あるいはリベラルで、なおかつムバラク政権に批判的だった勢力

ただし、この他にも、例えば少数派のキリスト教徒(コプト教徒)や、過激派と紙一重の急進的イスラーム勢力などもいます。また、三者はきれいに色分けされているわけでなく、例えばNSFには旧ムバラク政権関係者も含まれており、それを理由にNSFに参加しないリベラル派もいます。そのため、その区分けにはグレーな部分があることも確かです。

それを踏まえたうえで今回の一連の騒乱を眺めると、抗議活動を主に行っているのは概ね第三勢力、つまり旧ムバラク政権にも現ムルシ政権にも批判的な、世俗派、リベラル派に連なる人々といえるでしょう。彼らは、2011年2月のムバラク退陣を最初にリードした、大学生などの都市中間層を中心にしており、例えば先述の新憲法草案に関しても、政教分離の明確化や基本的人権の尊重などを強く求めていました。

その一方で、この第三勢力は、第一勢力、つまり慈善活動を通じて貧困層や農村部に根を張るムスリム同胞団やFJPほどの組織力はなく、体制転換後の選挙でも大きく勢力を伸ばすことはできませんでした。また、第二勢力、つまり旧ムバラク政権のもとでの既得権益層と異なり、所得水準も概して高くありません。政変以降、エジプト・ポンドは売りを浴びて対ドル為替相場が急速に悪化し、経常収支と財政赤字の再建に、IMFとの融資協議に入りました。ただし、今回の政情不安でこの協議も棚上げになっています。いずれにせよ、生活環境が悪化するなか、最もその影響を受けやすく、さらに将来への見通しも立ちにくいグループが、この三番目の勢力といえるでしょう。「革命」においてリードオフマンの役割を果たしながら、その恩恵から最も見放されているという社会的フラストレーションが彼らに充満しているとしても、不思議ではありません。つまり、ポートサイドのフットボールスタジアムでの事件に対する判決は、ムバラク政権の崩壊で政治的に発言する機会を得ながらその発言が政治に反映されず、さらに生活への不満が高まる第三勢力に連なる人々の怒りに火をつける火花になり、その結果「革命」を求める民主派は、政府、議会、裁判所、軍、警察といった、あらゆる既存の公共性を否定する暴徒と化したといえるでしょう。

相互不信は乗り越えられるか

「独裁者」の重石が取れた後、それまで押さえ込まれていた主張や不満が噴出し、議会や選挙を通じたその調整が困難を極めることは、稀ではありません。そして、その混乱が次の「独裁者」の誕生を促すことも、珍しくありません。

エジプトの三つの勢力間には、反目と相互不信が渦巻いています。なかでも政治的に少数派となった第三勢力の立場からすれば、「自由になった」はずなのに、政府や議会は第一勢力、軍隊や裁判所、ビジネスは第二勢力に押さえられ、自分たちの声は政治に反映されず、暮らし向きも「革命」前とほとんど変わらない。このフラストレーションが抗議デモの暴徒化を促しているとするならば、それは代表制、あるいは議会政治そのものに対する不信感をも表しているといえるでしょう。逆に、第一勢力からみれば、第三勢力は「選挙の結果を尊重しない」ものと捉えられます。

それぞれが自らの主張をぶつけ合う権利は、「独裁者」の打倒によって得られた財産といっていいでしょう。しかし、現実の政治においては、相互の協議と妥協がなければ、相手との相違ばかりが目立ち、内部の分裂が加速する一方です。先述のように、エルバラダイは当初、政府との対話を拒絶し、街頭での抗議活動を継続する方針を示しました。この判断は「ムルシ政権の権威主義化」に対する不信感を背景にしたもので、他に自らの正当性を主張するためだったといえるでしょう。しかし、24日以降の衝突からは、「革命」当初からほとんどの勢力にその傾向はあったにせよ、既に第三勢力の抗議運動が、政治的主張を訴える範囲を越えて日常的な不満を他者にぶつける部分が大きくなっていることが見て取れます。日常の不満に対する暴力的な発散が長期化すれば、それは政府をして益々苛烈な取り締まりに向かわせ、権威主義体制の再来を促しかねないばかりか、両者の対立に乗じて(現在は比較的静かな)イスラーム過激派が勢力を増す危険性すらあります。抗議活動の変質に気付くのが遅かった点において、エルバラダイやNSFの判断ミスは否めません。ただ、今後の展開にもよりますが、政府との協議が模索され始めたことは、エジプトを首の皮一枚で救ったとさえいえるかもしれません。

「議会で多数派を占める勢力が物事を決定していい。もしそれがうまくいかなかったり、不満があるなら、次の選挙で交代させればいいのだから」という割り切った感覚は、文化的に比較的均質で、政権交代と二大政党制が常態のものとしてある英米圏では一般的です。しかし、社会のなかの亀裂が顕著な社会では、少数派と多数派が頻繁に入れ替わることは困難で、英米圏のスタイルが適合する国の方が、世界的に見れば少数派とさえいえるでしょう。ヨーロッパでも、例えばフランス語圏とオランダ語圏で社会が分断されているベルギーなどの大陸諸国では、比例代表制に基づく連立政権のもと、政党間の協議が緊密に行われ、多数決で一方的に物事を決めることは避けられてきました。ところが、圧政から解放されたばかりの国では、それまでの反動で、各自の要望がほぼ満額回答で実現しなければ「民主化」の意義そのものに対する疑問が生じがちです。しかし、それがほぼ不可能であることは、言うまでもありません。必然的に、草創期の議会政治のもとでは、社会内部の異なる主張の違いを際立たせ、議会政治が機能不全に陥りがちであることは、フランス革命をはじめとする世界の革命や、独立後の開発途上国の歴史が証明しています。現代のエジプトがその轍を踏まないようにするためには、フォロワーの満足感を引き出したり、煽るだけでなく、ときにそれを納得させ、抑えるだけのリーダーシップが、全ての政治勢力に求められるといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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