ニュージーランド代表制したリオ五輪男子7人制日本代表、レメキ ロマノ ラヴァの姿。【ラグビー雑記帳】
日本時間2016年8月10日未明。リオデジャネイロ五輪の男子7人制ラグビーが開幕した。日本代表は、世界最強クラスのニュージーランド代表との予選プール初戦に挑む。
相手の密集への絡みつき、ボールの渡る先に複数人が束になった連続攻撃、勝ち越し点を導いた副島亀里ラティアナラ・ララボウら途中交代選手の活躍などで魅せた。何と、14―12で勝った。
最後の最後は、ひやひやする展開だった。ここで命拾いを導いたのが、レメキ ロマノ ラヴァだった。自分の生まれた国の選手を相手に、鋭い眼光を飛ばす。
ラストワンプレーとなった敵陣ゴール前でのラインアウトを相手に渡し、自陣ゴール前まで押し込まれたロスタイム。
自陣22メートルで右から左大外へ球を回された先に、レメキが待っていた。タックル。相手は苦し紛れにパスを出すも、その先にはジャパンのキャプテンである桑水流裕策が待っていた。ノーサイド。「ジャイアントキリング!」。NHKの冨坂和男アナウンサーが、抑揚を最小限に止めた声で叫んだ。
15人制の国際リーグ、スーパーラグビーで活躍した山田章仁が落選し、注目された若手ランナーの藤田慶和や松井千士がバックアップに回ったチームにあって、レメキは間違いなくキーマンだった。
ところがどうだ。かつて言った。
「私はキーマンじゃなくてチームマンだよ」
身を粉にする人のエピソード
身長177センチ、体重92キロ。一線級のラガーにあっては明らかに小柄である。もっともランニングスキルと突破力、そして、防御で示す危機管理力でナショナルチームの格を保つ。
遡って11月8日、香港スタジアムでオリンピックのアジア予選を制した。この時も24―10で勝利し、「やりたいことをやれば、勝てる」と簡潔な思いを口にした。
「開幕、スタメンで!」
歓喜に沸くなか、所属先であるホンダの関係者からメールが届いた。14日にある日本最高峰トップリーグの初戦に出て欲しい、という意味だ。
オリンピックの競技たる7人制とトップリーグなどでおこなわれる15人制は、同じラグビーでも似て非なる特徴がある。少人数で14~20分間のゲームを1日に数試合もおこなう7人制に対し、15人制は7人制と同じサイズのグラウンドで倍の人数が80分間、一発勝負をする。
緊張感のあるアジア予選の直後とあって、レメキがホンダでの休養を申し出ても文句は出ないところだ。それでもレメキは、先発出場という形でメールに応えた。前年度に負傷した膝に不安を抱えていたが、「いまは全然、大丈夫」とレギュラー出場を重ねた。
いつでも明るく
ラグビー界では、「チームマン」という資質が好まれる。集団が一枚岩でぶつかり合う格闘技兼球技をするには、内なる忠誠心や献身性をグラウンド内外で発揮できる人が必要なのだ。レメキはその隊列にある。
「凄く、ラグビーが好きなんだなという印象があります。本当に、好きで、やっているな、と」
こう語るのは後藤駿弥。三重県鈴鹿市を本拠地とするホンダの一員で、一時は7人制日本代表としてもレメキとプレーした27歳だ。
「苦しい練習の時でも、笑顔で『楽しくやろうよ』と言ってくれるので。元気のない選手に声をかけたり、皆にすごい気配りをするというか…。常にこういうことをしているので、特別にこれというもの(逸話)はないんです。ただただ、常に楽しくラグビーをやりたいんだろうな、という感じを受けます」
いま、リオデジャネイロの地では12人の代表選手が短期決戦に挑んでいる。一喜一憂と無縁であるべきスペースでひたすら明るくいられる戦士は、間違いなく頼りになろう。それをまず実証した先に、ニュージーランド代表から奪った白星があった。
亡き友のために
トップリーグを戦っていた11月28日、ホンダのトンガ人選手であるタリフォラウ・タカウが27歳で急死した。
ニュージーランド出身で日本国籍を持っているレメキだが、両親はトンガ人である。トンガには同じルーツを持つ者同士のつながりを大切にする気風があり、2人も休日のバーベキューパーティーなどを楽しむ仲だったという。
当時、ホンダの一員として、という文脈でこう話していた。
「皆、彼のために…(という気持ちがある)」
身を粉にする理由をいくつも抱き、身を粉にする。予選プールではイギリス代表、ケニア代表とも対峙。決勝トーナメントに進み、メダルを見据えたい。