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元中日・宣銅烈がエールを送る21歳、韓国一の女子野球投手 日本での初登板は初球でまさかのアクシデント

室井昌也韓国プロ野球の伝え手/ストライク・ゾーン代表
アサヒトラスト入りの韓国の女子野球選手キム・ラギョン(写真:ストライク・ゾーン)

「天才野球少女」

韓国の多くのメディアがそのように紹介し、関心を集めた投手は今年6月、活動の拠点を日本に移した。キム・ラギョン21歳。彼女の日本での1球目はアクシデントから始まった。

16歳でW杯代表。21歳日本での第一歩は…

6月25日、キムは所属チームのアサヒトラストが埼玉西武ライオンズ・レディースと顔を合わせたオープン戦で、来日後初マウンドに上がった。

「1イニング投げる予定だったんですがとても緊張していて、投げる前にマウンドをよくならさないで1球目を投げてしまいました。そうしたら左足が滑って『プキッ』という音がして暴投。その後は投げられなくなってしまいました。だから私の日本でのここまでの記録は『初球、死球。骨折、降板』です」

診断結果は右肘の剥離骨折。キムにとってこれまで経験したことのない大きなケガだった。

「日本に行くために1年半大学に通いながら一生懸命準備してきたことが、無駄になったような気持ちになりました。言葉では表せないくらい悔しかったです」

キムは小学生の時、高校野球に打ち込む7歳年上の兄(キム・ビョングン)の姿を見て野球に興味を持った。兄はキムが12歳の時にドラフト8位(ラウンド)でハンファイーグルスに投手として入団。キムはその同時期の小学6年生から、日本のシニア、ボーイズリーグにあたる硬式野球チームに入って活動を始めた。他の選手はみな男子だった。

最速110キロを投げる女子中学生として話題になり、16歳の時に韓国代表として2016年の第7回WBSC女子野球ワールドカップに出場。韓国初めてのスーパーラウンド進出に貢献し、キムは強豪・日本戦に先発し4回を投げた。

投内連係でのキム・ラギョン(写真:ストライク・ゾーン)
投内連係でのキム・ラギョン(写真:ストライク・ゾーン)

宣銅烈が実力を認め、勧めた日本行き

韓国では女子中高生が野球をやる場は皆無。キムは高校生の時、社会人とともに女子クラブチームで野球を続けながら勉学にもいそしんだ。そして20年、キムは難関大学で知られる国立のソウル大学の体育学科に入学。同大で野球部入りし、休学して日本へとやってきた。キムと日本との縁は深い。

「14歳の時にLG杯国際女子野球大会に韓国代表として参加して、日本や他の国の選手を見て自分が『井の中の蛙』だと感じました。その時に日本の高いレベルに触れて『一緒に野球がしたい』と思いました」

「その頃、インストラクターとして来ていたソン・ドンヨル(宣銅烈、元中日など)さんが『実力があるのに韓国にいてはもったいない』と、日本の高校の留学先などを探してくれましたが、しっかり勉強をして大学に入ってから日本に行こうと思って、ようやくその時がきました」

キムが入団したアサヒトラストは07年に創部。東京・荒川区のアサヒ産業(代表取締役・三橋淳志)が運営する女子硬式野球チームだ。14年から韓国の女子野球と交流を続け、相互に招待し大会を行っている。韓国人選手を受け入れるのはキムが2人目となる。

アサヒトラストは女子チームの中で恵まれた環境にある。専用的に使用できるグラウンド、室内練習場があり、選手移動用のバスとワゴン車の計2台を所有しているのは極めて稀だ。選手の中にはアサヒ産業で働き、同社の寮で生活する者もいる。

キムの場合、平日は午前中に日本語学校に通い、現在は日中を治療とトレーニングに充て、週一回の夜間と土日にチームの活動に参加している。

トレーニング中談笑するアサヒトラストの投手陣。左から川本千絵、時田怜奈、キム・ラギョン、鈴木ちなみ、本多桜子(写真:ストライク・ゾーン)
トレーニング中談笑するアサヒトラストの投手陣。左から川本千絵、時田怜奈、キム・ラギョン、鈴木ちなみ、本多桜子(写真:ストライク・ゾーン)

「いつも一生懸命ないい子」

キムはまだボールを投げることは出来ない。リハビリメニューをこなしながら、ノックでは捕球だけを行ってきた。だが今月4日、ひじに負担をかけない範囲での打撃練習の許可が出た。キムにとって約5ヶ月ぶりの本格的なバッティングだった。

粘りの利いた下半身からの力強い振りに、大須賀康浩総監督は「なかなかあのスイングを出来る選手はいない」と声を上げた。

打撃練習をするキム・ラギョン(写真:ストライク・ゾーン)
打撃練習をするキム・ラギョン(写真:ストライク・ゾーン)

キムについてチームのキャプテン・足立凛は「いつも一生懸命でみんな刺激を受けています」と言い、4番打者の有坂友理香も「ケガの直後はショックを受けていたけど、今は出来ることを一生懸命にやっていて、人にも聞いて常に吸収しようとする姿勢があります。野球に真面目で向上心があって、すごくいい子です」と話す。

キムより10歳年上の有坂は16年のW杯日本代表の4番。当時16歳だったキムと国際舞台で対戦している。結果は3打席連続四球だった。

「(キム)ラギョンは他の韓国の選手とは違って、幼い頃から野球をやっているので球が速くてセンスがありました。実力は飛び抜けていました」(有坂)

16年W杯、韓国戦での有坂友理香(写真:女子野球ワールドカップ大会本部)
16年W杯、韓国戦での有坂友理香(写真:女子野球ワールドカップ大会本部)

韓国の女子野球発展のために

キムは自身のレベルアップのためだけに日本に来ているのではない。

「私は韓国で女子も野球が出来るようにチームを作り、支援を呼びかける活動をしてきました。今回、日本でチームに所属してみて、会社が働く場と野球が出来る環境を与えているアサヒトラストのようなチームを、韓国でも作りたいと思いました」

「そして野球をしたいと思っている女子やその親たちに、『野球を始めても大丈夫』という良い事例を作るために、私は責任感を持ってやっています」

キムには大学卒業後に手掛けたいことが明確にある。

「韓国では女子野球がオリンピックの正式種目にならない限り、国から支援を受けるのは難しい状況です。現状、一部の理解ある企業が女子野球の発展のためにバックアップしてくれているように、私自身が金銭的な支援を出来る立場になりたいです」

「女子が学校のサークル活動や、仕事をしながら野球を楽しめるような政策の実現や、インフラの整備をしたいです。そして野球だけではなく韓国と日本のスポーツと言語の交流のための団体を作って、両国をつなぐ役割をしたいと思っています」

キムは日本に来て約3か月とは思えない程、日本語を使いこなしている。思い描く未来に近づこうとする力が強い。

今もキムと連絡を取り、気にかけているソン・ドンヨルは自身のコラム(スポーツ京郷)で以下のように記した。

「私は日本球界初の韓国人選手で苦労も多かったが、選手として野球で結果を残せばよかった。しかし彼女(キム)は違う。自ら道を切り開き、未来を作ろうとしている。誇らしい韓国の若者、キム・ラギョンを応援する」

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韓国プロ野球の伝え手/ストライク・ゾーン代表

2002年から韓国プロ野球の取材を行う「韓国プロ野球の伝え手」。編著書『韓国プロ野球観戦ガイド&選手名鑑』(韓国野球委員会、韓国プロ野球選手協会承認)を04年から毎年発行し、取材成果や韓国球界とのつながりは日本の各球団や放送局でも反映されている。その活動範囲は番組出演、コーディネートと多岐に渡る。スポニチアネックスで連載、韓国では06年からスポーツ朝鮮で韓国語コラムを連載。ラジオ「室井昌也 ボクとあなたの好奇心」(FMコザ)出演中。新刊「沖縄のスーパー お買い物ガイドブック」。72年東京生まれ、日本大学芸術学部演劇学科中退。ストライク・ゾーン代表。KBOリーグ取材記者(スポーツ朝鮮所属)。

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