金融界に残された道は官製談合だけだ

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 金融界の現実には、一方で、古い金融機能の供給能力過剰のもとで、過当競争による構造不況に陥っている面があり、他方で、構造不況による消耗した体力のもとで、新しい金融機能への創造的投資が十分になされていない面があります。この状況を打開するためには、金融行政が積極的に介入して、旧分野における競争制限と計画的な供給能力の削減を断行し、新分野の開発における協調を主導すべきではないでしょうか。

ルールからプリンシプルへ

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 金融庁は、近年、行政手法の本質的な転換を行い、現在では、金融機関の行動を規制の強制によって他律的に変えるのではなく、対話を通じて金融機関自身の自律的な改革を促すとしています。このことは、標語的には、規制の体系をルールと呼び、金融機関自身の自律的な行動原則をプリンシプルと呼ぶことで、ルールからプリンシプルへと表現されています。

 この転換の背景には、金融が経済の持続的成長と国民の安定的資産形成に貢献できるためには、金融界の創造的革新は絶対に必要であるところ、創造と革新は、規制の強制によっては起き得ず、各金融機関の独自の創意工夫からしか生まれ得ないという金融庁の認識、というよりも自明の理があるのです。

規制改革による創造と革新

 金融のような高度に規制された産業の場合、規制が作り出す業界の閉鎖性と安定性のなかでは創造と革新は起きにくいため、業界の既成秩序の外にある創造の芽をとり込み、業界に刺激を与えることで革新を誘発する必要があると考えられ、一般的には、新規参入を広く認める規制改革がなされます。

 この点は、金融庁も同じで、代表的には決済テクノロジーのように、金融と非金融が接する領域について、その境界を見直すことで、即ち、金融規制の外にある非金融の領域を拡大し、その反射効果で規制された金融の領域に刺激を与えようとしています。つまり、金融に新規参入を広く認めるのではなく、非金融に整理される分野を拡大させることで、事実上の新規参入を認めようということです。

人類の文明の歴史とともに古い金融

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 しかし、非金融との境目ではない金融固有領域では、創造と革新はありません。そもそも根源的に、お金を貸して金利をとる、お金を借りて金利を払う、この金融の単純極まりない基本構造は、人類の文明の歴史とともに古く、何ら変わることなく今日に至っているわけですから、そこに創造も革新もあり得ないわけで、故に、金融界においては、表面的な技術的技巧を競う余地はあり得ても、本質的な意味での差別化は困難なのです。

 しかし、それにもかかわらず、規制は、一方で新規参入を高度に制限するだけでなく、他方で顧客がいる限り撤退を困難にするため、需要変動に対して供給は弾力的に変動せず、故に、経済が成長する限り、即ち、需要が常に供給能力を上回り続けている限り、金融は事業として成立するのですが、逆に、経済成長が止まり、需要が供給能力を下回る状態が定着すれば、金融は行き詰まるということです。そして、現に行き詰まったのが日本の現実であり、程度の差こそあれ、他の成熟経済圏の現実なのです。

持続可能性のある金融

 金融庁は金融改革で経済の持続的成長に貢献できるとしていますが、経済の持続的成長という表現は政治的な装飾が施された結果であって、より現実的には経済の持続可能性といわれるべきです。そして、金融行政の最重要にして最も難易度が高い課題は、金融機能の供給能力を経済の持続可能性に均衡させることであって、金融庁は、金融機能の量的拡大は困難であるとの前提のもとで、金融機関に対して持続可能なビジネスモデルの構築を求めてきたのです。

 そして、金融庁がいう対話とは、この持続可能なビジネスモデルについての議論なのです。金融庁の仮説は、金融自体には差別性がなくとも、顧客との関係性における差別化はあり得るというものだと考えられ、事実、金融庁は、最重点施策として、金融機関に顧客本位の徹底を求めてきたのです。

 故に、金融庁が持続可能なビジネスモデルについて対話するとして、その具体的内容は、各金融機関の現存する固有の顧客基盤の維持を前提にして、そこにおける顧客本位の徹底によって、事業は持続可能なものになり得るのかという一点に収斂するのだと予想されます。

預金の過剰

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 例えば、地方銀行等の多くの地域金融機関においては、預金額が融資額を大きく超過していて、融資額が地域経済の持続可能性に対応しているとすれば、この現状は、事業会社が売れる目途のない過剰在庫を抱えているようなもので、収益の圧迫要因となって、まさに経営の持続可能性を揺るがせているわけです。

 故に、金融庁は、ここ数年、資産運用の高度化という名のもとに、第一に顧客資産を預金から投資信託へ移転させる、第二に融資以外の領域へ投資を拡大させる、この二つの可能性を模索する施策を展開してきたわけですが、その間、マイナス金利に転じて、個人の預金者にとって預金の相対的魅力度が上昇したことや、地域金融機関に投資可能な領域が縮小してしまったこともあって、そこに目立った進展はありません。

生命保険の過剰

 社会構造の変化により死亡保障に対する需要は減少しているはずですが、生命保険業界の現実においては、適正需要を大きく上回る死亡保障が提供されています。これは、節税機能や投資機能に形式だけ生命保険の衣を着せているからで、明らかに生命保険の機能の逸脱なのですが、金融庁としては、違法ではないために取り締まりようがなく、対話によって解決していくしかない領域となっています。

 しかしながら、理屈上は、生命保険のなかでも医療保障等の死亡保障以外の領域の開発、持株会社、あるいは子会社を通じた生命保険以外の領域の開発など、対話によって語られるべきことは多いにしても、伝統分野出身で固められた経営陣に対して、その伝統分野の縮小という改革を促すことは容易ではないと思われ、実際、ここでも大きな進展はありません。

量的縮小と質的成長

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 全体的な量的拡大がないなかでは、各金融機関は、自分の固有顧客に対応した量を前提にして、質的な深化、即ち、顧客本位の徹底を行うほかない、この金融庁の見立てには誰も反論できないでしょう。しかし、金融界としては、頭でわかっていても体で実行できないため、旧態依然として、自分だけの量的拡大に没頭することになり、差別性のない不毛な競争を引き起こして、利益率の一層の低下を招いているのです。

 この現状を脱却することこそ、金融庁のいう持続可能なビジネスモデルへの転換にほかならないわけで、故に、この点について金融庁は対話をするとしているわけですが、金融機関としても頭でわかっていることについて、対話という手法が有効なのかどうか、疑問の余地がないわけではありません。

金融の公共財化

 では、対話によって統合を促し、統合によって不毛な競争に終止符を打つことができるのか。現実には、不毛な競争を緩和する統合は進んでいます。しかし、構造を変えない単なる統合では、全体の金融機能の量的削減にはならず、問題の本質的な解決にはなり得ませんから、統合というのならば、構造を変える統合でなければならないのです。例えば、差別性を発揮できる分野だけ残して、差別性のない業務を統合することです。

 実際、金融の社会性からいえば、差別性がない分野は一種の公共機能ですから、統合して規模の経済による低料金を実現したほうがいいでしょう。例えば、資金決済の基盤は最終的には一つに集約されるべきではないのか、そして、その極、預金の統合もあり得るのではないのか、そうした従来の常識を超越した発想が必要なのです。そして、これが必ずしも非常識でないのは、電気事業における送電網と通信事業における通信基盤の公共財化が十分にあり得ることからも明らかでしょう。

 このような本質的な構造改革を徹底して断行すれば、一方で、公共機能化した事業は必然的需要の安定化によって持続可能性の高いものとなり、他方で、差別性を競う分野は顧客基盤の顧客本位な深耕によって持続可能性の高いものになるでしょう。

談合の官製誘導

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 しかし、金融の構造改革が個別の金融機関との対話によって実現できないことは自明ですし、また、金融庁は、金融庁自身の改革を通じて、金融規制を司る官庁から、経済と金融の持続可能性を高めるための金融行政を推進する官庁に生まれ変わったはずですから、対話以前の問題として、対話の前提となる議論の枠組みとして、金融の新しい見取り図を提示しなければならないのです。

 しかし、それだけの能力は金融庁にないでしょうし、仮に能力があったとしても、民間自治に対する行政の過剰介入になります。当然に、主役は民間の金融機関なのです。しかし、多くの利害の異なる金融機関を集めて議論しても答えが出るはずもなく、独立した立場で全ての金融機関に影響力を行使できる有能な調整役、強力な調整役が必要なのであって、その調整役こそが金融庁の機能であるはずです。

 つまり、金融庁がなすべき対話とは、対話しつつ未来の見取り図を進化させ、その見取り図に従って対話のなかで議論を誘導し、最終的には見取り図を金融界で共有させることでなければならず、言葉の遊びとしてなら、官製談合と呼ばれるべきものなのです。