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追悼・高橋幸宏――ソロ作の悲哀と苦悩、そしてその品位の高さと救済を振り返りながら

宗像明将音楽評論家
高橋幸宏の公式Twitterアカウント(@room66plus)よりキャプチャ

高橋幸宏にインタビューをしたのはただ一度、2009年のアルバム『Page By Page』のリリース時、「MUSIC MAGAZINE」2009年4月号での取材だったと記憶している。

ドアの向こうの高橋幸宏の第一印象は、どこかナーヴァス。それは一時期の彼の作品から受けたイメージと重なった。しかし、1985年の『Once A Fool,…』で、当時中学生だった私が初めて高橋幸宏のソロ・アルバムを聴き、T・E・N・TからEAST WORLDまでのソロ・アルバム、つまり1980年代後半から1990年代前半の作品群を特に愛聴してきたことを話すと、高橋幸宏の表情は柔らかになった。その時代が好きだと言ってくれる人もいるんだよね、というようなことを楽しげに話してくれたことを思いだす。自身がキュレーターを務めるフェス「WORLD HAPPINESS」では、ファンから「ユキヒロ!」という歓声が飛ぶことについて、「親父から呼ばれてるみたいだ」とも笑っていた。

2023年1月15日、高橋幸宏の訃報がもたらされた。長い静養の後ではあるものの、それでも復帰を待っている自分がいた。

最後に話したのは、2018年5月11日にEX THEATER ROPPONGIで開催されたTHE BEATNIKSのワンマンライヴの終演後の関係者挨拶時にお声がけしたときだと思う。わずか5年後の訃報など、想像もしなかった。

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サディスティック・ミカ・バンド、Yellow Magic Orchestra(YMO)、THE BEATNIKS、SKETCH SHOW、pupa、METAFIVE……高橋幸宏の参加作品はほぼすべて浴びるように聴いてきた。参加したバンドを並べただけで、日本のポピュラーミュージック史における足跡があまりにも大きいことがよくわかる。最近の私も、サディスティック・ミカ・バンドの「塀までひとっとび」、YMOの「CUE」、THE BEATNIKSの「ちょっとツラインダ」、SKETCH SHOWの「Do You Want to Marry Me」をふとしたときに聴いてきた。

高橋幸宏のソロといえば、評価が高いのは、1978年の『サラヴァ!』であり、1980年の『音楽殺人』であることは承知している。しかし、前述の「MUSIC MAGAZINE」2009年4月号で、その時点までの全ソロ・アルバムを聴いてもなお、前述のT・E・N・T~EAST WORLD期の高橋幸宏の輝きは忘れ難く、私に大きな影響を与えた。

1991年の『A Day In The Next Life』の「空気吸うだけ」では、高橋幸宏と森雪之丞による歌詞が衝撃的ですらあった。とうに商業的な成功を収めていた高橋幸宏のパブリック・イメージとは大きく異なる。作曲は高橋幸宏と鈴木慶一。

せつなくない 信じてない

夢なんてない 傷つかない

希望はない 未来もない

悲しくはない 愛さえもない

1992年の『Life Time, Happy Time』の「元気ならうれしいね」も、森雪之丞による歌詞だ。作曲は高橋幸宏。「不幸」という単語がストレートに登場する。この時代の高橋幸宏の楽曲群には、絶望まではいかないものの、悲しみと諦観が漂う。

人が言うほど 僕は不幸じゃない

こんなに君の事 想えるから

そして、1988年の『EGO』の「Left Bank(左岸)」(作曲はThe BEATNIKS)、1990年の『BROADCAST FROM HEAVEN』の「1%の関係」(作曲は高橋幸宏)は、鈴木慶一の作詞による傑作だ。特に「1%の関係」は、作詞家としての鈴木慶一の最高到達点のひとつではないかとすら感じる。

ここではあえて、1992年の『Life Time, Happy Time』の「男において」を紹介したい。作詞は鈴木慶一、作曲は高橋幸宏。孤独、そして男性性による抑圧が描かれる。

男のくせに 泣くんじゃない

子供の頃に 言われる言葉

男をやめて しまえるのなら

君といるくらい しあわせだろう

高橋幸宏の音楽活動を振り返るとき、海外にも進出したYMOやサディスティック・ミカ・バンドでの華やかな活動がまず語られるだろうし、ドラム・プレイも忘れるわけにはいかない。

しかし、ここではよりパーソナルな高橋幸宏の作品群を紹介したかった。悲哀と苦悩と葛藤が渦巻き、しかしそれでいて穏やかなのだ。その穏やかさの核心とは、高橋幸宏ならではの品位の高さであった。そして、弱さを歌う赤裸々さに救われている私がたしかにいた。

ここで紹介した楽曲の多くは、1993年のセルフカヴァー・アルバム『Heart of Hurt』にも収録されている。「蜉蝣」(初出は1983年の『薔薇色の明日』)はストリングス、そして大貫妙子とのデュエットが美しい。

今日はとりとめもなく、T・E・N・T~EAST WORLD期の高橋幸宏の楽曲群を聴いて過ごそうと思う。

音楽評論家

1972年、神奈川県生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。著書に『大森靖子ライブクロニクル』(2024年)、『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』(2023年)、『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』(2016年)。稲葉浩志氏の著書『シアン』(2023年)では、15時間の取材による10万字インタビューを担当。

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