Yahoo!ニュース

南アフリカでなぜストライキは拡散したか

六辻彰二国際政治学者

新興国・南アフリカを揺るがすストライキ

今年8月16日、南アフリカのマリカナでにあるイギリスの資源会社ロンミンが保有するプラチナ鉱山で、ストライキ中の労働者と警官隊が衝突し、34名が死亡しました。これは1994年に今の体制になってから、警官の発砲で発生した、最悪の犠牲者数でした。その後、ストライキは他の鉱山の労働者、さらにトラック運転手や自動車関連工場の労働者など、業種を越えて伝播してきました。

南アフリカは、サハラ以南アフリカ諸国のGDP合計の約30パーセントを占める、地域最大の経済大国。ブラジル、ロシア、インド、中国のBRICSにも正式に迎えられた、世界有数の新興国でもあります。金、白金、クロムなどの採掘量は世界一。昨今の資源ブームを追い風に、急速に成長してきました。しかし、南ア政府によると、金鉱山とプラチナ鉱山の操業停滞による損失は、10月25日までに101億ランド(約12億ドル)。また、自動車部品メーカーでのストを受け、現地に進出しているトヨタの工場も一時、無期限の生産停止に追い込まれました。一連の騒動を受けて、スタンダード&プアーズは南アフリカの格付けを、BBB+からBBBに引き下げ、南ア財務相は2013年のGDP成長率予測を、それまでの3.6パーセントから3.0パーセントに下方修正しました。

政治的安定と経済成長の内側にある社会不安の芽

今回、立て続けにストが発生した背景には、世界共通の景気後退(いわゆるリセッション)だけでなく、南アフリカ特有の事情もあります。

かつて、南アフリカでは悪名高いアパルトヘイト体制が敷かれていました。白人と非白人は、私的、公的あらゆる面で厳格に区別され、黒人は人口で圧倒的多数を占めながらも、公民権をはじめ、ほとんどの権利が剥奪されていたのです。あまりにも露骨な人種差別体制は、国連による経済制裁の対象にもなり、最終的には1994年に全人種が参加する選挙の実施と、ネルソン・マンデラ率いるアフリカ民族会議(ANC)の勝利で終結を迎えました。いろんな肌の色の人間が集まって一つの国になるという理念から、その後の南アフリカは「虹の国」と呼ばれてきました。

アパルトヘイト時代と比べて、南アフリカには大きな変化がいくつも生まれています。企業には黒人を一定の割合で従業員として雇用することが義務付けられ、黒人中間層が数多く生まれました。さらに、基幹産業である鉱物輸出が好調であることを背景に、これに関わる政府系企業やANC関係者を中心に、「ブラック・ダイヤモンド」と呼ばれる富裕層も登場しました。しかし、その一方で、公営住宅の建設などは黒人居住区が優先され、白人のなかには「プア・ホワイト」と呼ばれる貧困層も出てきています。私自身、白人のホームレスをみた時に、時代の変化を強く感じた記憶があります。

ただし、人種と所得水準がかつてほど明確に連動していないとはいえ、低所得者に黒人が多く、高・中所得者に非黒人が多いことは、アパルトヘイト時代と大きく変わりません。ジンバブエなど近隣諸国からの移民が増え、より安い賃金で働くことも、南アフリカ黒人の失業の種になっています。これに加えて、南アフリカは世界レベルでみても格差の大きい社会です。世界銀行の統計によると、2006年のジニ係数は67。格差の激しい中国の42(2005年)、ブラジルの57(2005年)などを上回る数値です。

さらに、この数年の資源ブームと、それに基づく海外直接投資の増加は、低所得者にとって必ずしも恩恵だけをもたらしたわけではありませんでした。投資の流入は物価上昇を呼び、やはり世界銀行の統計によると、昨年のインフレ率は8パーセント。世界平均が5パーセントだったことに比べも高く、これに関しては中国(8パーセント)、ブラジル(7パーセント)と同レベルです。

生活苦を声にできなかった人々

貧困と格差に対する不満が増幅したとしても不思議でない状況の下、しかし鉱山労働者たちの声が公式に表出されることは、ほとんどありませんでした。合計34名が死亡したマリカナでのケースも、労働組合が承認していない違法なストライキ(いわゆる山猫スト)であったために、警察の介入を招きました。プラチナ生産最大手のアングロ・アメリカン・プラチナムが1万2000人(10月5日)、金最大手のゴールド・フィールズが8000人(10月25日)の鉱山労働者を解雇したのも、そのストライキが違法であったことが理由でした。多くの鉱山労働者が違法ストに臨んだ大きな背景には、労働組合が彼らの要望を政府や企業に伝えて改善を求めることや、ストライキの実施に消極的だったことがあります。

1960年前後の独立運動で、その中核を担って以来、多くのアフリカ諸国では労働組合が大きな政治的発言力をもってきました。他のアフリカ諸国とは歴史的背景が違うものの、南アフリカでも反アパルトヘイト闘争でANCと共闘した労働組合は、1994年以降も政府と緊密な関係を保ってきました。しかし、政府と密接なのは労働組合だけでなく、民間企業もまたそうでした。アメリカでは政-財-軍、日本では政-官-財の「鉄の三角同盟」がありますが、南アフリカでは政-労-資(財)がトライアングルを形成しているのです。

ヨーロッパでも同様の状況があり、コーポラティズムと呼ばれます。国によって違いはありますが、戦後のヨーロッパでは総じて、三者協議のなかで労働組合が賃上げ要求をある程度抑制するかわりに、経営者団体が高い企業税に同意し、それを政府が福祉事業に回すことで、一般国民の実質所得の向上に繋がってきました。

ところが、南アフリカの場合、この三者のトライアングルは、必ずしも国民に恩恵をもたらしているとは言えません。例えば、労働組合のアンブレラ組織である南アフリカ労働組合会議(Congress of South African Trade Unions: COSATU)は、米誌Forbesによると総資産が227億ドル以上にのぼる、南アフリカ屈指の資産家で企業家のP.モツェペ(Patrice Motsepe)から資金援助を受けているといわれます。企業家から支援を受けること自体、組合の独立性を損なうもので、実際にCOSATUは、鉱山労働者の組合である全国鉱山労働者組合(National Union of Mineworkers: NUM)とともに、今回の事態を招いた責任が鉱山経営者にあると批判しながらも、彼らの自発的なストライキにも反対しています。これに対して、労働者側からは、労働組合に対する批判が公然とあがっています。

無闇にストライキを行うことは、企業だけでなく、その国の経済全体にマイナスの影響を及ぼすため、褒められたことではないかもしれません。まして、死傷者が出るような騒ぎになるとすれば、なおさらです。とは言え、生活が悪化するなかで、企業はもちろん、労働組合までもが賃上げ要求に消極的な状況が、鉱山労働者たちの怒りを爆発させ、さらに(ストライキ中の鉱山労働者の一部がナイフなどで武装していたという事情があるにせよ)警官の発砲で死者が出たことが、火に油を注ぐことになったことは間違いありません。いわば政-労-資の強固なトライアングルのもとで、「体制側」に回った労働組合に裏切られたという不信感と憤りが、生活苦による労働者たちの不満を爆発させたと言えるでしょう。その不満を共有しているからこそ、国内の地方や業種を越えて、ストライキが伝播しているのです。

南アの変化とその影響

今回の一連のストライキからは、南アフリカの政治的・経済的な変動の兆しをうかがうことができます。ANCは「反アパルトヘイト」で結集し、今の体制の基礎を作ってきただけに、所得やエスニシティにかかわらず、多くの黒人から幅広い支持を集めてきました。しかし、「白人による支配」という共通の打倒目標がなくなったいま、鉱山労働者など低所得者を支援する団体のなかには、既存の労働組合や、それと連なるANCと一線を画した政治勢力の形成を図る動きも出てきており、それがより戦闘的なストライキを主導しているといわれます。労働組合の求心力低下は、今後も同様のストライキが頻発する可能性すら示しています。

一方、ストライキの拡大を防げなかったとして、J.ズマ(Jacob Zuma)大統領に批判が集まるなか、ANC内部からは鉱山の国有化も検討すべきという声があがりはじめています。海外の投資家に警戒感を抱かせかねない意見ですから、ANCスポークスマンは「国有化はない」と強調しています。しかし、経済が政治を動かすのと同様に、政治が経済を規定することもまた確かです。世界経済が減速し、各国が自国の利益確保に向かうなかで、今後の動向は予断を許しません。

アパルトヘイト後の南アフリカは、アフリカ随一の経済大国としてだけでなく、国内の融和に努める「虹の国」としても知られてきました。しかし、一連のストライキは、政-労-資の強固なトライアングルに支えられたポスト・アパルトヘイト体制のもとで、社会のなかの亀裂は着実に深まっていることを示しており、その混乱は主に市場への鉱物供給の不安定化を通じて、ただでさえ不透明感のただよう世界経済に、深刻な負の影響をもたらしかねないのです。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)、『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)など。

六辻彰二の最近の記事