3大会ぶりに野球実施の東京五輪まであと1年 前回北京大会の1年前はどんなだった?
開催まであと1年となった東京オリンピック(五輪)。野球は2008年の北京大会以来、3大会ぶりの実施となる。その北京五輪が行われた1年前、07年はどんな日々だっただろうか。日本と北京で金メダルを獲得した韓国の両球界の当時を振り返る。
星野ジャパンは20歳左腕を警戒
当時と今で大きく違う点に日本は次の五輪の開催国で、既に出場権を得ているということがある。12年前は11月下旬からのアジア予選に1位通過するか、翌08年3月の世界最終予選で上位3チームに入らなければ、五輪には出場出来なかった。
日本代表を率いた星野仙一監督と首脳陣はアジア予選を見据え、07年7月、韓国と台湾で視察を行った。その際、星野監督が「ハンファの左投手を見てみたい。日本にもいい評価が耳に入っている」と話したのが、当時高卒2年目で、現在はドジャースでリーグ屈指の好成績を残している左腕リュ・ヒョンジンだった。
当時のリュ・ヒョンジンはルーキーイヤーに18勝を挙げて最多勝、そして防御率、奪三振のタイトルを獲得。20歳にして韓国のエースに君臨していた。星野監督はリュ・ヒョンジンの投球を見て、「メジャーに行く前の石井一久(現・楽天GM)みたい」と評した。
しかしリュ・ヒョンジンがアジア予選、本戦と日本相手に投げることはなかった。北京五輪で日本の前に立ちはだかったのは、アジア予選の予備エントリー55人の中にすら入っていなかった投手だった。
高卒新人だったキム・グァンヒョンと田中将大
北京五輪で日本と韓国は予選と準決勝で対戦。その2試合に先発し、日本を封じたのがキム・グァンヒョン(SK)だ。リュ・ヒョンジンより1学年下のキム・グァンヒョンのプロ1年目は3勝7敗。星野監督らが視察した大会1年前の時点では、まだ先発に固定されておらず、11試合で1勝4敗という成績だった。
しかしキム・グァンヒョンはその後大きく飛躍する。その年の秋に韓国シリーズで好投し、チームは優勝。アジアシリーズでも中日打線を抑えた。そして08年に入ると快投は止まらず、一躍、韓国のエースへと躍り出た。
一方、日本では北京五輪の1年前、キム・グァンヒョンと同い年の投手が高卒1年目から活躍を見せていた。楽天の田中将大(現・ヤンキース)だ。田中は07年8月3日のソフトバンク戦で序盤に5点を与えるも、味方が逆転し9勝目を挙げている。この試合後に野村克也監督はあの有名なコメント「マー君、神の子、不思議な子」を残している。
キム・グァンヒョンと田中は北京五輪で共に代表入りを果たした。今年の高卒ルーキーも活躍次第では1年後の東京五輪のグラウンドに立つ可能性があるとこの二人は証明している。
これからの1年、悩ましい選手選考
侍ジャパンの稲葉篤紀監督は今月22日の会見で「選手を試すのは3月の強化試合で終わり。(11月の)プレミア12では勝てるチームを作る。東京五輪とプレミアで全く別のメンバーを選ぶことはない。プレミア12は五輪を見据えた土台になる」と話した。
北京大会でも日本がアジア予選から入れ替わったメンバーは5人(田中将大、和田毅、杉内俊哉、中島裕之、G.G.佐藤)に留まった。その中では和田が04年のアテネに続く2大会連続出場となり、予選の韓国戦に先発しキム・グァンヒョンと投げ合っている。
一方の韓国はアジア予選から11人を入れ替えた。その中にはイ・スンヨプ(元サムスン)、キム・ヒョンス(現・LG)ら金メダルの立役者が数多く含まれている。
五輪の選手登録は24人と少ない。現時点での信頼度と大会前の勢い、そして故障も考慮した選手選考は各チーム首脳陣を悩ませることだろう。
東京五輪に出場するのは開催国の日本を含んだ6チーム。プレミア12ではアジア・オセアニアの中から日本を除く上位1位チームと北中南米地域の上位1チームの計2チームが五輪行きを手にする。残りの3チームは来年3月に台湾で行われる五輪最終予選に望みを託す。
東京オリンピックの野球は来年7月29日に福島あづま球場でオープニングラウンドが開幕。8月8日に横浜スタジアムで決勝戦が行われる予定だ。