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ふるさとを実感したい夏   甲子園100回大会に寄せて  

森本栄浩毎日放送アナウンサー
いよいよ23日、節目の100回目の夏の予選がスタートする(昨年開会式・筆者撮影)

 甲子園を目指す全国の予選のトップを切って23日、沖縄と南北・北海道で球音が響く。いよいよ夏の100回、節目の大会のスタートだ。順調に予選が進めば、7月29日に出場56校が決まる。高校野球史上最多、56代表による「夏の祭典」は8月5日(日)に開幕し、21日の決勝で歓喜の雄たけびを上げるのはどのチームだろうか。

今大会は最多の56代表

 今大会の出場56校は史上最多になる。これまで80回、90回の記念大会で55校が出場していた。従来の北海道と東京に加え、予選参加校の多い千葉、埼玉、神奈川、愛知、大阪、兵庫を2代表にしていたのだが、今回は福岡から初めて2代表が夏の甲子園に出場する。従来の49校でも、記念大会の55校でも奇数なので、必ず初戦が不戦になるチームが出る。56校だと100回にふさわしい豪華感が出せる上、数字もキリがいい。

「1県1校」機に国民的行事に

 100回の歴史を紐解いてみると、高校野球の歴史が大きく変わったのは40年前の60回大会からだ。それまで全都道府県から必ず出場できたのは5年ごとの記念大会だけで、県によって出場回数に大きな差があった。出場しなければ、優勝はもちろん、勝つチャンスすら与えられない。センバツではいまだに不公平感があるが、夏の大会も以前はいわゆる「機会均等」ではなかった。多くの国民が高校野球でふるさとを実感してきたが、今でもセンバツで、「郷土の代表が出ない年は楽しみが少ない」というファンもいるのでは?高校野球の人気が上がり、甲子園は国民的行事と言われるようになるために、「1県1校」は必須だったのである。

野球留学は以前から

 そのおかげで、高校野球のレベルは格段に上がったように思う。と同時に、弊害も頭をもたげ始める。予選参加校が一時、200校を超えていた神奈川に比べ、鳥取のそれは8分の1にすぎない。競争率の不公平感である。そこで出てきたのが「野球留学」だ。1県1校以前にも野球留学はあった。ただし、都市部の選手が、より出場しやすい県の私学にこぞって行くような現在の状況とは少し違う。全国優勝を狙える都市部の強豪私学に、敢えて地方から志願して進学するパターンだ。地元の高校に進めば確実に主力として活躍できるにもかかわらず、である。昭和40年代の東海大相模(神奈川)やPL学園(大阪)にはそうした地方出身の猛者たちが何人もいた。

40年で公立はわずかに

 この40年間の高校野球の変遷は、次の数字がはっきり物語っている。40年前「29」、昨年「8」。これは全出場校に占める公立の割合である。いずれも出場は49校。つまり分母が同じなので単純に数字として比較できる。ちなみに昨年の公立8校は、史上最少数だった。もちろん、41私学が全て野球留学生のチームではない。また、県外の選手でも、自宅から通っている選手は野球留学には当たらない。しかし、レギュラーに一人も地元選手がいなければ、これは野球留学生チームと言われても仕方あるまい。

レベル向上も実際は「?」

 近年、北海道、東北や、北信越などの寒冷地のチームが決勝に進出したり上位に顔を出すようになって、地域間のレベル差がなくなったと言われるが、厳密にはそうとも言えない。都市部以外の甲子園常連私学には、読者がイメージされるような野球留学生で固めたチームが少なくない。半ば甲子園出場が約束されたような高校に、首都圏や関西の強豪少年野球チームから多くの選手が進む。地元選手がいないわけではないが、先進的な野球を叩き込まれた都会の選手たちに埋没させられてしまうのはやむを得ない。当然、このような私学に地元の公立が太刀打ちできるはずもなく、同じような高校が代表の座を長く独占している県もかなりある。つまり、県としての成績は上がったように見えても、実際その県のレベルが上がっているわけではない。

野球留学で県のレベルを上げるには

 ここまで書くと、私がバリバリの野球留学生排除論者のように思われるかもしれないが、そうではない。チームの成り立ちや、地元との共存があれば野球留学生によって県のレベルは確実に上がる。ただ、それには条件がある。まず、チームの成り立ちで言えば、レギュラーに何人かは地元選手が必要だ。その県のトップ選手と、洗練された都会の選手の野球を融合すれば、必ず地元の子どもたちが憧れるチームを作れる。甲子園で地元選手が活躍すればなおさらだ。そのためには、地元の有望中学生がこの高校に進みたいと思うような環境を作らないといけない。疎外感を与えると、地元の子どもたちの心は確実に離れていく。

「共存」には二つの意味が

 次に、地元との共存であるが、これには二つの意味がある。まず、地元(地域)の人たちから支持されること。そしてもう一つは、地元のチームが野球留学生のチームと互角に渡り合うことである。野球留学生といっても高校生。まだまだ子どもだし、毎朝、元気のいい挨拶をされたら、誰でも親近感がわく。また選手も、その県で頑張ると決めた以上、県の代表として戦う自覚と地元への愛着を持つ必要がある。近年の傾向として、特定のチームが甲子園を独占している県には、対抗できるチームが見当たらないことが多い。野球留学生で占められた強豪私学を頂点とする県では、そのチームを目標に互角に渡り合えるチームが出現すれば確実にレベルは上がる。それが公立であるに越したことはないが、私学でも構わない。ただし、地元の野球をできるチームでないと意味がない。野球留学生チームは、基本的に都会の野球をする。地元の野球で通用すれば、その県の野球が全国で通用することにつながると確信している。野球留学生が地元に溶け込んで、いい影響をもたらしている県もないわけではない。

甲子園で「ふるさと」実感したい夏

 予選の球音は、ほどなく全国に広がる。地元のファンが心から応援し、子どもたちが憧れるようなチームが何校、甲子園に姿を見せるだろうか。そんな「ふるさと」を実感できるチームに巡り合いたい。私は、この100回という節目を機に、高校野球の原点に立ち返ろうと思っている。そして、野球レベルの向上と引き換えに失われた高校野球と地元とのつながりが、全国のファンの間で再び見直されることを期待している。100年後も、高校野球でふるさとを実感する人が必ずいるはずだから。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

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