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劇的サヨナラ   平安甲子園100勝の大偉業!

森本栄浩毎日放送アナウンサー
龍谷大平安がサヨナラ勝ち。これで史上2校目の甲子園100勝となった(筆者撮影)

 「100回大会で100勝。これは絶対、絶対にやる」。龍谷大平安(京都)の原田英彦監督(58)は、夏の京都大会前からそう公言し、ナインだけでなく 、自らにもプレッシャーをかけ続けていた。それにしても苦しい試合だった。その思いが、サヨナラ勝ちの瞬間、一気に噴き出した。とめどなく流れ出る涙を何度もタオルでぬぐい、指揮官は選手たちに感謝した。

原田監督は涙が止まらず

 「ホント、嬉しかった。よく打ってくれた。勝ちたかった、ホント、勝ちたかった」。

原田監督(手前)は、終了直後から涙が止まらなかった。何度もタオルで目頭を押さえていた(筆者撮影)
原田監督(手前)は、終了直後から涙が止まらなかった。何度もタオルで目頭を押さえていた(筆者撮影)

テレビのインタビュー台に上がっても、タオルを手放せず、声を振り絞るたびに目頭を押さえる。「(プレッシャーは)当然あったが、100勝を絶対にしてやろうと。選手がよくやってくれた。いいプレゼントをしてくれた」。土曜日のスタンドは、超満員に膨れ上がり、勝利の校歌を歌い終えた選手たちは、「V100」の人文字も飛び出した応援団の前で勝利の報告をした(タイトル写真)。たかが1勝されど1勝。しかし史上2校目の大偉業達成に、生みの苦しみが伴うのは当然のことだった。

あっさり先制もエースが苦闘

 初回、3番・松本渉(3年)の三塁打であっさり先制するが、その後、平安の攻撃が手詰まりになる。「4点差をつけよう」という原田監督の思惑は外れ、2-0で終盤戦へ。最速147キロの速球を軸に7回まで4安打無失点と力投していたエース小寺智也(3年)に異変が生じる。「足がつったようになって、球が浮きだした」(原田監督)小寺は8回、鳥取城北打線に3安打を集中され、同点に追いつかれる。ここは原田監督が迷わず左腕の北村智紀(3年)を送り、北村は冷静に後続を断った。

9回2死無走者からサヨナラ

 延長突入かと思われた9回裏2死から、平安は1番・水谷祥平(2年)が四球で出塁。続く安井大貴(3年)の2球目と5球目に二盗、三盗を決め、一気にサヨナラのムードが高まる。

サヨナラ打を放った安井は、「水谷の盗塁が勇気を与えてくれた」と後輩に感謝した(筆者撮影)
サヨナラ打を放った安井は、「水谷の盗塁が勇気を与えてくれた」と後輩に感謝した(筆者撮影)

場内が騒然とする中、安井はフルカウントからの内角球をとらえた。「ちょっと詰まったが、詰まった分だけ切れなかった」(安井)打球は、平安のOBやファンの思いを乗せて、左翼線ギリギリの芝の上で弾んだ。「打球は見えなかったが、(次打者の)松本さんがガッツポーズをしていたので勝ったと思った」と水谷がサヨナラのホームを駆け抜け、「100回の節目で100勝」という大偉業が達成された。

重い十字架から解き放たれ

 「先輩たちがつないでこられた記録。絶対に負けられない」とサヨナラ打の安井が話せば、主将の松田憲之朗(3年)も「100勝をするために甲子園に来た」と、1勝の重みをかみしめた。原田監督の、「まだ、次のことは考えられない。それくらいこの試合に集中していた」というのは本音に違いない。一昨年センバツ準決勝で智弁学園(奈良)に逆転サヨナラ負けを喫して以来、「100勝」の重い十字架を背負い続けてきた指揮官は、取材が終わって知己から握手攻めにあうと、ようやくホッとした表情を浮かべた。次の目標はあと「2」に迫った京都勢の通算200勝。ここでそれを言うのはやめよう。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

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