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36年目で初めて経験!  夏の甲子園実況の夢かなう!?

森本栄浩毎日放送アナウンサー
アナ生活36年目で初めて、夏の甲子園を実況することに。夢が叶った(筆者撮影)

 甲子園の高校野球を中継できる放送局は3つしかない。NHKとABC(朝日放送)、そして毎日放送(MBS)だけである。NHKは、春夏の大会を。夏の甲子園のABCとセンバツの毎日放送は、地元の民間放送局として、長く甲子園の高校野球を中継してきた。ところが、今回のコロナ騒動でセンバツが中止になり、夏の甲子園開催も断念せざるを得なくなった。球児たちと同じように、われわれ放送局も「甲子園」を奪われたのである。

「約束」は守られた

 6月10日、テレワークで「高校野球黄金時代を振り返る」の番外編を掲載した直後、テレビの速報が、「センバツ出場32校を甲子園に招待して交流試合」と伝えた。3月11日のセンバツ中止決定の際、主催の日本高野連と毎日新聞社は、「(コロナが)終息すれば何らかの形で甲子園を経験させたい」と話していたが、その「約束」が守られたのである。甲子園を本拠地にする阪神が、本来なら高校野球が開催されている期間、甲子園を空けた試合日程を組んでいたため、何らかのアクションがあると期待していたが、この粋な計らいに胸が熱くなった。阪神は、甲子園の土を全国の高3球児に届けることも発表していたが、さすがは名門球団である。

「夏の甲子園」初めて実況

 さて、このセンバツ出場校による「2020年甲子園高校野球交流試合」は、1回戦のみの16試合で、優勝校は決まらない。放送局は、NHKとABC(系列のBS朝日含む)が生中継を行い、毎日放送は「センバツLIVE」でネット配信することになった。原則、無観客の16試合だけにもかかわらず、これだけの中継態勢はきわめて異例で、朝日系列と毎日系列が相乗りして(規模は違うが)甲子園の高校野球を伝えるのは、初めてのことである。したがって、春の甲子園しか実況したことのない筆者にとって、「夏の甲子園」を実況するのも初めての経験になる。

センバツには深くかかわる

 筆者は、入社2年目の1986(昭和61)年のセンバツで、甲子園の実況デビューをした。アナ生活36年目で、センバツは35回にわたって、かかわっている。よく「春よりも夏の甲子園を実況したかったのでは?」と言われる。否定することはないが、肯定もしない。春にはセンバツにしかない良さがあり、夏の大会は好きなように見られるメリットがあるからだ。ご存じのように、センバツはスパンが非常に長い。秋の新チームスタートから、各地区大会を経て、大体の出場校がわかる。選手たちは期待に胸膨らませ、冬を過ごす。そして、1月下旬の選考会で出場校が決まり、さらに2か月近く経って、ようやく夢の甲子園に立てる。その期待感を共有できることがセンバツの良さであり、ありがたいことに「キャプテントーク」や「抽選会」などの行事にも、長年、深くかかわらせてもらっている。

夏の甲子園実況は長年の夢

 対して、夏の甲子園は、全ての都道府県から代表校が集結する。地方大会から徐々に盛り上がる高校野球熱は、夏の甲子園で完結することになる。伝える側に立つと、ここで自分の意志を押し通すことはできない。仕事が割り当てられるからだ。そうなると、センバツで担当の直前の試合は、取材や準備で見ることができないのと同じで、大事な試合やシーンを見逃す可能性がある。熱気や感動を肌で感じるには、実際に球場へ足を運ぶしかない。夏の期間、観戦試合を自由意志で決められるのはありがたいことである。しかしながら、「感動を自分の言葉で伝えたい」と思うのは、アナウンサーの悲しい性。夏の甲子園で感動的なシーンに出合うたびに、「羨ましい」と思ったことは一度や二度ではない。本来ならあり得ない話なのであるが、夏の甲子園実況は、長年の夢だった。

夢の実現に胸躍る

 センバツが幻となって落胆していたところでの、降ってわいたような夢の実現に、胸躍る日々が続いている。しまい込んでいたセンバツ用の資料も取り出した。ラジオやユーチューブ配信での「高校野球特番」も予定されている。明らかに、いつもとは違う夏だ。担当試合も決まった。すべての試合が見られるように第1試合ばかり希望したら、好カードが続出し、同僚に恨まれやしないかと心配?している。

高校野球の伝統つなぐ32校

 今回は32校が1試合だけのわずか16試合(例年なら少なくとも79試合)しかないが、彼らは、高校野球の伝統を次の世代へつなぐために、甲子園で戦うことを許された。これで甲子園の高校野球は空白にならずに済む。勝っても負けても最初で最後の甲子園。彼らにとっては、甲子園の決勝を戦うのと同じだが、そこには勝敗を超越した重みがある。筆者も、そのつもりでマイクの前に座ろうと思っている。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

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