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泥だらけの夏の甲子園8強から15年 海を渡り手にした日本人初の2軍マネージャーへの道のり

室井昌也韓国プロ野球の伝え手/ストライク・ゾーン代表
SK・中西一海2軍マネージャー(写真:ストライク・ゾーン)

プロ野球には1チームに70人以上(育成選手含む)の選手が在籍している。大きく分けて1、2軍で構成され、それぞれにマネージャーと呼ばれる裏方さんが存在する。

その多くが選手出身者だが、求められる能力は野球経験だけではない。スケジュール管理をはじめとした多岐にわたる雑務への対応力がマネージャーには必要とされる。

韓国KBOリーグの昨年の覇者・SKワイバーンズは今年新たな人材を2軍マネージャーに登用した。その人物は10年前に韓国に渡った日本人。通訳やスカウトなどの国際部門以外に外国人が従事するのは異例で、韓国初の外国人2軍マネージャーとなった。

甲子園でプロの壁を感じ、海を渡る

SK・中西一海(かずみ)2軍マネージャー(33)は愛知・中京大中京高校出身の元球児。高校3年生だった2004年、第86回大会で夏の甲子園の土を三塁手として踏んでいる。

レギュラーメンバーであり副主将として出場した甲子園で、ベスト8まで上りつめた中西。そこで感じたのは「プロへの壁」だった。

「僕は(身長)165センチと背が小さい割にパワー系のバッターでした。でも甲子園では体の大きい選手のパワーには勝てなくて、プロ野球選手になるには難しいと思いました」

中京大に進学し野球を続けるも、バットが金属から木に変わると中西は体格による力の差をさらに感じた。しかしプロ野球選手への夢は捨てられず、大学を卒業した09年、淡い期待を抱いて海を渡る。

その場所は小学生の時に出場した大会で訪れて以来興味を持ち、大学で第2外国語を専攻したことで関心を深めた韓国だった。日本よりもレベルが低いとされる韓国のプロ野球。しかしアマ出身の外国人が門を叩くほど甘くはなかった。

韓国で暮らし始めた中西は慶熙大で6ヶ月間語学を学んだ後、日韓に関わる企業、団体などで働き、韓国の文化や風習を身につけた。その間に現地女性と結婚。韓国で野球とは離れた人生を歩んでいた。

がむしゃらにつかんだプロでの居場所

韓国に渡って5年が経過した14年、転機が訪れる。SK球団が募集した日本人コーチの通訳に採用され、再び野球との接点が生まれた。15年にSKでバッテリーコーチを務めた長谷部裕氏(元中日)は中西の働きぶりをこう振り返る。

「通訳として野球用語が相手にしっかりと伝わるのでやりやすかった。先を読む力があって、次の練習では何が必要か前もって準備してくれた。気が利くし、選手からもよく食事に誘われたりして気に入られていましたよ」

長谷部裕・元コーチ(中央)と通訳当時の中西(写真:ストライク・ゾーン)
長谷部裕・元コーチ(中央)と通訳当時の中西(写真:ストライク・ゾーン)

確かな野球経験と流暢な韓国語、そして気転をきかせた行動で中西は認められていく。しかし通訳の仕事は1年契約。15年限りで日本人コーチがいなくなると通訳は必要なくなった。再び訪れた野球との別れだ。

しかし中西はチームに残った。選手経験が買われてのブルペン捕手への転身だ。しかし中西の仕事はブルペン捕手に留まらず、日本で行われる春、秋のキャンプではマネージャー業務を遂行。さらに選手が治療のため日本の病院に行くときに帯同するなど、がむしゃらに居場所を作った。

「『日本の業務はカズミに任せておけば大丈夫』、そう言われた時は嬉しかったです」

そうやって信頼を得た中西にSKは今年、2軍マネージャーを任せることを決めた。

インチョン市郊外のカンファ郡にあるSKの2軍施設「SKフューチャーズパーク」のメイン球場。この他にサブ球場と練習グラウンドを備えた充実の設備だ(写真:ストライク・ゾーン)
インチョン市郊外のカンファ郡にあるSKの2軍施設「SKフューチャーズパーク」のメイン球場。この他にサブ球場と練習グラウンドを備えた充実の設備だ(写真:ストライク・ゾーン)

2軍マネージャーの仕事漬けの日々

2軍マネージャーの1日は長い。午後1時の試合開始に合わせて、午前8時に出勤。「絶対に忘れちゃいけない仕事」という先発オーダーの記入とエントリーのPCへの入力を終えると、8時半からスタッフミーティングを行う。

オーダー表をベンチに掲示(左) 審判にエントリーを提出する(写真:ストライク・ゾーン)
オーダー表をベンチに掲示(左) 審判にエントリーを提出する(写真:ストライク・ゾーン)

遠征が控えていれば選手、スタッフ総勢40人分の宿泊先や、ビジター球場での昼食の手配もマネージャーの仕事だ。さらに2軍施設の光熱費などの使用料を球団親会社に支払うといった雑務も中西が行っている。夕方試合が終わって妻と2歳の娘が待つ家に帰宅しても、気は休まらない。

「翌日の練習スケジュールが出るのが夜9~10時。それを選手に間違いなく伝えなければいけません」

また1、2軍では選手の入れ替えもつきものだ。

「1軍の試合後のミーティングで決まってから伝達されるので、ナイターが延長戦に入ると0時を超えても寝られないこともあります」

中西の1日は2軍マネージャーで始まって、2軍マネージャーで終わる。

SKの室内練習場と地上3階、地下1階建ての合宿所(写真:ストライク・ゾーン)
SKの室内練習場と地上3階、地下1階建ての合宿所(写真:ストライク・ゾーン)

人を引き寄せるガッツ

昨年までSKの団長(日本におけるGM)を務め、今年から現場の指揮官となったヨム・ギョンヨプ監督は中西に全幅の信頼を寄せる。

「いつも一生懸命。そしてプレーヤーとしての経験があるのでメンタルが強い。我々の同志です」

SKの面々は皆、中西のガッツに惚れている。そんな中西の姿は高校時代から変わらない。読売新聞中部支社に勤務し、15年前に記者として高校野球を取材した児玉拓也氏も中西に魅せられた一人だ。

「中京大中京の中で強豪校の選手っぽくない、気迫を前面に出すちっちゃい選手が目に付きました。『泥だらけにならないと、自分らしくない』と試合前の練習中からユニフォームが真っ黒。101人の部員の中から相当の練習でレギュラーを勝ち取ったのだと感じました」

全国制覇を目標に掲げて挑んだ高3の夏。中西は準々決勝の済美戦、1-1の同点で迎えた6回表無死満塁で打順が回ってきた。済美のマウンドには2年生エースの福井優也(現楽天)。この場面で中西はピッチャーゴロ。併殺打に打ち取られて勝ち越しならず、中京大中京は1-2で9回裏サヨナラ負けした。

児玉氏は当時の中西のことを鮮明に覚えている。

「試合後、『あれだけバットを振ったのに』と大泣きしていた姿に、こちらも胸が熱くなりました」

変わらぬ貪欲さ

「正直言うと5年前に通訳としてSKに入った時には、まだプレーヤーとしての未練がありました。同い年で代表入りもしている三塁手のチェ・ジョンの守備を見た時に、『自分の方がうまい』と冗談で言ったりもしていましたね」

プロ野球選手を目指し渡った韓国で、球界初の外国人2軍マネージャーになった中西。彼の今の夢は何か。

「サポートする側として6年目になって、次の目標は1軍のマネージャーです。ただ夢は大きく持つものだと思っているので、“外国人初”と名のつく各部門の長になりたいです」

少ししゃがれた力強い声でそう答えた中西。その貪欲さは時間、国を越えても変わることはなかった。

引っ切り無しにかかってくる電話に対応する中西(写真:ストライク・ゾーン)
引っ切り無しにかかってくる電話に対応する中西(写真:ストライク・ゾーン)
韓国プロ野球の伝え手/ストライク・ゾーン代表

2002年から韓国プロ野球の取材を行う「韓国プロ野球の伝え手」。編著書『韓国プロ野球観戦ガイド&選手名鑑』(韓国野球委員会、韓国プロ野球選手協会承認)を04年から毎年発行し、取材成果や韓国球界とのつながりは日本の各球団や放送局でも反映されている。その活動範囲は番組出演、コーディネートと多岐に渡る。スポニチアネックスで連載、韓国では06年からスポーツ朝鮮で韓国語コラムを連載。ラジオ「室井昌也 ボクとあなたの好奇心」(FMコザ)出演中。新刊「沖縄のスーパー お買い物ガイドブック」。72年東京生まれ、日本大学芸術学部演劇学科中退。ストライク・ゾーン代表。KBOリーグ取材記者(スポーツ朝鮮所属)。

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