日本ハムOBで元ドラ1 広瀬とテルシーが球団8000号を放った後輩・清宮にエール
現役時代、日本ハムの長距離砲として名をはせ、近年では2017年に韓国・ハンファイーグルスで打撃コーチを務めた中島輝士氏(56)。
中島氏は自身が代表を務める野球用品ブランドが出展した展示会で、日本ハム時代の先輩、チームリーダーの遊撃手・広瀬哲朗氏(58)と10年ぶりに再会した。二人は旧交を温め、そしてドラフト1位つながりの後輩、清宮幸太郎(20)にエールを送った。
中島氏は1988年にプリンスホテルからドラフト1位で日本ハムに入団。広瀬氏はその3年前に同じくドラフト1位で本田技研(現ホンダ)から日本ハム入りし共に戦った。
広瀬氏は現在、「体育指導のスタートライン」の顧問・コーチングアドバイザーとして、都内の教室で幼児から小学生向けの野球指導を行っている。
久々に顔を合わせた二人は昔話に花が咲いた。広瀬氏は「教わった監督は高田(繁)さん以外、みんな亡くなってしまった。一番面白かったのは近藤(貞雄)のじっちゃん。監督室で戦時中の話を聞かされていたらソファーの上で寝ちゃって、起きたら誰もいなくて毛布を掛けられていた」と広瀬節が炸裂。中島氏も「近藤さんは自由で楽しかった」と当時を懐かしんだ。
二人が所属した日本ハムは先月30日、清宮が今季1号本塁打を放ち、これが球団通算8000号となった。翌日のスポーツ紙紙面には歴代の記念本塁打一覧が掲載されたが、中島氏は自身が球団4500号を90年7月28日の近鉄戦(藤井寺)で放っていたことを、その時に初めて知ったという。
中島氏は「その日は発作性心房細動の治療(カテーテルアブレーション)で入院していたら友人がSNSで教えてくれた。4500号目を打っていたなんて初耳。今からでも遅くないので何か頂戴よ」と言って笑わせた。
広瀬、中島両氏は日本ハムOBとして同じドラフト1位入団、プロ2年目の清宮にエールを送った。
広瀬氏は「清宮君は打つのは当然。僕は守備が本職の選手だったから、今後の清宮君には守備と走塁のレベルアップを期待したい。今、子供たちに“走り方が格好悪くて一流選手になった人はいない”ということを教えている。落合(博満)さんだって若い頃は走る姿が格好良かった。清宮君にもいい走り方を身につけて欲しい」と話した。
また中島氏は「天性の打撃センス、遠くに飛ばす力は持っている。今年、けがで出遅れている間に同じ学年の村上(宗隆=ヤクルト)君が活躍しているのは、いい刺激になるのではないか。球界を背負って立つ選手になるにはライバルがいた方がいい。清宮君は村上君と切磋琢磨して欲しい」とした。
中島氏は6日まで東京、20、21日は大阪で行われるスポーツブランドの展示会「SIMEx2019」に株式会社ATOMSのブース内で、自身のブランド「THANK(サンク)」のグラブ、打撃練習器具を出展する予定だ。