投資信託は銀行が売るものではない

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 商業の基本である顧客本位に忠実なら、業者を主語にした販売は、顧客を主語にした購買といわれるべきです。例えば、銀行の場合は、金融庁から顧客本位ではないと批判されるのは、常に銀行を主語にして、貸すという傲慢な姿勢で、借りる顧客の事情を十分に理解せず、投資する顧客の利益に反して、投資信託を販売するからです。では、顧客を主語にしたら、銀行は変わるのか。

基本にして理念である顧客本位

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 基本といわれるものは、基本として徹底されていれば、改めていわれる必要のないことで、それが繰り返しいわれるのは、基本が少しも守られていないからです。実は、基本は達成し得ない理想なのです。しかし、理想として機能する限り、基本は重要であって、商業における顧客本位も、その重要なものの一つです。

 顧客本位というのは、顧客を主語にして、顧客が買うから商品が売れるという意味であり、換言すれば、商品が売れるのではなく、売れるものが商品なのだという自明の理です。実際の商業においては、商品になると見込まれるものが先にあり、販売活動として、それを買う可能性のある人を懸命に探す努力がなされていますが、販売は業者を主語にするものであって、少しも顧客本位ではないのです。 

取引が成立する限り顧客本位

 販売活動において、買う顧客が現れれば、その瞬間に、売っているものは商品に転化し、商業が成立します。顧客本位とは、この自明の事実を意味するにすぎませんが、その自明の顧客本位が理念として説かれるのは、販売活動の多くが無駄になるという現実のなかで、その改善が常に問題となるからです。つまり、顧客本位の徹底は、無駄を削減して利益率を上げる努力として、商業の基本中の基本であるわけです。

 この努力は、いうまでもなく、顧客が何を求めているのかを綿密に調査し、その真の需要に基づいた製品開発を行い、その製品が適合する見込み顧客層に販売活動の的を絞り込むことに帰着するわけです。しかし、ひとたび製品が生まれれば、製品は自らの存在を主張し、的を外れた見込み顧客層に対しても販売活動がなされることを求め、顧客の需要が変化しても自らの変化を拒むに至り、最後は自滅していくのです。

 こうして、産業界は、一方で、常に顧客本位に反した方向へと逸脱し、同時に他方で、理念としての顧客本位に指導されて常に新しい製品を生むことで、競争が産業界内部の活発な淘汰と生成を促して、全体としては、概ね顧客本位たり得ているわけです。

規制業における顧客本位

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 規制業では、生活の絶対的必需が確実に満たされるように、競争の制限による供給能力の確保が図られています。従って、必需が満たされるのが規制業なのですから、規制業は本質的に顧客本位にできているはずですが、競争制限による価格の硬直化は問題となり得ます。

 そこで、例えば、電気事業が典型であるように、技術的条件の変化が規制による安定供給の必要性を低下させるとき、顧客本位の視点が安定供給から価格に移動して、規制緩和、即ち自由化によって競争を促すことで、価格の適正化が志向されるわけです。しかし、供給という業者を主語にした文化が強固に確立しやすい規制業においては、規制緩和によっても、顧客を主語にした文化への転換は困難です。

変わり得ない電気事業者

 例えば、電気事業者の場合、経済成長に伴って電気使用量が増加し、逆に電気使用量の増加が経済成長の動因になるなかで、高度な社会的使命感のもとで、電気安定供給体制の維持と拡大に邁進してきたわけですから、需給関係において構造的に電気の供給能力不足になっている限り、確実に顧客本位であり得たわけです。

 しかし、この顧客本位は人工的なものにすぎず、規制は、安定供給という美名のもとで、地域独占による競争制限と総括原価方式という事業者の利益を守る価格決定を認めてきたわけですから、電気事業者の経営態勢が著しく自己本位になることは避け得なかったはずです。

 現在では、電気は、需給関係における構造的な供給能力不足が解消し、普通の商品の地位に転落していますから、電気事業者は、自己本位な供給業者を脱して、顧客の立場で、そのエネルギーの効率的使用を支援する顧客本位な業者へと転換しなければならないのですが、この転換は自然には起き得ないでしょう。

 なぜなら、顧客の総合的なエネルギー利用において、電気を相対化し、それを含む、あるいは含まない最適な提案を行う事業は、絶対的に必要とされる電気を作り、作りさえすれば確実に売れる事業とは根本的に異なるものであり、そこでは、電気という一つの要素、必ずしも本質的ではない要素が共有されているにすぎないからです。

電気事業者の解体

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 故に、規制改革において、旧電気事業者の解体が必須の要件になるわけです。自由化においては、旧電気事業者が独占してきた送電網を公開し、どの発電事業者でも利用できるようにすること、いわば送電網の公共財化は不可欠ですから、その前提として、電気を作ること、電気を送ること、電気を顧客の手元に届けることの三つに電気事業を分解する規制改革が必要になるわけですが、実は、この解体は、単に技術的なものではなく、旧電気事業者の経営態勢を顧客本位に強制的に転換させる目的も含むはずです。

銀行の解体

 銀行についても、電気事業者と同じことがいえます。経済成長期において、産業界は電気と同じように資金を必要とし、資金は電気と同じように構造的に供給能力が不足し、故に規制は電気事業と同じように銀行を手厚く保護したのです。そして、昭和の最後の頃に資金の構造的不足は完全に解消したにもかかわらず、銀行保護は続いてきて、資金があり余って世に氾濫するものとなった今頃になって、やっと銀行解体の可能性が視野に入ってきたところです。

 これまでのところ、銀行の特権性を奪うような本質的な規制改革は全くなされておらず、これまでの規制改革は、むしろ逆に、投資信託と保険の取り扱いを銀行に認めるなど、銀行の業務範囲を拡大するものです。その結果、規制の保護で著しく銀行本位になっている経営態勢のままで、銀行の利益の視点での投資信託と保険の販売がなされることになり、深刻な弊害を生じて、金融庁が銀行に顧客本位の徹底を求める事態となったわけです。

 この金融庁の対応は、それだけをみれば正しいようですが、顧客の利益を守るはずの規制が銀行本位の経営を助長し、そのことが顧客の利益に反する事態を招いていることに対して、真の改革には決してなり得ず、現に、なり得ていないのです。

 故に、金融庁は、真の顧客本位を実現するために、根源において銀行の特権性を失わせ、経営態勢の刷新を求める制度改革を断行しなければならないのです。それは、具体的には、銀行経営から完全に独立した持株会社を設立させ、そこへ経営機能を集中させて、銀行を傘下の単なる事業部門へと相対化させることです。このとき、銀行は電気事業における送電部門のようなものになるのでしょう。

保険の販売という言葉はおかしい

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 かつて生命保険が適正に社会的意義を発揮していたとき、販売という用語は決して使われませんでした。生命保険は相互扶助ですから、その相互に助け合う仲間に顧客が入ることを勧誘する、それを募集といったのです。募集は保険会社を主語とした活動ですが、その結果として契約が成立すれば、顧客が相互扶助に仲間入りする、そのような顧客を主語にした顧客本位の理念は貫徹していたのです。

 同じころの銀行は、資金を貸すという銀行本位の立場でも、借りた顧客が資金を活かして事業活動をする姿や、家を買って喜ぶ姿を見ていたはずであり、その限りにおいて、顧客本位だったのです。つまり、貸すということは、資金を必要とする顧客が先にあり、その顧客の需要に応えることだったので、商業の基本としての顧客本位が守られていたわけです。

 しかし、現在において、社会的に必要とされる付保額を大幅に上回る生命保険契約が存在し、また社会的に必要とされる融資額を大きく超過する供給能力があるなかで、構造的に銀行本位である銀行が保険を販売し、融資をすれば、結果的に顧客本位になることはなく、どこまでも銀行本位が貫徹していきます。金融庁として、この是正を求めるのは不可能を強いることに近く、抜本的な規制改革により、根底にある銀行本位を破壊するしかないのです。

投資信託の明るい未来

 銀行を主語にした投資信託の販売を改めて、顧客を主語にすると、顧客は投資するとなりますが、これだけでは、金融機能の提供として無意味です。顧客は投資して、何を実現するのでしょうか。金融庁は、豊かな老後生活の実現だといっていますが、それ以外にも、多様な投資目的があり得ます。顧客を主語にするとき、銀行は、この基本的論点に初めて気付くでしょう。

 そして、そのとき、広い金融において、投資信託、あるいは資産形成だけが供給能力過剰でないことにも気付きます。ここでは、巨大な潜在需要に対して、供給能力は質的に極めて貧困なのであって、正しい仕事をすれば、確実に顧客本位になるのです。これが理解されたとき、銀行は、銀行を捨てることで、確かな未来を手に入れるのです。