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森保ジャパン「雑草軍団」に千載一遇のチャンス。日韓戦&モンゴル戦の見どころは

元川悦子スポーツジャーナリスト
代表定着へのビッグチャンスに直面する江坂任(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

厳格なコロナ防疫措置で、2019年以来の国内での代表戦開催

日本サッカー協会が3月下旬の実施に向け、準備を進めていた日本代表の韓国戦(25日=横浜)、2022年カタールワールドカップアジア2次予選・モンゴル戦(30日=千葉)、U-24日本代表のアルゼンチン戦(26日=東京、29日=北九州)の4試合。協会が厳格な防疫措置を講じることで入国特例が出て、開催が正式決定した。

 日本代表の海外組、対戦国も22日から入国可能になるが、所属先のある国・地域によっては日本への移動を認めないケースもあった。日本のメンバーでは、川島永嗣(ストラスブール)、長友佑都、酒井宏樹(ともにマルセイユ)らフランス勢は招集が叶わず、新型コロナウイルス陽性者がチーム内に出た原口元気、室屋成のハノーファー勢、シュミット・ダニエルらシントトロイデン勢も見送りという判断が下された。

国内組はベテラン回避。初招集8人・森保ジャパン初参戦1人というフレッシュな陣容

 こうした条件の下、森保一監督が選んだA代表メンバーは、吉田麻也(サンプドリア)、冨安健洋(ボローニャ)、遠藤航(シュツットガルト)、伊東純也(ゲンク)、守田英正(サンタクララ)、南野拓実(サウサンプトン)、鎌田大地(フランクフルト)、大迫勇也(ブレーメン)、浅野拓磨(パルチザン)の欧州組9人と国内組14人というメンバー。しかも国内組は初招集8人、森保ジャパン初参戦1人というフレッシュな陣容となった。

 今季のJリーグを見ると、ここまで5ゴールの38歳・大久保嘉人(C大阪)を筆頭に、34歳の家長昭博(川崎)、33歳の小林悠(川崎)、31歳の清武弘嗣(C大阪)らベテラン勢の活躍が目立つ。しかしながら、指揮官は「ベテランと言われる経験ある選手たちが今季、結果を残して輝きを見せていることは分かっている。だが、戦力の幅を広げ、底上げをしながら、先に向けて強いチームを作っていくのが私の考え方。経験の浅い選手に代表経験を積んでもらうことで個々のレベルアップやチーム強化を図っていくことを目指した」とあえて30歳以上の招集を回避。24~29歳の新顔にチャンスを与えたという。

24~29歳の国内組新顔は多士済々

 その顔ぶれを見ると、森保監督とともに「ドーハの悲劇」を味わった前川和也(FCバイエルン・ツネイシ総監督兼U-18監督)の息子である26歳の前川黛也(神戸)、昨季の川崎移籍で才能を開花させた27歳の山根視来、24歳の左利きサイドバック・小川諒也(FC東京)、柏レイソルの10番・江坂任は28歳、昨季のセレッソ大阪への個人昇格でブレイクした24歳の坂元達裕(*22日にケガで辞退し、脇坂泰斗=川崎が追加招集)らが名を連ねている。彼らに共通するのは、年代別代表の経験が皆無に近いこと。育成年代やプロ入り後に挫折を味わっている点も同じだ。

ドーハの悲劇経験者の父を持つ前川黛也

 前川はサンフレッチェ広島ジュニアユースに在籍していた中学時代まではDFだった。中3の時、コーチにGK転向を打診され、最初は悔し涙に明け暮れたが、普段サッカーの話をしない父に「それも1つの選択肢じゃないか」と言われ、気持ちが定まったという。けれども、ユースのセレクションには合格せず、広島皆実高校へ。さらに関西大学を経て、2017年にヴィッセル神戸入りを勝ち取った。プロ入り後も韓国代表のキム・スンギュ(柏)という高い壁にぶち当たり、彼の退団後は飯倉大樹が加入。なかなか定位置をつかめなかったが、2020年アジアチャンピオンズリーグを機に飛躍。今季は絶対的GKに君臨し、権田修一(清水)からも「最近は好セーブを連発している」と絶賛されるまでになった。

20代後半の大ブレイク・山根視来

 山根は小4から中学まで東京ヴェルディに所属していたが、トップ昇格が叶わず、茨城県にあるヴィザス高校へ。そこで2011年の東日本大震災に見舞われ、実家近くにあった桐蔭横浜大学に練習拠点を一時的に移すことになったという。その縁から高校卒業後は同大学に進み、2016年に湘南ベルマーレでプロキャリアをスタートさせるに至った。ただ、湘南でも1年目はほぼ試合に出られず、チームはJ2に降格。2017年のJ2でようやく試合に出始めた。そこからコンスタントに活躍し、1年でのJ1昇格、2018年YBCルヴァンカップ制覇の原動力になった。そして川崎に赴いた昨季はJベストイレブンを受賞。20代後半になって大化けした選手の好例と言っていい。

貴重な左利きのサイドバック・小川諒也

 小川は名門・流通経済大学附属柏高校出身。左足のキックは当時から注目されていた。2015年のFC東京入り後はすぐに出場機会を得たわけではなかったが、2年目から頭角を現し、同年4月にはU-23日本代表候補合宿に呼ばれた。が、手倉森誠監督(仙台)のお眼鏡にかなわず、2016年リオデジャネイロ五輪本大会のメンバー入りを逃した。その後は元日本代表・太田宏介(パース・グローリー)の存在もあって足踏み状態が続いたものの、2019年にようやくポジションを奪取。室屋や橋本拳人(ロストフ)が欧州移籍した2020年には絶対的主力と位置付けられた。本人は24歳でのA代表入りに「早くも遅くもない」と話していたが、恩師・本田裕一郎監督(現国士舘高校テクニカルアドバイザー)が「才能ある選手」と認めたように、実力をもっと早くから出していたら、2018年の森保ジャパン発足時から選出されていてもおかしくなかったのではないか。

成り上がり組の筆頭・江坂任

 江坂と坂元は下のカテゴリーから個人昇格してきた成り上がり組。まず兵庫県三田市出身の江坂は少年の頃から小川慶治朗(横浜FC)としのぎを削ってきた間柄だ。神戸ジュニアユースに合格し、中学から日の丸をつけ、柴崎岳(レガネス)や宇佐美貴史(G大阪)とともに「プラチナ世代」の一員だったライバルとは対照的に、自身は中学校の部活を経て、神戸弘陵高校、流通経済大に進んだ。「慶治朗には絶対、負けたくない」と思いながらサッカーに明け暮れたのだ。しかし、2015年の大学卒業時にオファーがあったのはJ2・ザスパクサツ群馬のみ。「1年でカテゴリーを上げるんだ」とそこでガムシャラに戦い、翌年には大宮アルディージャへ。10番をつけて大活躍し、2018年にはJ1・柏へステップアップした。「慶治朗と同じ舞台で戦えている」と当時の彼は喜んでいたが、30歳を前に長年の好敵手を超えたのである。

Jで相手から「包囲網」を敷かれる坂元達裕

 東村山市出身の坂元もFC東京U-15むさしからユースに上がれず、前橋育英高校に進んだ選手。むさしの仲間には渡辺剛(FC東京)、小泉佳穂(浦和)がいるが、当時は全員がそこまで目立つ存在ではなかったようだ。前橋育英時代には2015年正月の高校サッカー選手権大会で準優勝したが、目立っていたのは渡邊凌磨(FC東京)や鈴木徳真(徳島)の方。東洋大学に進んでから着実に力をつけたものの、2019年にプロ入りしたのはJ2のモンテディオ山形。ここでの活躍に着目したセレッソ大阪から誘いが来て、昨季ついにJ1デビュー。ロティーナ監督(清水)から高く評価され、右サイドのキーマンに君臨した。昨季は途中から「坂元包囲網」とも言うべき徹底マークに遭うようになったが、その壁を破り、今季はここまで2得点3アシスト。A代表に相応しい存在に上り詰めた。

回り道を強いられた年代別代表経験者の中谷、川辺、原川、松原

 彼らの紆余曲折ぶりもすごいが、年代別代表として公式大会に出たことのある中谷進之介(名古屋)、原川力(C大阪=*21日にケガで離脱。稲垣祥=名古屋が追加招集)、川辺駿(広島)と森保ジャパン初参戦の松原健(横浜)もこの領域に辿り着くまでに長い時間を要している。

 中谷は2012年AFC・U-16選手権(イラン)や2014年AFC・Uー19選手権(ミャンマー)に参戦した年代別代表の常連。2016年リオデジャネイロ五輪も予備登録になったが、世界舞台は遠かった。「かすりそうで、かすってないのが代表」と本人も苦笑する。

 彼と同じミャンマーで戦った川辺もJ2・ジュビロ磐田へのレンタルを経験しているし、原川力も同じ山口出身で京都サンガU-18の同期・久保裕也(シンシナティ)に比べて日陰を歩くことが多かった。松原健に至っては、2014年夏に就任したハビエル・アギーレ監督にA代表に抜擢されたものの、そこから6年半も日の丸から遠ざかった。

挫折を経験してきた人間の泥臭さをA代表に持ち込め!

「挫折を経験してきた人間の方が強い」と本田圭佑(ネフチ・バク―)も言っているが、彼らからは本当に逞しさと泥臭さが感じられる。こういう面々が果たして今回のA代表に新風を巻き起こしてくれるのか。そこが大いに期待されるところだ。

 新戦力にしてみれば、欧州組主力が何人か呼べず、堂安律(ビーレフェルト)や久保建英(ヘタフェ)らがU-24代表に回ったことで転がり込んできた千載一遇のチャンス。大久保や清武ら実績あるベテランも控えているのを考えると、ここで強烈なインパクトを残さなければA代表定着もW杯出場の道も開けてこない。苦労と努力を重ねてきた江坂や坂元らは今回の招集の意味がよく分かっているはず。だからこそ、22日の合宿初日から遠慮せずガンガン行ってほしい。

「国内組・雑草軍団」のサバイバルが今回の最大の見どころになりそうだ。

スポーツジャーナリスト

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から7回連続で現地へ赴いた。近年は他の競技や環境・インフラなどの取材も手掛ける。

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