五輪の敵は未来の同志 巨人・阿部慎之助2軍監督を支えるヘッドコーチは元韓国代表のスラッガー
東京オリンピック(五輪)の野球競技はオールプロで構成された侍ジャパンが金メダルを獲得し、13年前に4位で終わった前回大会・北京の雪辱を果たした。
日本のプロ野球選手がオリンピックに初めて参加したのは2000年のシドニー五輪。当時の日本代表はプロアマ混成チームで挑むも、メダルを懸けた3位決定戦で韓国に敗れた。日本の最後の打者は代打で登場した中央大4年の阿部慎之助だった。
五輪の翌年にプロ入りし選手として大成功を収めた阿部慎之助は、21年の時が流れて42歳になり巨人の2軍監督を務めている。その傍らでヘッドコーチとして阿部監督を支えているのは、シドニー五輪で戦った韓国の5番に座っていたスラッガー、キム・ギテ(金杞泰、52)だ。
「シドニーの時に同じ左打者として『大学生だけどいいバッターだなぁ』と思っていました。その後、巨人のスター選手として活躍する姿も見ていましたよ」。巨人のファーム施設、読売ジャイアンツ球場でキムは当時を振り返った。
韓国KBOリーグで本塁打王(1994年)、首位打者(1997年)の輝かしい実績を残し、05年限りで現役を引退したキムは07年から研修コーチとして巨人入り。そこで阿部と再会する。後にファームの打撃コーチとなり3年間の在籍中に阿部ら巨人の面々との親交を深めた。
韓国に帰国したキムはLG、KIAで監督を務め、17年にはKIAを8年ぶりの韓国チャンピオンに導いた。そして今年から再び巨人のユニフォームに袖を通している。
「日本の若い選手たちは韓国の選手と違って、私の経歴や性格などを知りません。韓国の選手とは少し距離を感じたこともありましたが、ここ(巨人)ではそれがないのでやりやすいです。どの選手も自分の息子のように見ています。私も以前と比べたら穏やかになりました」と言って笑った。
この先東京五輪で敵とした戦った選手たちが、阿部とキムのように手を取り合うこともあるだろう。また彼らが育てた選手が代表選手として、世界の大舞台に立つ日もくるかもしれない。五輪の敵はいつの日か同志にもなる。
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