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羽生結弦が「絶対メディア王者」である理由──進化が止まらない「言葉たち」の裏側

森田浩之ジャーナリスト
全日本選手権で5年ぶりの優勝を果たした羽生結弦(写真:森田直樹/アフロスポーツ)

「絶対王者」羽生結弦が帰ってきた。彼にとっては320日ぶりの実戦となった12月25〜26日の全日本選手権。今シーズンの初戦であり、しかもショートプログラムとフリーの両方で新しいプログラムに挑むというハードルがあったにもかかわらず、羽生は圧巻の演技を見せて優勝を果たした。オリンピック2連覇を遂げても、なおアスリートとしての進化を続けているかにみえた。

しかし、羽生が進化しているのはフィギュアスケートの演技だけではない。テレビカメラの前での振る舞いや、記者会見での言葉の選び方といったメディア対応の力に、いっそう磨きがかかっていた。

いや、「いっそう」などという形容では足りないだろう。最近のアスリートはおしなべてメディアとのつき合いが上手だが、もともと羽生のメディア対応力はそのなかでもずば抜けていた。その高い能力に、今大会ではすごみが加わったように思える。

羽生をそうさせた大きな要因は、いま世界を覆っている新型コロナウイルスの感染拡大であり、そのなかで羽生自らが闘ってきた道のりだった。

高すぎる「言葉力」

英語に「メディアジェニック(mediagenic)」という言葉がある。「メディア映えする」といった意味だが、以前から羽生はこのメディアジェニックな偏差値がとんでもなく高かった。

演技を終えた後の表情や視線、観客に向けての会釈などはもちろんのこと、採点を待つ「キス・アンド・クライ」での振る舞いや、テレビカメラを前にしたときの話の仕方など、羽生のあらゆる所作には多くの人を引きつけるものがあった。

けれども羽生のメディア力で最強なのは、おそらく彼の持つ言葉の力だろう。羽生には、その発言を集めた本が何冊も出ているくらい「名言」とされるものが多い。なかでも舌を巻くもののひとつは、2014年12月にグランプリファイナルで連覇した後の会見での言葉だ。

記者からの問いは「わが子を羽生選手のように育てたいというお母さんが多いのですが、どうしたら羽生選手のように育つと思いますか?」というもの。正面からは答えようのない困った質問だ。しかし羽生は巧みに論点をそらしつつ、こんな答えをしてみせた。

「僕は『僕』です。人間はひとりとして、同じ人はいない。十人十色です。僕にも悪いところはたくさんあります。でも悪いところだけではなくて、いいところを見つめていただければ、(子どもは)喜んで、もっと成長できるんじゃないかと思います」

「わが子を羽生選手のように育てたいというお母さんが多いのですが」という質問は、羽生を日本人のロールモデルとみなしている。その問いへの答えに、「僕にも悪いところはたくさんあります」という、自分を等身大に見せる表現がさらりと入っているところに「言葉力」のとんでもない高さが感じられる。

「世の中」を連発した裏側

そんな羽生のメディア対応力に、今大会は少しだけ違う様子が見えた。大会の直前から期間中を通じてテレビ画面から羽生の言葉を聞き続けていたが、彼が何度も繰り返して口にし、最も重く響いたのは、コロナ禍にからむ発言に聞かれた「世の中」という言葉だった。たとえば、こんな感じだ。

「最初はピアノ曲を探していたけど、ニュースや世の中の状況を見て、やっぱり明るい曲のほうがいいなと。こんなつらい状況でも、みなさんが自分のスケートを見てくださる。ちょっとでも明るい話題になればいいな」

──ショートプログラムを終えた後、この演技にロビー・ウィリアムスの躍動感のある曲「レット・ミー・エンターテイン・ユー」を選んだ理由を聞かれて。

「今この世の中、つらいこと苦しいこと……毎日テレビを見てて、つらいなとか、明るいニュースがないなとか思う方もいるかもしれません」

──フリーを終えた後のテレビインタビューで。

「世の中」という言葉を連発した裏には、並々ならぬ思いがあっただろう。羽生は、「世の中」に元気を与えるために演技の選曲や振り付けの哲学をどう考えたかまで語っている。いまアスリートは、ふつうに「(世の中に)元気を送りたい」「感動を届けたい」などと口にするが、それとはレベルが違うものだ。自分が何か決然とした行動を起こせば「世の中」に一石を投じられることを、今の羽生は知っている。

コロナ禍に対する徹底的なまでに慎重な姿勢は、今大会での発言だけではない。羽生は今シーズン、新型コロナの感染拡大を理由にグランプリ(GP)シリーズを欠場していた。ぜんそくを抱える自分の健康面へのリスク、移動による感染リスク、そして自分が動くことによって「多くの人たちが移動することになる」というリスクを考慮した判断だった。

「東京五輪ができていない」

今大会の羽生の言葉のなかでもとくに注目したいもののひとつは、東京オリンピックの開催の可否に触れたように聞こえるくだりだ。優勝を決めた後で合同取材に応じた羽生は、最初に「来年3月の世界選手権はめざすとして、その先、つまり北京五輪はどうするのか」という趣旨の質問をされた。羽生は「まずは世界選手権があるかどうかが最も大事なこと。GPを含め、どうなるか。その先はまだわかんないです」と答えた。

さらに彼にとっての北京五輪の位置づけを聞かれて、羽生はこう答えた。

「率直に言うと、東京(五輪)ができていない。僕の思いとしては五輪のことを考えている場合じゃない。スケーターのひとりとして言えば、競技の最終目標として開催してもらいたいし、出て優勝したい思いはもちろんある。ただ、東京すら開催されていない現実がある」

「東京(五輪)ができていない」という表現は、2020年に予定されながら1年延期となり、しかも21年の開催が確実視されていない東京五輪の現状への危惧を率直に表したものとも受け取れる。アスリートが社会的発言を控えがちな日本で、自国開催のオリンピックが成立するかどうかという点に率直に言及した著名な選手は、羽生くらいではないだろうか。

時代のメッセンジャーとして

今大会の羽生は、自らの影響力を認識して、とりわけコロナ禍にからむメッセージを発しようとしていたかにみえた。彼のメディアジェニックな能力の高さは、そうした意思によってさらに研ぎ澄まされた。

「絶対王者」と呼ばれつづけたスーパーアスリートは、まだ進化を続けている。同時に「絶対メディア王者」である羽生は、その面でも同じように進化している。いま世界を覆っている危機に反応し、それに応じて自らの演技を考えた。そして本人が意識するとしないとにかかわらず、メディアを通じて発する言葉にも今の世界を覆う危機への思いを色濃くにじませることになった。

そんな彼の姿は、もはやアスリートという枠にとどまらず、大切なメッセージを伝えるためにどこからかやって来た使者のようでさえあった。

羽生が自ら発する言葉に無自覚なはずはない。その証拠に今大会の優勝を決めた直後、羽生はこう語っている。

「暗い世の中、暗いトンネルの中、絶対いつかは光が射すと思うので。そういうものも自分の演技から、言葉たちから、感じていただけたらと思います」

そう、羽生にとって世の中とつながる手段は「演技」だけではない。「言葉たち」も大きな媒介なのだ。

ジャーナリスト

メディアやスポーツ、さらにはこの両者の関係を中心テーマとして執筆している。NHK記者、『Newsweek日本版』副編集長を経てフリーランスに。早稲田大学政治経済学部卒、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)メディア学修士。著書に『メディアスポーツ解体』『スポーツニュースは恐い』、訳書にサイモン・クーパーほか『「ジャパン」はなぜ負けるのか──経済学が解明するサッカーの不条理』、コリン・ジョイス『新「ニッポン社会」入門』などがある。

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