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2015年夏  高校野球100年目の総括

森本栄浩毎日放送アナウンサー
実力伯仲の東海大相模と仙台育英の決勝は高校野球100年に相応しい大熱戦だった

高校野球100年の節目の大会。春は敦賀気比(福井)が北陸勢として初めて甲子園の全国優勝を果たした。そして夏、東北勢の悲願なるかの期待を背負った仙台育英(宮城)が、優勝候補筆頭の東海大相模(神奈川)と大熱戦。9回に決勝点をもぎ取った東海大相模が、仙台育英を振り切り、野望を打ち砕いた。

あと1イニングで.. 悔し仙台育英

「悔しい。離されても追いついたのに。あと1イニングで勝てないんですね。大越のとき(89年、帝京=東東京に延長10回惜敗)もそうだった。あと1イニングとなって変な感覚になってしまったんですね」と佐々木順一朗監督(55)が振り返るのは9回、東海大相模のエース・小笠原慎之介(3年)に一発を浴びて失点した場面だ。

土壇場で飛び出した小笠原の一発。勇躍、本塁へ向かい、このあとさらに猛攻を見せた
土壇場で飛び出した小笠原の一発。勇躍、本塁へ向かい、このあとさらに猛攻を見せた

お互い9番投手から始まる攻撃で、佐々木監督は、「10回勝負だと思った」と言う。「それまでタイミングが全然合っていなかったけど、思いっきり振り回していたので嫌な感じはあった」と指揮官も不吉な予感がしたと言うが、佐藤世那(3年)の投じた初球のフォークボールは魅入られたように真ん中に入った。「世那は10回勝負のピッチングをしてしまったのかなぁ」と佐々木監督。そのあとはこの決勝で最も懸念されていた「ハンディ」が、仙台育英に襲いかかる。東海大相模より1試合多く戦ってきた疲労感だ。あっという間に上位に連打を浴び、スコアボードには決定的な『4』が入った。

東北の夢は来年以降に

それでも、仙台育英に対するファンの声援は回を追うごとに大きくなっていった。9回、東海大相模の猛攻に耐えて、チェンジを迎えた瞬間、スタンドは嵐のような拍手に包まれた。

惜しくも準優勝となった仙台育英。スタンドからの拍手は優勝校を大きく上回っていた
惜しくも準優勝となった仙台育英。スタンドからの拍手は優勝校を大きく上回っていた

それは、東北の悲願に向けて全力を出し切った姿を称えたものだ。東北勢が甲子園の頂点を目前に敗れること、これで11回目(春3、夏8)。第1回大会の決勝で、秋田中(秋田高)が延長13回、京都二中(鳥羽)に敗れてちょうど100年目。歴史が変わるにはこの上ないタイミングであり、頂点に相応しい実力を備えたチームであった。加えて言うならば、仙台育英は大多数が宮城出身であり、真の東北の王者であった。「(優勝に)何が足りなかったと思いますか」という質問に、佐藤世は、「気持ちの部分もそうだし...。うーん、何でしょうか。よくわかりません」と返答に詰まった。ひと言、第三者として付け加えるなら、最後の最後に「流れ」が向かなかったということだけだ。

育ての親 表彰の年に頂点  東海大相模

東海大相模は優勝候補の重圧に耐えて、見事頂点に立った。昨年も高い評価を受けながら初戦で散っていた。その試合で投げた小笠原と吉田凌(3年)が「左右ダブルエース」としてチームを牽引。準々決勝では苦しい試合を強いられながら、終盤に底力を発揮した。どんな強いチームでも、優勝までの過程で必ず厳しい試合がある。決勝では仙台育英の粘りにも苦しめられたが、9回の攻防に王者の真の姿がはっきり見えた。ところで、東海大相模の夏の優勝は昭和45年以来45年ぶりとなる。私が初めて甲子園で東海大相模を観たのは、その4年後。当時1年生5番に原辰徳・現巨人監督、率いたのは原貢氏(昨年5月逝去、享年79)の父子鷹が話題になっていた。

父・貢氏の代理として表彰盾を受けた原辰徳・巨人監督。この日ばかりは元球児だった
父・貢氏の代理として表彰盾を受けた原辰徳・巨人監督。この日ばかりは元球児だった

盈進(広島)とすさまじい打撃戦を展開し、「よく打つチームだな」と思ったものだ。このチームのハイライトは準々決勝だった。当日は、台風一過で、私が目当てにしていたのは第1試合の銚子商(千葉)と平安(龍谷大平安=京都)の試合だった。まだ雨も残っていたので早々に球場を後にし、残り試合はテレビで観ていた。第4試合に登場した東海大相模は鹿児島実と壮絶な死闘を演じる。結局、NHKの放送に入りきらず抗議が殺到。その後、教育テレビ(Eテレ)でリレー中継するきっかけとなった。この試合を生で観なかったのは後悔として残る。今年8月15日、育成功労表彰で、貢氏の代わりに表彰を受けた辰徳氏は、「定岡さん(正二=巨人)の鹿児島実業に負けて、帰りのバスの中で、『絶対、また(甲子園に)来よう』と思った」と懐かしそうに高校時代を振り返った。結局、原父子は優勝という悲願を叶えられず、父も高校指導者を離れた。東海大相模育ての親の表彰の年に優勝とは、何と劇的なことか。

怪物・清宮はどんな姿で次の甲子園に

優勝を争った両校が大会の主役であったとしても、話題の中心は常に、怪物1年生・早稲田実(西東京)の清宮幸太郎だった。幸運にも全て第1試合に登場し、早朝からファンの足を甲子園へと向けさせた。その活躍はさんざん述べたので省略するが、過熱ぶりは大会後のU18W杯でも冷めることはない。

守備面でも落ち着いていた清宮。次の甲子園では違った一面が見られるかも
守備面でも落ち着いていた清宮。次の甲子園では違った一面が見られるかも

大学ジャパンとの壮行試合で、アマ球界最速の創価大・田中正義(3年)に力負けせず打ち返したタイムリーは、即プロでも通用するほどのインパクトだった。早実の新チームは始動しているので、合流は遅れるが、優勝が絶対の今W杯で、清宮が主力であることは間違いない。新チームでは三塁へのコンバートも噂されるが、守備面での身のこなしはまだまだの印象を受けた。一塁よりは多くのことが要求される三塁なら、守備練習も入念になるだろうし、体のキレも出てくるように思う。1年夏デビューのスターたちが果たした「5大会皆勤」を心待ちにしている。

春の王者・敦賀気比は本領発揮せず去る

今大会は開幕から猛暑に見舞われ、試合もヒートアップした。センバツで北陸勢初優勝の快挙を演じた敦賀気比(福井)は、初戦で明徳義塾(高知)の、夏の甲子園連続初戦突破記録を『16』でストップさせた。ただ、エース・平沼翔太(3年)の出来は、昨夏、今春ほどではなく、2回戦の花巻東(岩手)に敗れて、春夏連覇の夢はついえた。

山崎の好救援が呼んだ篠原の3ラン。これで流れは気比に傾いたかと思われたのだが..
山崎の好救援が呼んだ篠原の3ラン。これで流れは気比に傾いたかと思われたのだが..

個人的にも、平沼を救援する投手がカギだと思っていたし、平沼が打たれたあと、山崎颯一郎(2年)が好救援していた。篠原涼(主将=3年)の3ランで1点差に迫った6回裏の強攻策失敗と山崎への代打で、平沼が再登板することになるのだが、東哲平監督(35)は、「勝負を懸けた結果なので、仕方ありません。判断ミスはあったかもしれません」と残念そうに振り返った。控え投手の実力が証明された試合だっただけに、ここを突破して、早実や東海大相模との力勝負を見たかったのは、私だけではないだろう。それでも、「粘れなかった自分が悪い。実力不足です」と悪びれることなく話した平沼には好感が持てた。

2年生に好投手多く

1年でもはや大スターの清宮は別格として、今大会も将来を期待される下級生の大器が多くいた。先述の山崎は、188センチの長身を利した速球が武器で、昨秋から注目していた。登板はわずか2イニング29球だけだったが、6人から4三振を奪う完璧な投球。「いい経験になりました。全員で(センバツの)優勝旗を返しに行きたい。変化球の精度を上げ、精神的にも強くなって、平沼さんのような完璧なエースになりたい」と敗戦にも自信を深めた様子だった。準々決勝で東海大相模にサヨナラ打を浴びた花咲徳栄(埼玉)の左腕・高橋昂也もすばらしい球を投げる。ややバランスを崩して体が流れる欠点はあるが、その割には制球がいい。王者を追い詰めたことで、いい経験になったのではないか。興南(沖縄)の左腕・比屋根雅也は独特のクロスステップから難しい球筋で相手を翻弄した。体調万全でなく奪三振は少なかったが、スタミナがつけば新チームでも全国の舞台に立てるだろう。東海大甲府(山梨)の菊地大輝、松葉行人は右腕本格派だが、タイプが違う。力で押す菊地とかわす投球もできる松葉の2枚が残り、新チームは楽しみだ。これら2年生の有望株は投手に集中する。打者で注目された九州学院の1年生・村上宗隆は、4打数無安打で初戦敗退。清宮のライバルとして、再度、大舞台での競演を期待している。

毎日放送アナウンサー

昭和36年10月4日、滋賀県生まれ。関西学院大卒。昭和60年毎日放送入社。昭和61年のセンバツ高校野球「池田-福岡大大濠」戦のラジオで甲子園実況デビュー。初めての決勝実況は平成6年のセンバツ、智弁和歌山の初優勝。野球のほかに、アメフト、バレーボール、ラグビー、駅伝、柔道などを実況。プロレスでは、三沢光晴、橋本真也(いずれも故人)の実況をしたことが自慢。全国ネットの長寿番組「皇室アルバム」のナレーションを2015年3月まで17年半にわたって担当した。

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