顧客本位な勤労層の資産形成は儲からず、高齢層への顧客本位に反した投資信託の販売は儲かる、この現状を金融機関は打破し、顧客との共通価値の創造へ向けて、ビジネスモデルを持続可能なものに転換できるのか。 

商業の基本としての顧客本位

 何かを買い求める人は、欲しいものを具体的に特定し、それがあるはずの商店を適切に選定し、目当ての商品を購入する前に、目で見て、手で触れて、試食、試乗、試着などにより機能や効能を確かめて、不明点を販売員に質すので、自分が真に欲しいと思っているものを確実に手に入れます。逆に、商店側としても、顧客の真の需要に反したものを売ってしまうことはあり得ません。

 ネット販売や通信販売においても、利用者は欲しいものを更に一段と個別具体的に特定していて、商店側は、写真、動画、商品説明の記述などに工夫を凝らして、店頭で顧客が商品に触れるのに限りなく近い環境を整えているので、顧客の需要は正しく満たされています。

 こうして、商業は基本的に顧客本位なのです。つまり、顧客本位とは、顧客が主導権をもって取引を執行することとして、つまり、顧客が欲しいものを特定していて、それを能動的に探し、試し、確認し、納得して購入することとして、商業の基本になるのですが、同時に、顧客主導のもとでは、顧客の需要は常に適正に充足されるという意味でも、商業の基本になるのです。 

顧客本位にならない金融

 この商業の基本に対して、金融においては、商業の基本としての顧客本位は自然には成立しないので、顧客本位が金融庁の重点施策になるのですが、そこには、金融の特殊性として、それなりの理由があります。

 まず、第一に、顧客は、取引において、完全に主導権をとることはできず、逆に、金融機関に従わざるを得ない面があります。例えば、融資や保険の契約において、顧客の思い通りには諸条件は決まらないばかりか、そもそも、契約自体ができないことも珍しくありません。金融においては、金融機関が顧客を選別する要素を排除できないのです。

 また、第二に、顧客は自分の求めるものを必ずしも具体的には把握していません。例えば、豊かな生活のための資産形成の重要性を理解していても、そのことから直ちには、個別具体的な投資信託への需要が特定されるわけではなく、家族の生活保障の必要性を感じていても、そう簡単には、特定の生命保険への需要に具体化されません。

 更に、第三に、金融機能は、目で見ることも、手で触れることも、機能や効能を試してみることもできません。故に、顧客は、金融機関の文字または口頭による説明に依存して判断せざるを得ず、情報面における金融機関の優位が生じてしまうことから、顧客本位に反するどころか、顧客の利益に反した事態を招来する危険すらあります。 

金融規制の矛盾

 金融においては、自然には顧客本位が成立せず、金融機関の対応のあり方によっては、顧客の利益が損なわれる事態を招きかねないので、規制が存在するのですが、それにもかかわらず、金融機関の規制の主旨に反した行動は防げません。その典型的な事例が投資信託の販売であって、そこでは顧客の利益に反した行為が横行していても、規制では、それを是正できていません。

 そこで、金融庁は、近時、行政手法を抜本的に改めたのですが、その改革の起点にあったものは、規制が内包する矛盾の発見であったと考えられます。つまり、実質的に法令の主旨に反した行為は、形式的に法令の字句に忠実であることによって、逆に、法令によって正当化されてしまう場合があって、故に、事実として、規制の形式的な遵守によって、実質的に顧客の利益に反した投資信託販売の横行を招いているわけです。

 そこで、金融庁は、ビジネスモデルの持続可能性という論点のもとで、金融機関に対して、自律的な顧客本位の徹底を促すことにしました。つまり、一般の商業において、ビジネスモデルが持続可能なのは、顧客本位の徹底がなされているからだという自明のことに対して、金融機関の注意を喚起しているのです。 

高くて不味い投資信託が淘汰されないわけ

 高くて不味いラーメン屋は、顧客本位ではないから、直ちに淘汰されます。しかし、では、なぜ、高くて不味い投資信託屋は、顧客本位ではないのに、淘汰されないのか。これについて、投資教育を熱心に唱える人は、顧客の舌が未熟だからだと考え、味覚を教育で鍛えることによって、投資信託の選別が進み、高くて不味いものは淘汰されていくと信じており、また、金融庁は、味の差を見えなくしている諸要因があるからだと想定し、差が明瞭に見えるようにすることで、同様の結果が生じると考えています。

 確かに、こうした説にも一理あるでしょうが、おそらくは、主因は、どの金融機関も、投資信託の専門店ではないからだと思われます。つまり、大きな食堂の品揃えの一つとしてラーメンがあるとき、それが高くて不味くても、ラーメンが売れないだけで、他の料理が売れれば、食堂は淘汰されないということです。

 実際、例えば、銀行という食堂の場合、売れるのは美味しい預金ばかりで、不味い投資信託は売れません。ここに、投資教育を唱える人の誤りがあるわけで、顧客の味覚が発達していないからではなく、逆に、顧客の味覚が鋭いから、投資信託は売れないのです。そうしたなかで、無理に投資信託を売ろうとすれば、顧客本位に反することは自明です。 

顧客本位な勤労層の資産形成

 金融庁は、国民の豊かな老後生活のための資産形成を金融行政の目的に掲げていて、故に、顧客本位の徹底という施策においては、資産形成の道具としての投資信託の質の向上が最重要な課題に位置付けられているのです。

 この資産形成においては、預貯金は不適切な対象で、世界株式を軸にした分散投資が望ましいのですし、その大きな価格変動についても、超長期の勤労期間中に、小さな金額を計画的に時間分散で積立投資していくことにより、合理的に対処できるわけです。

 そして、事実として、勤労層においては、確定拠出企業年金の普及との相乗効果もあって、着実に資産形成は定着し始めていて、ここでも、顧客が賢いことは証明されつつあります。また、こうした資産形成において利用されている投資信託は、多くはインデクス型のもので、低廉な費用で提供されていますから、顧客は目的に適ったものを美味しく食べていて、顧客本位が自然に成立しています。これは、当然のことで、資産形成の目的が明瞭なので、顧客が能動的に適切な商品を選べるからです。 

顧客本位にならない高齢層の資産運用

 高齢層の資産運用の課題は、豊かな老後生活のために形成された資産を安定的に保持し、計画的に取り崩していくことですから、預貯金は重要な投資対象です。しかし、余命の長さを考慮するとき、全てを預貯金にすることは合理的ではなく、投資信託の適切な利用は不可欠ですが、中短期的な時間軸のもとで安定性と収益性を同時に実現するのは、超長期の積立型の分散投資に比較したとき、難易度の極めて高いことです。

 ここでも、顧客は賢明で、預貯金に替わる投資対象の必要性は理解されていると考えられますが、それを適切な投資信託の選択に自分の力で能動的に具体化できるはずもありません。故に、まさに、ここが金融機関の社会的責任の発揮しどころなのですが、実態は、極めて遺憾なことに、金融庁が問題視するような不適切な対応が横行しているわけです。

顧客との共通価値の創造

 では、どうしたら、事態を是正できるのでしょうか。

 勤労層の資産形成は、顧客本位ではありますが、長期的に資産残高が大きくなってくるまでは、金融機関にとっての収益性は必ずしも高くなく、高齢層への不適切な投資信託の販売は、顧客本位に反しますが、短期的な収益性は高いというように、ともに、顧客と金融機関との共通価値の創造が実現できていません。

 金融庁がいうように、顧客との共通価値の創造に基づいてこそ、ビジネスモデルは真に持続可能になるのですから、金融界として、勤労層の資産形成においては、規模の経済の実現を急ぎ、高齢層については、資産運用の高度化によって、真に預金に替わるものを創造しなければならないのです。