滅び行くものの投資対象としての魅力

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 資金を投じて建物を建設し、それを賃貸に供すれば、建物は直ちに劣化し始めると同時に、賃料という収益を生み始めます。つまり、投資対象は滅び行く過程で収益を生む、これが不動産投資の本質であり、実は、投資一般の原理なのです。

建物は劣化によって使用価値を生む

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 建物は、時間の経過とともに自然に劣化していき、最終的には耐用年数が尽きて取り壊されます。故に、投資対象として建物を建設する際には、賃料水準や稼働率の見込みに加えて、一定の耐用年数の仮定のもとでの経年劣化を前提として、改修等のための追加的資本支出と最終的な除却損失を予定して、投資採算が計算されます。

 つまり、物質としての建物は、竣工時においては建設費用が化体したものとして価値をもつものの、直ちに劣化によって価値を失い始め、最終的には無価値に帰すると予定されているのですが、他方では、無価値に帰すまでの賃料収入の現在価値は、建設費用と維持費用の総額を上回ることも予定されていて、その差額が投資収益として見込まれているのです。

 換言すれば、建物は、竣工時の見積もりにおいては、将来の賃料収入の現在価値としての価値をもち、同時に、その金額は、建設費用、将来にわたる維持費用の現在価値、および将来の投資収益の現在価値の合計に一致するわけです。

 故に、一期間を経過したときには、その期間中の賃料は、同期間中の物質としての価値の減価額、維持費用、および同期間中の投資収益の合計値に一致する、別のいい方をすれば、建物は、使用されることで劣化していく過程において、その劣化による価値喪失額を上回る賃料を発生させていて、その差額が建物に投資することの投資収益になっているということです。

道具の投資価値

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 物質のうち、人の使用によって価値を創出するものを道具と呼べば、建物に限らず全ての道具は、原理的には、使用に伴う劣化によって価値を失いつつ、減価額を上回る使用価値を創出している限り、投資対象になり得ます。つまり、道具を作るために資金を投じることは、字義通りに投資であって、投資額は、道具の使用による劣化を通じて、投資収益を含めて回収され、全額回収されたとき、道具は無価値になっているのです。

 もちろん、原理的にという意味は、投資対象に構成するには費用を要するなどの制約があって、それを考慮した経済合理性のもとでは、投資対象になり得る道具の範囲に限界があるということですが、逆にいえば、そうした制約を克服することにより範囲を拡大できるわけで、事実として、現在では、様々な種類の建物や輸送用機器等の道具が投資対象になっています。こうして、金融にも革新はあるわけです。

土地に価値はない

 ここで、敢えて建物といって、不動産といわないのは、土地は投資対象ではないという意味です。つまり、投資対象としての不動産は、土地と建物から構成されていますが、価値があるのは賃料収入を生む建物だけで、土地は単に建物を置く敷地として必要であるにすぎず、それ自体としては、価値を生んでいないので、投資対象ではあり得ないということです。

 実際、建物には、使用によって賃料を生みつつ劣化する前提で、減価償却という会計処理があるのに対して、それが土地にないのは、土地は使用価値を生まないが故に、劣化もしないからです。逆に、理論的には、劣化しないのは使用価値を生んでいないからで、価値を生まない以上は投資対象たり得ないのです。なお、土地は地代を発生させるわけですが、それは土地の上に設置された建物や農場等が収益を生むからであって、土地自体には地代を発生させる力はありません。

 しかし、いうまでもなく、地価は変動します。それは、経済活動の状況に応じて、例えば、建物の賃料が変動したり、農作物の価格が変動したりすることにより、土地の上に設置された建物や農地等の施設の価値が変動するからです。ただし、投機資金が流入すれば土地の価格は騰貴しますが、投資と投機は全く異なるものであって、土地は投機対象にはなり得ても、投資対象にはなり得ません。

 投機は、経済活動の状況と全く無関係になされるのではなく、例えば、土地投機にしても、経済活動の活発化が建物の賃料の上昇を招くとの思惑からなされるのですから、投機と投資の差は程度の差ですが、投機の場合には、未来の不確実性に賭ける度合いが著しく大きいのです。つまり、投資は合理的な予測可能性のもとでなされるのに対して、投機は、多くの場合、非合理な思惑に基づくわけです。

投資と投機

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 実は、合理的な予測可能性の高さが投資の要諦なのです。例えば、ある企業について、経営破綻する可能性が見込まれて、その企業の発行する社債の価格が大きく下落したとき、破綻は回避されるとの思惑のもとで、その社債を取得することは明らかに投機ですが、実際に破綻してしまえば、当該企業の社債を取得することは優れた投資になり得ます。なぜなら、多くの場合、破綻した企業の社債を取得するのに要する金額は、実際に破綻処理により回収できると見込まれる金額に比して、著しく小さいからです。

 つまり、破綻するかどうかの予見には大きな不確実性を伴いますが、破綻後に社債から回収できる金額を見積もることは、高度な法律上の知識と経験を有する専門家にとっては、不確実な予測判断というよりも、十分な精度のある合理的推計なのです。破綻の可能性に賭けることは投機であり、破綻後の回収に参画することは専門家にのみ可能な高度な投資である、こうした不確実性にかかわる微妙な差に、投資の本質があるのです。

確実に無価値になる投資対象

 不動産投資においては、土地の価格は変動しない、少なくとも上昇しないとの前提で、採算が計算されますが、実際には、地価変動は不可避であって、そこに不確実性が伴います。それに対して、建物の価値は、耐用年数の経過により、確実になくなっていくとの前提がとられていますから、そこに不確実性はなく、不確実性は賃料の見込みにのみあります。そして、地価変動の不確実性も、賃料に関する不確実性も、残存の耐用年数が長いほど大きくなりますから、古い不動産には特別な投資価値があるわけです。

 同様に、建物以外の道具の価値は、使用に伴う劣化によって、スクラップとしての価値にまで低下していくわけですが、価格がスクラップ価値にまで下がった後にも、なお一定期間は使用可能である場合には、価格変動の可能性の小さい優れた投資対象になり得て、実際に、航空機等では、そうした投資がなされています。

滅び行くものの魅力

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 煙草は滅び行くのかもしれませんが、喫煙者は、これほどに社会から冷遇されながらも急激には減らず、完全になくなることもないとすれば、煙草に対する需要は、高度に安定しながら、即ち、高い予測可能性のもとで、逓減していくと考えられ、需要喚起の広告宣伝費もかからず、これ以上の技術革新はないとすれば、研究開発費や設備投資費も小さくて済みますから、煙草産業は魅力ある投資対象だといえなくもありません。

 同様に、石炭による火力発電事業についても、いっそのこと政治的に禁止されてしまったら、継続に関する不確実性が解消されて、おそらくは即時に禁止されるのではなく、猶予期間が設けられ、その間の運転が認められるはずなので、決まった期間において確実に廃棄されるものとして、除却損失の合理的な見込みのもとで、十分に採算の合う優れた投資対象になるでしょう。

 しかも、SDGsやESGという風潮のもとで、煙草や石炭火力を投資対象として認めない投資家が増えれば、煙草や石炭火力は、割安に放置されることで、一段と投資対象としての魅力を増すことになるでしょう。そして、この皮肉な現実もまた、投資の本質なのです。