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東京五輪中止の可能性を外国メディアに代弁させる「黒船ジャーナリズム」という悪習

森田浩之ジャーナリスト
東京五輪の延期を報じた昨年3月25日付の主要各紙(写真:吉澤菜穂/アフロ)

新型コロナウイルスが猛威を振るうなか、東京五輪の開催の可否について外国メディアの悲観的な報道が相次いでいる。1月に入って、米タイム誌や英ガーディアン紙、米ブルームバーグ通信などが、大会開催の見通しに疑問を投げかける記事を立て続けに発信した。

1月15日には大本命が登場した。米有力紙ニューヨーク・タイムズが、東京五輪中止の可能性に言及する記事を公開したのだ。

世界で最高の知名度と権威を誇る新聞と言ってもいいニューヨーク・タイムズの記事だったためだろう。日本の共同通信はその要旨を紹介する記事を配信し、主要紙の多くがそれを掲載した。ツイッター上には「ついにニューヨーク・タイムズ出てきたか」「日本のメディアと違って忖度がいらないから、ここまで書けるんだな」「外国の報道で自分の国の実情を知るなんて北朝鮮かよ」といった投稿が相次いだ。

ここで注目したいのは、ニューヨーク・タイムズの記事自体ではない。外国メディアによる日本についての報道を国内向けに再発信する日本メディアの姿勢のほうだ。

これまでも日本では、国内メディアが及び腰になっている問題を外国メディアが報じたとき、それがニュースになることが少なくなかった。自分たちに書けないことを外国メディアが書いたという事実そのものをニュースにする──「外圧」に頼るような記事作りであり、さしずめ「黒船ジャーナリズム」とでも呼びたいものだ。

外国メディアに大切なことを代弁させる「黒船ジャーナリズム」は、日本メディアの足腰の弱さの裏返しと言える。日本メディアは「黒船」の力を借りずに、独自の論陣を張るべきだ。東京五輪開催の可否をめぐっては、タイムリミットも刻々と迫っている。

NYタイムズが書いた当たり前のこと

これまで日本の主要メディアは、東京五輪中止の可能性にきちんと言及していなかった。そのためもあって、ニューヨーク・タイムズの報道を紹介した共同通信の記事は大きな反響を呼んだ。同時に一部の読者には「なぜ国内メディアにはこういう記事が書けないのか」という疑問を抱かせることになった。

ではニューヨーク・タイムズの記事のいったいどこが、日本の新聞記事とは違うのか。実際に英文の記事にあたって検証してみたい。

記事に盛り込まれている細かな事実は、すべて国内メディアも伝えているものだろう。最近の世論調査で今夏の開催見直しを求める声が約8割を占めたこと、それにもかかわらず組織委員会の森喜朗会長が「絶対開催できる」という姿勢を崩していないこと、IOCの古参委員が「開催は確実ではない」と述べたこと、IOCと組織委には大会参加者に新型コロナのワクチン接種を義務づける考えはないこと……。

東京五輪の問題に関心のある人なら、どこかで見聞きしたものばかりだ。ニューヨーク・タイムズはとくに特ダネを書いたわけではない。

しかし、ニューヨーク・タイムズの記事にあって日本メディアの報道にないものがひとつある。それは記事の冒頭に書かれた「東京五輪の開催計画は日ごとに不確実なものになっている」という一文だ。

たったひとつの文だが、これがあるとないとでは記事の価値が大きく変わる。この一文は記事の結論であり、ニューヨーク・タイムズの視点だ。後に続く文章はすべて、この結論の一文をサポートするために書かれている。

日本の主要メディアの報道には、この一文に当たるものがない。どれだけ新型コロナが猛威を振るっても、今までは東京五輪は開かれるという前提でものごとが語られることがほとんどだった。まるでコロナ禍の存在しないパラレルワールドの新聞を読んでいるような錯覚にさえ襲われた。

考慮すべき国内メディアの事情

では、なぜこの結論の一文がニューヨーク・タイムズにはあって、日本の新聞にはないのだろうか。理由のひとつは、記事の作られ方の違いだ。

外国メディアは国内メディアのように、東京五輪にからんで何か事が起こるたびに記事にするわけではない。「森会長がこう発言した」というだけの記事は書かないし、開催への賛否を問う世論調査結果だけを伝えることもしない。

そのため外国メディアが東京五輪開催の可否を扱うとき、記事はそこそこまとまった分量になる。ニューヨーク・タイムズの記事も、東京五輪の問題点をめぐる経緯を俯瞰した中くらいの特集記事と言っていい。ふんだんに字数を使っており、英文で約1000ワードある。雑誌にすると1ページ半から2ページを占めるくらいの分量だ。

これだけ字数を使えるなら、問題の経緯をていねいにたどり、そこから導き出される結論をしっかり書ける。ニューヨーク・タイムズの記事に明確な結論があり、断片的な事実を伝える国内メディアの短い記事にそれがないのは、ある意味で当然とも言える。この点をまったく考慮せずに「書くべきことを書いていない」と国内メディアを批判するのは、いささか酷かもしれない。

次の「黒船」を待つ余裕はない

そうはいっても、問題の核心に迫る報道を外国メディアに頼る「黒船ジャーナリズム」が日本のメディアに以前からあったことはまちがいない。もしかすると、この手法は日本特有のものかもしれない。アメリカやイギリスやフランスで、あるいはドイツやオーストラリアで、「わが国のこの問題が日本の新聞にこう報じられた」というニュースが流れるとは、まず考えられない。日本人の「欧米崇拝」が支えている現象のようにも思える。

いずれにしても、日本のメディアが東京五輪開催の可否について、はっきりとものを言うべきときに来ていることは確かだ。予定される開幕日まで、もう180日あまりしかない。3月には福島から聖火リレーが始まることになっている。次の「黒船」を待っている余裕はないだろう。

国民の約8割が望まない五輪を開催すべき理由はひとつもない。世界の新型コロナ感染状況をみても、2021年にスポーツ界最大のイベントを開けると信じる根拠はない。そんな大きなイベントを、成人式も開けなかった国で開催できると、いったい誰が思うだろう。

日本のメディアは、東京五輪の開催可否報道についてタイムリミットを意識すべきときに来ている。IOCや政府や東京都や組織委員会にできるだけ早期に決断を迫ることができれば、浪費される時間も資金も少なくなるはずだ。

殻を破った通信社の記事

国内メディアの姿勢にも、変化の兆しが表れているのだろうか。この原稿を準備していた1月17日に、時事通信がこれまでの国内メディアの殻を破るような記事を発信した。

東京五輪、コロナ猛威で暗雲 高まる中止論、春がヤマ場 ワクチン頼みも見通せず」というタイトルのこの記事は、ニューヨーク・タイムズの記事と同じく、冒頭に「東京五輪・パラリンピックに暗雲が垂れ込めている」とはっきり結論を書いている。そのうえで組織委員会の森会長が周辺に悲観的な見方を打ち明けたことや、自民党内に「中止やむなし」とする空気が高まっていることなど、最近の取材で得たと思われる材料を提示し、しっかりサポートしている。

書かれて当然の記事ではある。だが、今まで日本メディアが入り込まなかった領域にようやく踏み込んだ記事として大いに評価できるだろう。

次は東京五輪の「オフィシャルパートナー」という契約を結んだ協賛企業である朝日、毎日、読売、日経の各紙がこの記事に続くことを期待したい。

ジャーナリスト

メディアやスポーツ、さらにはこの両者の関係を中心テーマとして執筆している。NHK記者、『Newsweek日本版』副編集長を経てフリーランスに。早稲田大学政治経済学部卒、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)メディア学修士。著書に『メディアスポーツ解体』『スポーツニュースは恐い』、訳書にサイモン・クーパーほか『「ジャパン」はなぜ負けるのか──経済学が解明するサッカーの不条理』、コリン・ジョイス『新「ニッポン社会」入門』などがある。

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