「無印」が勝つ条件とは 王者・帝京大学センター園木邦弥の場合【ラグビー雑記帳】
帝京大学ラグビー部の背番号「12」をつけた園木邦弥は、自分でも信じられないほど失敗を重ねた。
2015年6月7日。早稲田大学との春季大会4戦目である。それまでは東京都日野市は百草園のホームグラウンドで3戦連続での先発を果たし、直線的で凛々しいプレーを重ねてきた。しかし、この日は「オーバーテンション」だった。相手がクラブの普遍的なライバルである早稲田大学で、場所が杉並区は上井草にある相手チームのグラウンドだったことに影響されたか。
「それは、あったと思います。環境の変化に左右された。周りが見えなくなってしまって、声も聞けなくて…。キャッチミス、ディフェンスでのミス。自滅してチームに迷惑をかけた」
1人でプレーするな。
遊び心を持たないと、楽しくないだろう。
ハーフタイムに、岩出雅之監督からこう助言されたという。結局、後半19分まで出場し、73―12での勝利を見届けるのだった。
「後半は、自分のいいプレーはできなかったですが、リラックスしてゲームが出来ました」
大学選手権6連覇中のチームには、多士済々の人材が揃う。各ポジションに年代別の代表経験者が揃い、留学生もいる。試合に先発できるのは15人だけだが、部員数は常に3ケタ。競争率は激しい。
愛知県の春日丘高校から入学してきた園木は、それでも主力の「Aチーム」を目指し続けてきた。代表暦(レキ)は、東海地区選抜のみ。「無印」にあたる。周りと比べると明らかに経験値に劣るなか、心に誓った。
「レキじゃない」
スター集団における「無印」の台頭。古今東西で好まれる成功譚を実現すべく、園木はフォーカスポイントを限定した。大軍の中で存在感を示すには、独自性を打ち出すことが重要だと感じたのだ。
具体的には、ただただ強く、ただただ激しいセンターになろうと思った。多い時で1日2回、このクラブの恵まれたトレーニング施設に通う。まずは純粋に身体の質量を大きくし、徐々に瞬発力系のメニューを重視してゆく。
「この帝京大学で、スキルを武器に上り詰めるのは難しい。ウェイトの数値でも身体つきでも、誰にも負けない」
くじけそうな時は、あった。一昨季、控えチームの公式戦であるジュニア選手権での出場を間近に控えた折だ。出場予定メンバーに名を連ねながら、試合前日に外された。その年のシーズン終盤に活躍することになる、当時4年生の牧田旦(現リコー)が怪我から復帰したためだ。
心が折れそうな時に声をかけてきたのは、1学年上の村澤大洋(長野の下伊那農業高校出身、ウイング)ら、同じく「無印」の上級生たちだった。
そんなの、よくある事だって。
以後も園木は、虎視眈々とその時を待つことができた。
「1年の時は挫折、挫折だった。そこにアプローチしてくれた先輩がいた。人間関係で成長できた部分もあります」
あの時、園木を外したのは岩出監督だが、努力し続ける園木を見抜いたのもまた、岩出監督だった。2年間で体重を8キロも増やした新3年生に、活躍の舞台を与えようとした。
「チャンスを与えたいと思わせるよね。頑張っていたし」
4月19日。チームはいくつかのスケジュールを抱えていた。ひとつは主力チームが挑む長崎県選抜との招待試合、ひとつは3軍にあたるCチームによる朝日大学戦、さらにもうひとつはそれ以外の選手による東日本大学セブンズである。園木は、東京は秩父宮ラグビー場でのセブンズに出ることとなった。
「迷ったんです。長崎か、セブンズか。でも、園木はセブンズに行ったほうが、より自分を出すだろうなと思った。周りは下級生も多かったから」
常に「ロールモデルはいい先輩だ」と言い続ける岩出は、緊張しやすいかもしれない特徴を鑑み、下級生の多かったセブンズのメンバーに園木を入れたのである。
選択は、正しかった。7人制の舞台で金槌のタックルを連発した園木は、そのままAチームに格上げされた。
今の園木がつける背番号「12」は、定位置争いの激しい枠だ。早稲田大学戦で園木に代わってプレーした矢澤蒼は期待のルーキー。1年生からレギュラーだった森谷圭介、副キャプテンの金田瑛司は故障で離脱中だが、復帰後は有力なレギュラー候補だろう。
そんななか強みを打ち出し、目利きに見込まれた園木は「これからも、レキじゃないというところを見せていきたい」。14日、静岡は草薙総合運動場。明治大学との春季大会最終節を迎える。