Yahoo!ニュース

ソウル・フラワー・モノノケ・サミットとチャラン・ポ・ランタンの「アンパンマンのマーチ」

宗像明将音楽評論家
左からチャラン・ポ・ランタンの小春、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの中川敬

ソウル・フラワー・みちのく旅団が歌った「アンパンマンのマーチ」

ソウル・フラワー・モノノケ・サミットの「納涼 盆ダンス! 墓場までご一緒にツアー2013」の東京公演が2013年8月10日に下北沢GARDENで開催された。今回のツアーのゲストはチャラン・ポ・ランタン。このツアーが発表されると、なんとSKE48の松井玲奈がTwitterで「いーきーたーいー」と言及していた。その展開については「SKE48の松井玲奈さんがソウル・フラワー×チャラン・ポ・ランタンのライヴに行きたいと発言して、中川敬さんが反応してる謎展開が突如発生してる……! - Togetter」をご覧いただきたい。

画像

(写真:Yoshinori Ueno)

今回は単にソウル・フラワー・モノノケ・サミットとチャラン・ポ・ランタンが一緒にライヴをする、という以上の意味が個人的にはあった。両者による「アンパンマンのマーチ」をどうしても聴きたかったのだ。ソウル・フラワー・ユニオンが2013年6月26日にリリースした11曲入りミニ・アルバム「踊れ!踊らされる前に」に「アンパンマンのマーチ」は収録されていたが、そこでのソウル・フラワー・ユニオンの中川敬とチャラン・ポ・ランタンのももによる歌は、生きることの痛みと喜びを鮮やかに表現していて軽い衝撃すら受けた。演奏や歌はにぎやかでユーモアがあるが、その背景にあるのは東日本大震災で失われたものへの悲しみと、そのうえで希望を歌おうという強い意志だ。

そもそも「アンパンマンのマーチ」は、東日本大震災後に被災地で演奏活動をしてきたソウル・フラワー・ユニオンの別動隊「ソウル・フラワー・みちのく旅団」のレパートリーだった。それは「子どもが多いので、子どもが誰でも知っている曲を、一曲でもいいので演って欲しい」という現地からのリクエストによるものだったと「踊れ!踊らされる前に」の資料には記されている。当時のソウル・フラワー・みちのく旅団の活動については「ototoy 特集: ソウル・フラワー・みちのく旅団 被災地ライヴ・ツアー」が詳しい。

ソウル・フラワー・みちのく旅団が、「それいけ!アンパン」のオープニング・テーマである「アンパンマンのマーチ」を演奏していることを知ったときは驚いたが、その柔軟さもまたソウル・フラワーらしいと感じた。

ソウル・フラワー・ユニオンから、阪神・淡路大震災後に生まれた別動隊がアコースティック楽器主体の「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」であり、東日本大震災後に生まれた別動隊が「ソウル・フラワー・みちのく旅団」である。中川敬を中心にしたメンバーの異なるユニットだが、それぞれの活動を通じて得た音楽的な経験は共有されている。

チャラン・ポ・ランタンによる音楽と笑い、パフォーマンス

下北沢GARDENのステージには、奥野亮平が描いたバックドロップのほか、「がんばっぺ女川!」のタオルやアンチレイシズムフラッグも飾られていた。ステージ脇に飾られた、同じく奥野亮平の手によるバックドロップには「NO NUKES」の文字も。それは「踊れ!踊らされる前に」のメッセージを開演前からすでに強く訴えていた。そのビデオ・クリップでは、脱原発、反オスプレイ、反レイシズムなどのメッセージが書かれた紙を男が淡々とめくっている。ボブ・ディラン(Bob Dylan)の「Subterranean Homesick Blues(ホームシック・ブルース)」のように。

ステージにはまずチャラン・ポ・ランタンが登場。ヴォーカルのもも、アコーディオンの小春の姉妹に、ドラムとヴァイオリンを加えた4人編成でのステージだ。満員の会場を見て小春は「人が多すぎやしませんか?」と笑わせる。チャラン・ポ・ランタンのライヴには繰り返し来る「リピーター」のファンが多いそうだが、それを「ディズニーランドみたい」と言ってみせたり、彼女は軽妙なMCで笑いを途切れさせない。

演奏は冒頭から東欧のジプシーバンドを連想させ、ヨーロッパ、アラブ、アジア、南米を自由に横断してみせる。その自由さとそれを実現させる実力は、初めて見たときからアメリカのBrave Combo(ブレイブ・コンボ)を連想したほどだ。最後はフライヤーをステージ上から「後ろに回して」と客に配り、そのBGMだと言って「最後の晩餐」を演奏をしていた。そして会場の最後方にいた私のもとにも、ちゃんとフライヤーが回ってきて感心してしまった。チャラン・ポ・ランタンによる音楽と笑い、そして観客を巻き込むパフォーマンスは、この後も続くことになる。

時空を超越していくソウル・フラワー・モノノケ・サミット

当夜のソウル・フラワー・モノノケ・サミットは、ベース、アコーディオン、三線、ドラム、太鼓、チンドン太鼓、ピアニカ、クラリネットという楽器編成。ソウル・フラワー・ユニオンのオリジナル・メンバーである伊丹英子も参加していた。そして、ジンタの演奏で広まった流行歌「美しき天然」、明治~大正の演歌師である添田唖蝉坊の「ああ金の世」「ああわからない」、労働歌の「聞け万国の労働者」、朝鮮民謡の「トラジ」「アリラン」などが次々と演奏され、一気に時空を交差していくことになる。古い楽曲であっても、まるで現在の歌のように聴かせてしまうアッパーなエネルギーが彼らにはあるのだ。

さらにチャラン・ポ・ランタンの小春を迎え、「バタヤン」こと田端義夫の「島育ち」、登川誠仁の「国頭ジントーヨー」も演奏された。両者ともにソウル・フラワーと親交があり、かつ近年亡くなったミュージシャンの楽曲のカヴァーである。それは、お盆を前にした時期の「モノノケ」としてふさわしく、生と死を交錯させた場面でもあった。

阪神・淡路大震災から生まれ、数多くのアーティストに歌われ続けるソウル・フラワー・ユニオンの名曲「満月の夕」、春日八郎の「お富さん」が披露されていき、チャラン・ポ・ランタンのももがステージに再登場。そして彼女はチャラン・ポ・ランタンの「サイテーな女」を歌いながら、バンドのTシャツを客に買わせようとして、最終的にステージ前にいたカメラマンにも買わせたのだった。荒業である。

画像

(写真:Yoshinori Ueno)

当夜はソウル・フラワー・モノノケ・サミット版の「踊れ!踊らされる前に」も披露。ももが歌う美空ひばりの「港町十三番地」は、艶やかにして堂々たる歌い回しだった。森進一の「港町ブルース」を中川敬が歌うと、彼の声に染めつつもコブシ回しだけは物真似寸前になるのがユーモラスだった。

「アンパンマンのマーチ」のエネルギーと包容力

そしてチャラン・ポ・ランタンの「人生のパレード」の後に歌われたのが、待望の「アンパンマンのマーチ」だった。「踊れ!踊らされる前に」に収録されていたヴァージョンと同じく中川敬ともものヴォーカルで歌われ、満員の会場に向かって解き放たれていくそのエネルギーを浴びるように私は聴いていた。溌剌としつつも優しさと包容力を持つこの「アンパンマンのマーチ」を聴くとき、ソウル・フラワー・みちのく旅団が見てきたであろう被災地の光景へも思いを馳せてしまう。続いて歌われたのは、やはり「踊れ!踊らされる前に」に収録されている尾崎紀世彦の「また逢う日まで」のカヴァーだったが、これもソウル・フラワー・みちのく旅団のレパートリーのひとつなのだ。

画像

(写真:Yoshinori Ueno)

アンコールでは、チャラン・ポ・ランタンのももが美空ひばりの「お祭りマンボ」を見事に歌い上げていた。彼女がまだ20歳だというのは末恐ろしい。続く「豊年音頭」には「わするな東北」という言葉が挿入され、沖縄民謡に東日本大震災についてのメッセージを込める点がいかにもソウル・フラワーらしかった。「ソウルフラワー震災基金2011」で彼らは今も東北の被災地を支援し続けている。

最後の最後、2度目のアンコールで歌われた「インターナショナル」は19世紀に作られた革命歌だ。時間軸や地理性を軽く超越して、新旧関係なく楽曲に新たな息吹を吹き込む。楽曲の大衆性を蘇生させる。そこにこそソウル・フラワー・モノノケ・サミットの真髄はあり、チャラン・ポ・ランタンは強力な友軍としてステージを輝かせていた。

画像

(写真:Yoshinori Ueno)

音楽評論家

1972年、神奈川県生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。著書に『大森靖子ライブクロニクル』(2024年)、『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』(2023年)、『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』(2016年)。稲葉浩志氏の著書『シアン』(2023年)では、15時間の取材による10万字インタビューを担当。

宗像明将の最近の記事