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なぜ内田篤人&中村憲剛が選ばれたのか?JFAロールモデルコーチに求められる資質

元川悦子スポーツジャーナリスト
JFAロールモデルコーチとなった内田篤人と中村憲剛(写真:日刊スポーツ/アフロ)

2人目のロールモデルコーチデビュー 

 4月12日から千葉・高円宮記念JFA夢フィールドでスタートしたU-17日本代表合宿。今季J2でプロデビューした15歳の橋本陸斗(東京V)ら未来のスター候補生が揃う中、ひと際注目を集めたのが、2人目のJFAロールモデルコーチに就任した中村憲剛氏(川崎FRO)だ。

 今年元日の天皇杯決勝を最後にユニフォームを脱いで3カ月。川崎フロンターレ・アカデミーでの指導やサッカー解説など八面六臂の活躍を見せていたが、この日が正式な指導者デビューだったと言っていい。

「体の向きをしっかり」

「相手の逆を取ったら面白いぞ」

「切り替えが遅くなってきたぞ、意識して」

 初日のボール回しや5対5+フリーマンの練習中、憲剛コーチは要所要所で鋭い指示を送る。現役時代にも大島僚太や田中碧ら後輩たちにも似たようなことを日常的に言い続けていたのだろうが、新人指導者にしてはかなり板についている。

 昨年9月にロールモデルコーチ第一号となった内田篤人氏はその時点で指導者ライセンスを保持していなかった(現在はC級取得済み)が、憲剛コーチはすでにJFA公認C級ライセンスを保有。1月から川崎U-18に隔週ペースで顔を出していることも、スムーズな声掛けにつながっているのだろう。

U-17日本代表選手に声をかける憲剛コーチ(筆者撮影)
U-17日本代表選手に声をかける憲剛コーチ(筆者撮影)

「とてつもない刺激」を与えられる2人

 こうした一挙手一投足を間近で見ていた森山佳郎U-17日本代表監督は、「ついこの間までトップトップだった彼のアドバイスは的確で、選手にとってこれ以上のものはない。合宿最初の自己紹介の後にも、2人の選手が『止める蹴るの部分を教えてください』と食らいついていた。とてつもない刺激になっていると思う」と前向きにコメントしていた。

 その”高度な刺激”こそが、ロールモデルコーチに求められる最大の要素と言っていい。

 JFAから新たな役割を託された内田・憲剛両コーチに通じるのは、元日本代表でワールドカップ(W杯)を経験していること。Jリーグでも複数タイトルを取り、主軸として長く活躍した実績も兼ね備えている。

 加えて言うと、揃って高い言語化能力を持ち合わせている。憲剛コーチはかつて「代表屈指の論客」と言われ、イビチャ・オシム監督の難解な練習やアルベルト・ザッケローニ監督の細かい戦術をかみ砕いてメディアに伝えられる人物だった。筆者もそうだが、どれだけ彼の喋りに助けられたか分からない。

 内田コーチの方も普段はアッサリしているが、喋ると決めたら徹底的にピッチ上での事象を深堀りして語るタイプ。反町康治技術委員長が「篤人は物事が見えすぎるところがある」と話したほどの洞察力や観察力を持っているのは、間違いなく彼の強みだろう。

 そのうえで、2人はプレーヤーとして辿ってきた道のりが全く違うのも特筆すべき点だ。

内田・憲剛両コーチの共通点と相違点

 内田コーチはご存じの通り、10代の頃から年代別代表に名を連ね、U-20W杯、五輪代表を経験。19歳で日の丸を背負った早咲きのエリートだ。ドイツでも9シーズンプレーし、シャルケ時代にUEFAチャンピオンズリーグベスト4という高い領域に上り詰めている。その経験値ゆえに、引退時点で指導者ライセンスなしにもかかわらず、この役職が与えられた格好だ。

 一方の憲剛コーチは10代の頃は全くの無名で、中央大学を出た後のプロキャリアもJ2からのスタートだった。フィジカル的にも高さ・強さ・速さを備えているわけでなかったが、25歳で代表入りし、36歳でJリーグMVPを獲得し、40歳までトップ・オブ・トップに君臨するという遅咲きの成功をつかんだ。海外クラブ在籍経験はなく、W杯も1試合出場にとどまっているが、2010年南アフリカ大会ではベテランとして縁の下からチームを支える役割を担っている。この経験も指導者人生には大いに生きるはずだ。

 つまり、「早咲きの内田」「遅咲きの憲剛」という異なるプレーモデルを10代の選手たちに見せることで、意識を高めてもらおうというのが、JFA側の狙いなのだろう。

U-20日本代表の活動に何度も帯同した内田コーチ(筆者撮影)
U-20日本代表の活動に何度も帯同した内田コーチ(筆者撮影)

2人との契約はJFAの青田買いの側面も

 それと同時に「将来のJFAナショナルコーチングスタッフ候補」を青田買いして、スピーディーに育てたいという思惑もあるのではないか。

 日本代表の森保一監督を例に取ると、2004年の現役引退後、サンフレッチェ広島のコーチを皮切りに、U-20日本代表コーチ、アルビレックス新潟コーチを経て、2011年に広島監督となり、そこでの成功が認められて2017年に東京五輪代表監督に抜擢された。指導者転身後、13~14年後にようやく日の丸指揮官となれたというわけだ。

 U-20日本代表の影山雅永監督の場合は引退から20年、森山監督も15年がかりでU-17日本代表監督になっている。その時点で彼らは50歳前後。その年齢をもう少し前倒しでき、世界の最先端のトレンドを持ち込めるようになれば理想的だろう。

 世界を見渡せば、2018年ロシアW杯王者・フランス代表のディディエ・デシャン監督は44歳で代表監督の座についているし、アルゼンチン代表のリオネル・スカローニ監督も40歳から指揮を執っている。ドイツでも代表ではないが、ライプツィヒのユリアン・ナーゲルスマン監督は33歳で名将と評されるまでになった。その大多数が指導者キャリアのスタートが早かったのは確かだが、日本も若く世界基準を持った代表スタッフがどんどん増えてほしい。

「止める蹴る」の重要性を叩き込む憲剛コーチ(筆者撮影)
「止める蹴る」の重要性を叩き込む憲剛コーチ(筆者撮影)

選手の海外移籍が増えた今、世界に通じる指導者を!

「彼らには願わくはコーチ業を地道に積み重ねていってもらい、僕らも道を譲りたい。W杯経験者がコーチの力を積み上げることが、日本が次のステージに行く起爆剤になる。そういう意味では期待値が高いです」と森山監督も強調していた。内田・憲剛コーチらが先頭になって若返りを図り、高度な国際経験やJリーグでの経験を伝えていってくれれば、日本サッカーの成長速度は加速するはずだ。

 2人はこれからB級ライセンス取得に向けて勉強を本格化させるというが、松井大輔(サイゴンFC)を筆頭に現役のベテラン選手はすでにB級を保持しているケースも多い。そういう人材が代表強化に尽力できるような体制をJFAには築いてもらいたい。

 ロールモデルコーチという特別な役職を設けたのはその一歩。内田・憲剛コーチはまさに理想的な人選だ。その数が増えていくのかどうかは分からないが、選手にさまざまなプレーモデルを提示できるように、反町技術委員長を筆頭にアイディアを出しあってほしいものだ。

スポーツジャーナリスト

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から7回連続で現地へ赴いた。近年は他の競技や環境・インフラなどの取材も手掛ける。

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