夢を見る能力のない人は投資するな

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 金融庁は、豊かな老後生活のための原資を形成する手段として、投資信託の普及を熱心に図っていますが、その意図は、公的年金で最低生活が保障されているとの前提で、各人が自分固有の豊かさを夢見て、それに必要な原資を貯めて、貯めるだけではなくて殖やす努力をすべきだという提言です。さて、一般に、お金で実現したい夢があり、より大きく夢を実現したいからこそ、お金を殖やす努力もあるのではないでしょうか。

夢に現在の日付を入れる

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 スルガ銀行は、金融機能を顧客の夢に日付を入れることと定義し、その斬新性によって大きな成功を収め、成功したが故に、成長軌道を維持するために道を誤り、顧客の夢を無理矢理に膨らませ、夢の押し売りをするに至って、不正の泥濘に嵌まってしまったのですが、それにもかかわらず、夢の実現を金融の目的に掲げたことの画期的な意義は永遠に不滅です。

 夢に日付を入れるということの意味は非常に簡単で、ローンを提供することです。つまり、スルガ銀行の事業の主軸は個人向けローンにあったわけですが、顧客には、住宅や車の購入、あるいは海外旅行などの夢があるのに、それを直ぐに実現する資金が不足している場合がある、その不足をローンの利用によって埋めてあげれば、夢は、今、この日に実現する、それをスルガ銀行は顧客の夢に日付をいれると表現したのです。

 この表現は、極めて巧みであるだけでなく、日付という言葉を用いたことで、金融の本質を的確についています。そもそも、金融は資金の過不足を時間軸上で調整する機能であって、現在の不足を補うのがローン、即ち夢の日付を前倒すのがローンであり、現在の余剰の滞留する場所が預金であり、預金の先にあるのが投資信託による資産形成、即ち夢の日付を未来に繰延べるのが資産形成なのです。

 例えば、海外旅行という夢について、顧客は、3年先に実行の日付をおいて、その間に家計を工夫して必要資金を貯め、単に貯めるだけでなくて投資信託で運用して増殖を図ることもできますが、ローンによって必要資金を調達することで日付を今にして、家計を工夫して3年間で弁済することもできます。つまり、夢の実現には、先に貯めて後で実現する方法と、先に実現して後で弁済する方法の二通りがあるわけです。

夢に未来の日付を入れる

 スルガ銀行の事業の中軸は夢の前倒しにありました。なぜなら、夢の前倒しのほうが圧倒的に営業しやすいからです。そして、ここに、スルガ銀行が成功した理由があり、同時に、道を誤る理由があったのです。

 つまり、夢の実現を前倒せば、夢は現実のものとなり、その現実性のもとで夢は膨らみ、夢が膨らめばローンの額も膨らみますから、営業的に夢を膨らませるための話法が展開されることになり、過大なローンが弁済の負担を大きくさせて、顧客の真の利益を損なう可能性を生じたわけです。

 それに対して、夢を先の日付において資金を貯めて殖やすというのは、顧客に家計規律を求めることであり、営業的には現実的ではありません。なぜなら、夢を確実に実現しようと思うのは顧客の当然の心理ですから、営業の立場からは、夢の原資を投資信託で殖やそうとする努力を提案することは、逆に減らす可能性を受けいれてもらうことでもあって、容易ではありませんし、夢の実行までの時間が短いときには不適当でもあるからです。

 実際、数年後に住宅を購入する夢があり、ローンの頭金として貯めてきた資金があるときに、それを投資信託での運用に回して増殖を図れば夢を壊しかねないですから、預金のままにしておきたいのが普通の顧客の心情でしょうし、それに反してまで積極的な投資信託の勧誘を行うことは、数年後という時間を考えれば、不適当な場合が多いでしょう。

 そこで、資金使途と切り離したところで、投資信託の営業がなされてしまうわけです。しかし、おそらくは、金融界においては、使途のない資金に対して投資信託での運用を提案することが営業の基本となっているのでしょうが、使途のない資金を増殖させようとすることは、増殖そのものを自己目的にすることであり、資産形成をゲーム、即ち投機にしてしまうという意味で、金融の社会的機能からの逸脱です。

 故に、投資信託は投機の好きな人にしか普及しないのですし、普及しないことは国民の金融知識の不足に基づくというよりも、健全な良識に基づくといえるでしょう。

金融庁のいう資産形成

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 そこで、金融庁は、投資信託の社会的機能として、豊かな老後生活のための資産形成を提案したわけです。金融庁の偉大なる功績は、投資信託の社会的機能を明らかにし、その利用目的を豊かな老後生活のための原資の形成に置くことで、投資信託を投機対象ではなく、正当な投資対象にしたことです。そして、更に重要なのは、この目的に照らしたときには、投資信託が預金よりも安全である点に注意を喚起したことなのです。

 実際、ゼロ金利のもとでは、資金が確実に増殖することはなく、増殖を図れば、逆に減少する可能性も生じるのですが、この資産形成に伴う不確実性は、時間を長くし、更に資金投入を時間軸上で分散することにより、管理可能なものとなり、例えば、毎月定額を超長期の勤労期間中にわたって投資し続ければ、老後生活に入るときの資産時価総額が累積投資額を下回る可能性は極めて小さなものになるわけです。

 つまり、逆にいえば、豊かな老後生活のための原資の形成に預金を用いることは、適切な投資信託の利用に比して、大きな機会損失を発生させる可能性が極めて高く、より貧しい老後になるという意味で、むしろ危険だということです。それに対して、投資信託による資産形成は、より豊かな老後生活という夢を育むのです。

夢を叶える資産形成

 投資信託の利用は、不確実性が管理可能で許容範囲内にある限り、豊かな老後という夢の実現のほかにも、多様な夢に適用できます。

 一般的には、住宅ローンの頭金を投資信託で運用することは適当でない場合が多いでしょうが、住宅購入までに比較的に長い時間があり、資金に余裕があって多少減少しても必要額を下回ることはないという条件を満たすのならば、住宅の夢を膨らますために、即ち、より高価な住宅を取得できるように、あるいは、ローンの負担を減らすために、即ち、より豊かな日常生活という夢を維持するために、投資信託の利用を検討することに何らの問題もないでしょう。

 また、車の買い替え用の資金が手元にあり、買い替えの時期が遠くなく、車が生活の絶対的な必需品だとしても、車の機能だけについていえば、同じ性能でも非常に広い価格帯に分布するわけですから、その資金を株式の投資信託で運用したとしても全く問題ありません。なぜなら、幸運にも大きく資金が増えたのなら、予定よりも高級な車を買えばよく、不幸にも大きく資金が減少したとしても、必要機能を満たす車は購入できるからです。

夢が膨らむ資産形成

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 要は、夢が壊れない条件のもとでは、積極的に夢を膨らますように努力すべきだということです。

 夢は、所詮、夢であって、必要を超えたところにあるからこそ、夢なのです。夢が消えてなくなっても困りますが、必要が充足されている限り、夢を膨らます努力の結果として、多少は夢が縮んでしまっても構わないでしょうし、逆に、その危険を冒せるからこそ、夢を膨らます努力が可能になるのであって、なによりも、夢を膨らます努力があるからこそ、夢であり、努力で夢が膨らむからこそ、夢なのです。

 故に、金融庁のいう豊かな老後生活のための資産形成は、公的年金によって最低生活保障がなされているとの前提のもとで、各人が自分の定義する豊かさを夢に思い描き、その夢を実現しようとの強い意欲をもち、より豊かな老後のために、よりよく夢を実現しようと努力することでなければならないのです。そして、努力することは実践することであり、実践から学ぶことです。

 学ぶのですね、教わるのではなく。投資教育の必要性が喧しくいわれますが、資産形成を夢の実現手段としてとらえ、夢の日付を未来に定めることで、その間の時間が生み出す投資収益によって夢を膨らます努力だととらえれば、そこに教育は必要ないというよりも、夢の実現方法を他人から教わることはあり得ないという意味で、教育はあり得ず、むしろ、一般にいわれている投資教育は、夢の実現手段ではない投資、投資のための投資、即ちゲームとしての投資に関することであって、真の資産形成の阻害要因になっているとすらいえるでしょう。

夢見る能力

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 自分自身の豊かな老後生活を夢見ないのならば、公的年金の最低生活保障で十分だというのならば、金融庁が推奨する豊かな老後生活のための資産形成は不要です。

 あるいは、金融庁が前提にしている政府公式見解、即ち公的年金だけで最低生活は保障されているとする見解を信じないのならば、不足する資金は豊かな生活のためではなく、最低生活のために必要な資金ですから、その運用先としては預金のほうが望ましく、資産形成は不適切になります。事実として高齢者の資産が預金に偏在するのは、政府公式見解に対する不信の表れかもしれません。

 老後生活に限らず、将来に実現したい夢がないのならば、夢を実現するための資産形成はあり得ません。夢があれば夢は膨らみ、夢が膨らめば実現に必要な資金も膨らむからこそ、資産形成があり得て、資産形成により資金が膨らめば夢も膨らむからこそ、資産形成に対する意欲が生じ、その意欲のもとで資産形成が実践され、実践を通じて学ばれ、学ばれるからこそ、資産形成が高度化していくのです。