Yahoo!ニュース

里咲りさのZepp DiverCity(TOKYO)ワンマンライヴが「伝説」になった理由

宗像明将音楽評論家
里咲りさ(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)

「損益分岐点」までのチケット枚数が公表され続けた日々

アイドルシンガーソングライターの里咲りさが、2017年9月22日にZepp DiverCity(TOKYO)で「里咲りさ 全国ツアー2017 TOUR FINAL supported by 3D LIVE Revolution」を開催した。1階のみを使用して椅子を並べる形式だったが、結果はまさかの立ち見が出るほどの盛況ぶり。無謀にもほどがあった里咲りさの博打は、大成功で終わってしまった。経緯を踏まえれば「インディーズの奇跡」だったのかもしれない。

以前の記事でも紹介してきたように、里咲りさはレーベル/個人事務所の代表でもある。

里咲りさインタビュー ベンチャー企業感覚でインディーズとメジャーの壁を壊したい

CD-Rをタワーレコード流通! シンガーソングライター・里咲りさが目指す世界とは?

しかし、個人レベルでは会場の1階しか借りられないということで、今回のワンマンライヴは1階に椅子を並べる形式となった。とはいえ、会場はZepp DiverCity(TOKYO)である。キャパシティはスタンディング時なら2,473人、椅子使用時なら1,102人。1階のみ椅子使用時でも888人だ。正直なところ、2016年にZepp DiverCity(TOKYO)でのワンマンライヴの開催が発表されたときには「正気の沙汰ではない」と感じたものだ。

フロアガイド - Zepp ダイバーシティ

そして、連日のようにTwitterや公式サイトで更新されていく「Zepp Diver City損益分岐点まであと639枚(※2017.8.23現在)」といった心臓に悪い文字列。「たとえ空席だらけになっても、里咲りさなら面白い方向に持っていくだろう……」と信じていたし、チケットが動くのは直前だとわかっていたが、やはり不安は募った。

また、AI、でんぱ組.inc、Little Glee Monsterなどのライヴを手がける株式会社inLYNKが制作を担当すると聞いて「予算は大丈夫なのだろうか……?」とさらに不安は募ることになった。開演前、楽屋のスタッフ用の弁当が3種類もあるのを見たときに、その不安がさらに膨れあがったほどだ。

2015年、神楽坂TRASH-UP!!、里咲りさ

Zepp DiverCity(TOKYO)でワンマンライヴを開催した里咲りさだが、彼女がソロ活動を本格的にスタートさせたのは2015年のことだ。ほんの2年前にすぎない。

そもそも里咲りさと私を結びつけたのは、千葉県が持て余す鬼才プロデューサー・皮茶パパだった。2015年4月10日、皮茶パパがプロデュースする音波ガールのリリースイベントが新星堂池袋サンシャインシティアルタ店で開催されたとき、ゲストというか巻き添えのように招かれていたのがアイドルグループ「少女閣下のインターナショナル」(2016年7月8日活動休止)の里咲りさと白河花凛(現:白川花凛)だった。フロア最前部に誰もおらず、ただ荷物が置かれているようなリラックスしすぎの会場で、今よりも辛辣なキャラクターとして皮茶パパにツッコミを入れていたのが里咲りさだった。

2015年4月24日に皮茶パパのライヴを見るために神楽坂TRASH-UP!!へ行くと、フロア最前部に座って見ていた里咲りさがマイクを要求し、皮茶パパに説教を始めたこともあった。以下の動画の17分過ぎだ。

その後、少女閣下のインターナショナルと私はトークイベントで共演する機会が増える。2015年6月2日に新宿ロフトのバーラウンジで開催された「IDOLドリンクバー」では、ようなぴ(ゆるめるモ!)と私が司会を担当したが、少女閣下のインターナショナルの登場とともに、一瞬で学級崩壊状態となったことを思い出す。

その3日後、2015年6月5日には川崎クラブチッタでの「アイドルCAMP」で少女閣下のインターナショナルとトークをしたのだが、出演前に楽屋でギュウゾウ(電撃ネットワーク)と私が雑談をしている間に、少女閣下のインターナショナルが何かをメインステージでやらかしたらしく、まったく事態を把握していないのにTwitterで「ギュウゾウと宗像が悪い」などと書かれたことも思い出す。なんだったんだろう、あの日は……。ともあれ、いろいろとあって白河花凛が骨折したことは、里咲りさが「ボーンブレイクガール」を書くきっかけとなった。

出会った頃の里咲りさは、少女閣下のインターナショナルという騒がしいグループの、やけに押しの強いメンバーという印象だった。

そんな里咲りさのイメージが一変したのが、2015年7月3日の神楽坂TRASH-UP!!でのソロ・ライヴだった。「こんなにいい楽曲を書くシンガーソングライターなのか」と驚いて、慌てて物販列でCD-Rを買い求めた。まぁ、この日も皮茶パパのステージに乱入していたのだが……。

ここで神楽坂TRASH-UP!!という重要な場について解説する必要があるだろう。トラッシュ・カルチャーを追求する雑誌「TRASH-UP!!」がプロデュースするライヴハウスで、その結果としてアクの強いアーティストばかりが出演することになった。しかも穴倉のように狭い。100人も入れたら酸欠になる者が出るはずだ。そして、アイドルオタクにとってのライフラインであるTwitterを見たくても、ソフトバンクの電波はiPhoneに一切届かないので、Twitterのために入り口の外まで出なくてはならない。そんな場所で私は里咲りさや皮茶パパのステージを幾度となく見ることになる。

里咲りさ、皮茶パパ、私。そんな3人の最大の事故現場は、2015年8月30日に高円寺パンディットで開催された「KP音波テクノロジー presents KP音波セミナー”四次元ビジネスに挑戦!”」だ。皮茶パパと皮茶バーヤ(皮茶パパの同僚の女性)のトークイベントで、司会が私、ゲストが里咲りさだった。

客は6人。ほぼほぼ致命傷である。誰もが生き延びたのが不思議な現場だった。

しかし、この日の里咲りさと皮茶バーヤのライヴはヤケのように盛りあがった。里咲りさから動画公開の許諾を得られなかったのもやむをえないほどトチ狂っていた。仕方ないので皮茶バーヤのライヴ動画を貼るが、ずっと彼女の向かいにいるのが若き日(といっても2年前だが)の里咲りさである。

そしてこの日、里咲りさはCD-R「THE-R」を物販で売っていた。この「THE-R」には、シンガーソングライターとして里咲りさが高い評価を受けるきっかけとなった名曲「カタルカストロ」も収録されていた。私もこの楽曲に衝撃を受けたひとりだ。

ここまで長々と、里咲りさをめぐる過去の険しい現場を紹介してきたが、特に面白い現場を選んでいるわけではない。いつもこんな調子だったのだ。2017年9月22日にZepp DiverCity(TOKYO)のステージに立った里咲りさだが、2015年は神楽坂TRASH-UP!!を中心とする狭くて険しい現場で歌っていた。

里咲りさのZepp DiverCity(TOKYO)公演の大成功を「インディーズの伝説」と呼びたくなるのは、里咲りさがそんな時代を乗り越えてきた人物だからだ。Zepp DiverCity(TOKYO)には、あの2015年8月30日の客6人の事故現場に立ち会った人々の姿もあった。

2017年に入ってからの里咲りさは、ディアステージ主催の「DEARSTAGE WEEK supported by japanぐる〜ヴ(BS朝日)」の初日である3月20日に出演し、でんぱ組.incの相沢梨紗、古川未鈴、成瀬瑛美らと「くちづけキボンヌ」でコラボレーションをするまでになった。しかし、そこからZepp DiverCity(TOKYO)までは再び地道なライヴ活動をしていたことも書き記しておきたい。

Zepp DiverCity(TOKYO)のフロア中央に広がった空間の意味

話は2017年9月22日に戻る。Zepp DiverCity(TOKYO)に入ると、あまりにも立派なステージに驚いて「大変なことになってしまった……」と感じることに。大森靖子、ディアステージ、嶺脇育夫(タワーレコード株式会社 代表取締役社長)、新宿ロフトからの花があるかと思えば、ファンがダンボールで作ったガンダムも置かれている。里咲りさの友人である絵恋ちゃん、水野しず、姫乃たま、ぱいぱいでか美が連名で出した花もあり、そして「TRASH-UP!!」の株式会社トラッシュアップからの花もあった。私が里咲りさを知ったのはほんの2年前のことだが、その2年間の激動の歴史が詰まったかのような花たちだった。

ファンが贈ったダンボール製のガンダムと里咲りさ(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)
ファンが贈ったダンボール製のガンダムと里咲りさ(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)
開演前にステージの流れを確認する里咲りさ(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)
開演前にステージの流れを確認する里咲りさ(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)

そして開演。里咲りさを音楽面で支える灘藍を含むバンドとともにライヴは幕をあけた。

バンドを従えてステージに立つ里咲りさ(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)
バンドを従えてステージに立つ里咲りさ(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)

ライヴ中盤では、ファンからの手紙を読みあげる、ラジオを模したコーナーがあった。特に素晴らしかったのは、その最後、フロア中央に広がった空間に里咲りさが降りてきて、ギターの弾き語りで「かわいた空気の夜に」を歌った瞬間だった。

そう、その空間は神楽坂TRASH-UP!!をイメージしたものだというのだ。あの狭く、電波も入らない神楽坂TRASH-UP!!がZepp DiverCity(TOKYO)に出現していた。里咲りさが弾き語りに使ったのは、ファンから贈られたミニ・ギター。そのボディはファンからの寄せ書きだらけだ。2015年からの2年間の日々を回想するな、というほうが無理だ。

ラジオコーナーでの里咲りさ(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)
ラジオコーナーでの里咲りさ(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)
フロアに降りて歌う里咲りさ(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)
フロアに降りて歌う里咲りさ(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)
(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)
(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)
(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)
(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)

ラジオコーナーでもうひとつ良かったのは、1年ほど封印していたという「だってね。」を歌ったことだ。里咲りさにとっては、アイドル然とした楽曲で恥ずかしいらしい。それでもあえて「だってね。」をZepp DiverCity(TOKYO)で歌った里咲りさ、そして彼女のためにコールをしたファン。ふと気づくと、隣の席で見ていた姫乃たまが涙を流していた。里咲りさが「だってね。」を歌い終えると、姫乃たまは一言だけつぶやいた。「美しいものを見た」と。

アンコールで「メジャー・デビューします!」と里咲りさが宣言したので「ついにこの日が来たか」と思ったのだが、よく聞いてみると、メジャー・デビューしてもいいという「FA宣言」だという。相変わらず人を食っているが、現在の彼女ならほどなくメジャー・レーベルも決まってしまうだろう。もう「メジャー・デビュー決定!」と言っていいよ、と内心で苦笑してしまった。

そして、この日のライヴが非常に優れていた理由のひとつは、客席のファンが期待していたものと、里咲りさがステージで提示したものにズレがなかったことだ。テレビで「ぼったくり物販」などを披露してきた里咲りさだが、ステージではあくまで音楽、そしてファンと真摯に向きあっていた。ファンもまた、Zepp DiverCity(TOKYO)という大舞台に立つ「ミュージシャン」としての里咲りさを見にきていたのではないかと感じた。

(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)
(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)
(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)
(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)

それにしても、1階のみを使用して椅子を並べる形式でも、立ち見が出るほどの盛況ぶりだった。個人が大きな会場を借りて満員にしてしまうライヴを、かつてどこかで見た記憶がある。それは、2013年5月13日に渋谷CLUB QUATTROで開催された大森靖子のワンマンライヴだ。あのライヴも、個人で渋谷CLUB QUATTROを借りて超満員にしてしまった。その大森靖子からの花も、里咲りさのZepp DiverCity(TOKYO)には届いていた。

音楽を語る言葉を捨てよ、そして音楽へ 大森靖子ワンマンライヴレポート

里咲りさは無謀だ。しかし、彼女の中には常に戦略と自分自身への評価軸があり、そして常軌を逸したレベルの努力をし続けている。だからこそ、たった2年で里咲りさは神楽坂TRASH-UP!!からZepp DiverCity(TOKYO)へと這いあがったのだ。

「インディーズの伝説」を本当に生んでしまった彼女が、どこへ向かうのか。メジャー・デビューへのFA宣言によって、里咲りさは自ら退路を断ってしまったのだ。ちょっとした興奮とともに、まだ里咲りさの動きから目を離さずにいたいと思うのだ。

(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)
(提供:IDOL NEWSING、撮影:フチザキ)

(この記事の作成にあたり、フチザキ氏が撮影した写真をIDOL NEWSINGから提供していただきました。)

音楽評論家

1972年、神奈川県生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。著書に『大森靖子ライブクロニクル』(2024年)、『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』(2023年)、『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』(2016年)。稲葉浩志氏の著書『シアン』(2023年)では、15時間の取材による10万字インタビューを担当。

宗像明将の最近の記事