作新学院OB・落合英二コーチ(韓国サムスン) 小3の夏の鮮明なアルプススタンドの記憶
サムスンライオンズの本拠地・テグ(大邱)は韓国の中で「酷暑の地」として知られる。その地で投手コーチを務める落合英二(元中日、前千葉ロッテコーチ)は今月9日、その日からちょうど41年前の暑い夏の日のことを話してくれた。
「昭和53(1978)年、小学3年生の時に作新学院のエースだった、いとこを応援しに甲子園に行ったんです。親戚でバスを1台借りて朝に栃木を出ました。甲子園はでかい球場だなぁと思いました」
第60回大会第3日、作新学院対福井商。英二少年は一塁側のアルプススタンドから作新学院のマウンドに立つ、いとこの康志さんを見つめた。
試合は福井商が初回に3点を先制。作新学院は3回裏に1点を挙げて2点差に迫るも、7回表に2点を喫し1-5で敗れた。
「福井商のアンダースロー、板倉(利弘)さんと投げ合ったのをはっきりと覚えています。(康志さんは)かっこよかったですね。未だに親戚の集まりで会っても尊敬します」
プロで活躍するも甲子園出場経験のない落合にとって、康志さんは特別な存在。康志さんは高校を卒業すると就職し、軟式野球の強豪で活躍した。
そして41年経った今でも、落合は作新学院が敗れた試合後のアルプススタンドで、康志さんのお母さんが口にしたあるひと言が忘れられないという。
「英二、ピッチャーはやらない方がいい」
どういう意味だったのだろうか。
「今から思うとピッチャーはすべての責任を負うことになる、批判も受け入れなければいけないということでしょう」
しかし英二は父・孝さんが監督を務める少年野球チーム・下城クラブでピッチャーを任された。そして中学でもピッチャーを務めた。
「高校は県立に行こうと思っていたんですが中3のある夜、帰ってきた父に『英二、作新に決めてきたぞ』と言われました。作新に行くのは落合家の運命なんです」
甲子園に出場した、いとこの康志さんは三兄弟の三男。2人の兄も作新学院野球部の出身だ。
作新学院のユニフォーム左袖には甲子園出場回数を表す星が施されている。落合は在学中、その星を増やすことは出来なかった。しかし、赤地に白の5つ目の星は、子供の頃のアルプススタンドでの記憶として今もしっかりと刻まれている。
◇夏の大会に9年連続出場の母校について落合コーチは、「小針(崇宏)監督は高校3年間の実質2年半の中で、選手を一人前にしているのは同じ指導者としてすごいと思います」と話した。