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「鎌倉殿の13人」で存在感高まる八田知家、全国にいる「八田」さんの祖か

森岡浩姓氏研究家
小田城跡歴史広場と宝篋山(写真:イメージマート)

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で市原隼人演じる八田知家(はった・ともいえ)。

登場したのは遅かったが、北関東を治める御家人として次第に登場回数も増え、北条氏や比企氏とは一線を画してその重要度を増している。

八田知家のルーツ

この八田知家は常陸国(現在の茨城県)の有力武士。

藤原北家の出で、生まれは下野国(現在の栃木県)の有力一族である宇都宮宗綱の四男である。源頼朝に従い、北条時政とともに常陸国(現在の茨城県)の有力武家大掾(だいじょう)氏一族である多気義幹(たけ・よしもと)を討って常陸国に転じ、真壁郡八田(現在の筑西市八田)を本拠として八田氏を名乗ったといわれている。

知家は源頼朝の乳母の一人である寒河尼(さむかわのあま)の弟にあたることから重用され、頼朝没後の13人の合議制の一人にも選ばれた。ドラマ中では、所領内に流された阿野全成を討った場面が大きな話題を呼んだ。

ところで、このドラマに登場する武士の多くは、その名字の祖か、或いはそれに近い立場の人が多いが、八田知家は現在の「八田」さんとどういう関係にあるのだろうか。

知家は文治5年(1189)に常陸守護となり、その後近くの小田(現在の茨城県つくば市小田)に小田城を築城してこれに拠った。そのため、知家の嫡男知重は小田氏を名乗り、以後子孫は戦国時代まで常陸の有力一族として活躍した。従って、八田知家を祖とする「八田」さんは多くないと思われる。

因みに、知家の三男知基は茂木(もてぎ)氏、四男家政は宍戸氏の祖となっている。

現在の「八田」さんのルーツ

では、現在の「八田」さんのルーツはなんだろうか。

実は、古語で新たに田を開墾することを「墾(は)る」といい、開墾した水田を「はりた」といった。こうした水田の所有者が「はりた」さんで、名字では「張田」「針田」「播田」などと書かれた。

そして「はりた」は、次第に「はるた」や「はった」にも変化した。「はるた」は「春田」「治田」と書かれ、「はった」は「八田」「初田」「発田」などの漢字があてられた。

こうした「はりた」「はるた」「はった」は各地で地名にもなったことから、「八田」さんのルーツは全国各地にあるといえる。

現在、「八田」という名字は沖縄以外に広く分布、とくに関西から北陸にかけて多く、京都では「はちた」と読むこともある。

姓氏研究家

1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」「日本名門・名家大辞典」「47都道府県・名字百科」など多数。2017年から5年間NHK「日本人のおなまえ」にレギュラー出演。

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