【アルゼンチン代表】リオネル・メッシ。英雄マラドーナを超えるために。
数多のタイトルを獲得してきた。
だが、アルゼンチン代表のリオネル・メッシ(バルセロナ)に欠けているタイトルがある。それがワールドカップ制覇だ。
メッシにとって、アルゼンチンにとって、世界の頂に立つことはまさに悲願である。アルゼンチンが最後にW杯を制したのは、32年前に遡る。
■メッシの転機
メッシの転機になったのは、ジョゼップ・グアルディオラ監督との出会いだろう。
バルセロナのカンテラで育ったメッシだが、トップに引き上げられた頃はロナウジーニョ、エトー、デコらに囲まれたニューカマーに過ぎなかった。そんなメッシを、グアルディオラ監督が変えた。
グアルディオラ監督はファルソ・ヌエベ(ゼロトップ)と呼ばれる戦術を敷き、その中心にメッシを据えた。この戦術が生まれたのは、2008-09シーズンのリーガエスパニョーラ第34節、レアル・マドリー対バルセロナの一戦だ。グアルディオラ監督はこの試合の前半にCFのエトーと右WGのメッシのポジションを入れ替え、バルセロナは6-2で宿敵を粉砕した。
メッシはここからリーガでの得点数を伸ばしていった。2007-08(10得点)、2008-09(23得点)、2009-10(34得点)、2010-11(31得点)、2011-12(50得点)と明らかな変化が見て取れる。
■代表での苦しみ
チャンピオンズリーグ優勝4回、リーガエスパニョーラ9回、コパ・デル・レイ6回、UEFAスーパーカップ3回、スペイン・スーパーカップ7回、クラブ・ワールドカップ3回。メッシがバルセロナで獲得したタイトル数は32個に上る。
一方、代表でのタイトルは2005年のU-20世界大会制覇、2008年の北京五輪金メダルと世代別のものに限られる。
アルゼンチンは2007年のコパ・アメリカ、2014年のブラジルW杯、2015年のコパ・アメリカと過去3回主要大会で決勝に進出。しかし、いずれも準優勝に終わっている。
代表の強化に歯止めをかけているのは、サッカー協会内部での混乱だろう。ロシアW杯に向けた南米予選においても、アルゼンチンは2度の監督交代を断行しており、チームの戦い方を確立できないまま予選敗退の危機に陥った。
アルゼンチンが最終戦を残して6位に位置していたという事実を忘れてはならない。メッシがエクアドル戦でハットトリックを達成して3-1の勝利を収め、逆転で3位に滑り込んで本大会出場権を得たのである。
■マラドーナの存在
アルゼンチンについて語る時、一人の「英雄」の名前が必ず挙がる。それはディエゴ・マラドーナだ。
メッシはアルゼンチン代表で124試合64得点を記録している。得点数においてはバティストゥータ(54得点)、クレスポ(35得点)、マラドーナ(34得点)をすでに上回り、歴代最多得点者となっている。
だがマラドーナは1986年のメキシコ大会でアルゼンチンを優勝に導いた。5人抜きと神の手によるゴールを知らない者はいないだろう。
メッシのプレースタイルはその英雄と酷似している。小柄で左利き。ドリブル、スルーパス、決定力、攻撃面の能力はすべて一級品だ。それゆえに、マラドーナとの比較を避けられない。
両者を分け隔てているのはジュール・リメ杯獲得の有無のみだ。金色に輝くトロフィーを掲げた時、メッシは史上最高の選手の称号を手に入れる。