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神宮大会観戦記  いざ センバツへ!

森本栄浩毎日放送アナウンサー
シーズン終了を告げる神宮大会は明徳義塾が優勝。来年は春夏ともに記念大会となる

 神宮大会を観戦した。甲子園の高校野球は45年にわたって見てきたが、恥ずかしながら神宮を本格的に観戦するのは初めてだった。高校の部に出場する10校は、秋の大会の地区優勝校であり、翌年センバツにはよほどのことがない限り顔を揃える。しかし、『本番』の甲子園を前に戦うこの「プレセンバツ」にどんな意義があるのだろうか。

神宮大会の変遷と複雑な思い

 それにはまず、大会の歴史を振り返ることから始めなければならない。

土日は一万を超える観衆で大盛況の神宮。高校と大学の試合を続けて見られるのも貴重(筆者撮影)
土日は一万を超える観衆で大盛況の神宮。高校と大学の試合を続けて見られるのも貴重(筆者撮影)

神宮大会は1970(昭和45)年に大学の招待試合として始まって、今年で48回。高校が参加するようになったのは第4回からで、当初は現在のような地区優勝校ばかりの大会ではなかった。地区大会開催時期の関係もあって、わざわざ神宮大会出場決定試合を行っている地区もあったりしたものだ。私の記憶では、近畿の代表が近畿大会出場校であったことはなかったと思う。それが2000(平成12)年から現在のような地区優勝校勢揃いになり、その2年後には翌センバツで大会優勝校が所属する地区に1校を増枠する「神宮枠」が設けられたことで、俄然、注目されるようになった。地区大会優勝校による「プレセンバツ」として大会の価値は一見、上がったように思えるが、甲子園を前に「本番」でも対戦する可能性がある相手に手の内を明かしてしまっていいものか。「神宮枠」と言っても自分たちに恩恵があるわけでなし、ましてや同県のライバルに甲子園出場の可能性を与えてしまうかもしれない。客観的にはさまざまなことが想像できる。実際に取材しても、指導者が口にできるような言葉ではないし、このような思いをすべてのチームが持っているとも思わない。しかし、全チームが神宮で全力を尽くしたと言えるだろうか。

神宮優勝校はセンバツで優勝できない

 「神宮枠」ができてから、これまでに翌年のセンバツで優勝したチームはない。つまり、「神宮優勝校はセンバツで優勝できない」というジンクスは敢然と存在しているのだ。昨年の高松商(香川)、今春の履正社(大阪)があと一歩に迫ったが、準優勝に終わっている。優勝校勢揃いとなってからでも、01(平成13)年の報徳学園(兵庫)が唯一、センバツ覇者となっているだけで、神宮優勝は大きな重荷になっている。ちなみにこのときの報徳は非常に強いチームで、エースの大谷智久(ロッテ)を神宮では温存。手の内を見せずに神宮を制して、センバツでも優勝した。

大学は4年生最後 高校は新チームの大会

 あとひとつは、大学の部とのモチベーションの差が挙げられる。大学は、神宮を主戦場にしている東京六大学と東都の秋季優勝校は単独枠を有し、そのほかは地区の優勝校同士が予選を勝ち抜いて出場権を得るが、招待試合であることに違いはない。しかし、4年生にとっては最後の大会であり、春の大学選手権同様に選手たちの思いは強い。37年ぶりに優勝した日体大は、監督や多くの選手が歓喜の涙を流したことからもわかる。逆に高校は3年生不在の新チームの大会で、技術も体力も精神状態も、まだまだ発展途上。秋の地区大会でできなかった投手継投や新しい打順を「試した」チームもある。多くのチームが伸び伸びと戦っていた印象で、敗退した指導者の大半が、「課題がはっきりした。この負けをこれからどう生かしていくか」と口にした。負ければ悔しいに決まっているし、負けてもいいと思って試合をしたチームはない。ただし、この言葉には、「あくまで本番は甲子園」という思いが色濃く滲み出ている。

神宮大会に3年生を

 個人的な意見であるが、神宮大会を高校最後の大会にできないものかと思っている。現在は10月の国体が最後の大会であるが、それよりもあとの大会まで3年生を引っ張ることに抵抗があるのは間違いない。しかし国体は夏の選手権の上位校だけしか出られない。ここを思い切ってセンバツと夏の決勝進出校を軸に、全国にうまく分散させて10校くらいの規模で神宮開催できないものか。それと出場できるのは3年生だけにする。国体は下級生も出場できるが、大舞台でプレーできなかった最上級生に、この上ないプレゼントになると思うのだが。これこそが「招待試合」だと思う。

明徳が優勝 36年前は甲子園未経験

 さて、肝心の今大会も振り返っておこう。優勝は明徳義塾(高知=タイトル写真)。これで神宮枠は四国にもたらされ、4校が選ばれる。大阪桐蔭との直接対決は実現しなかったが、決勝ではその大阪桐蔭に完勝した創成館(長崎)に4-0で快勝した。

明徳の市川は新チーム結成以降の公式戦すべてで完投勝利。春も注目だ(筆者撮影)
明徳の市川は新チーム結成以降の公式戦すべてで完投勝利。春も注目だ(筆者撮影)

エース・市川悠太(2年)が、県大会から一度もマウンドを譲ることなく4安打完封という離れ業で、36年ぶり神宮優勝の原動力となった。ちなみに36年前の明徳は、まだ甲子園経験がなく、翌1982(昭和57)年センバツが甲子園デビューという同校にとって元祖とも言えるチームであった。当時の神宮大会は完全な招待試合で、優勝しても「参考記録」程度でしか評価されなかったが、このチームは本当に強かった。高知商監督として名を馳せた松田昇氏(82年秋に逝去)が率い、初陣で西崎幸広投手(日本ハム)のいた瀬田工(滋賀)を11-0で圧倒。次戦で当時全盛の箕島(和歌山)と延長14回の死闘を演じて惜敗したが、私はいまだにこの試合がセンバツの歴代ベストゲームだと思っている。その後の明徳の躍進は、このチームがあったからこそであり、久しぶりに登場した高知出身エース(市川は高知市立潮江中出身)に、当時のチームをダブらせている。

大阪桐蔭は意外な脆さ

 優勝候補筆頭だった大阪桐蔭は、近畿大会4試合を自責ゼロで勝ち抜いた投手陣が本来からほど遠い出来。打線もトップの日本代表・藤原恭大(2年)や中軸の山田健太(2年)ら実績十分の甲子園経験者が不発に終わって創成館に4-7で完敗した。

準決勝で苦戦の大阪桐蔭。選手たちは西谷監督(中央)の指示を真剣な表情で聞いた(筆者撮影)
準決勝で苦戦の大阪桐蔭。選手たちは西谷監督(中央)の指示を真剣な表情で聞いた(筆者撮影)

先発した柿木蓮(2年)は、持ち味の速球が走らずミスも絡んで3回4失点(自責1)。2番手の大型左腕・横川凱(2年)は、速球は近畿大会以上と見受けたが、追い込んでから打たれる脆さが出た。ビハインドの展開で救援した切り札の根尾昂(2年)ですら、4回で7三振と並みの投手ではない片鱗は見せたが、最終回に痛い失点と、3枚看板が全員失点。西谷浩一監督(48)は、「守りのミス、走塁のミス、チャンスで打てないし力不足。粗い野球をしてしまった」と力なく振り返った。懸命に声を出し続けた主将の中川卓也(2年)は、「勝つことの難しさがわかった」としみじみ話した。確かにこのチームは個人能力が高く、戦力的に全国一であることは疑いようがない。特に投手陣の充実ぶりが目を引く。しかし、失策絡みで失点したり、雑な走塁、好機でのポップフライなど意外な脆さも同居している。このチームには、前チームの福井章吾主将のような献身的にチームを引っ張れる存在が必要だ。前チームは、下級生だった現在の主力が皆、伸び伸びとプレーしていた。福井主将がいたからだ。主将の中川も根尾もよく頑張っている。あとはチームがひとつになれるかだ。誰かのミスを全員でカバーできれば、このチームが甲子園で負けることはない。

明徳が来春、ジンクス破るか

 今大会は9試合を通して、コールドゲームがなく、日本航空石川と日大三(東京)の試合はタイブレークにもつれ込んだ。どのチームも投手が安定していて、地区大会優勝が頷ける戦力。来春のセンバツ記念大会はレベルの高い攻防が繰り広げられそうだ。明徳の馬淵史郎監督(61)は準決勝に勝ったあと、「四国のために頑張らないと」と話し、神宮枠獲得を有言実行して見せた。名将にふさわしい。「これで夏、国体、神宮と取れた。あとは春の旗だけ」とジンクス打破に挑む。甲子園への戦いは、まだ始まったばかりだ。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

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