不要な生命保険はどれくらいあるのか

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 扶養家族をもつ家計の主体にとって、死亡保障は不可欠ですが、必要保障額は家族と家計の状況の推移に応じて変動し、扶養家族がなくなれば不要となり、他方で、医療保障や生存保障の必要性が生まれてきます。しかし、自分の死について能動的に考える人は少ないので、保険の適切な利用については、他人の助言が必要になる、それが保険の営業ですが、現在の生命保険業界において、真の保険営業がなされているのでしょうか。

生命保険業界の問題点

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 顧客本位の業務運営の見地において、生命保険業界の現状に多くの問題点のあることは、かねてより金融庁も指摘してきたことであって、最近の日本郵便によるかんぽ生命の保険の不適切募集は、悪質さの程度が著しく高い点で異常ではありますが、顧客の利益に反し、保険本来の機能にすら反した営業姿勢については、生命保険業界一般に通じることです。

 なかでも金融庁が特に問題にしてきたのは、銀行等の販売力を前提にした営業戦略、それに適合した商品戦略のもと、金融商品に薄い死亡保障を付して形式だけ保険にするという本来の保険機能からの逸脱、単なる金融商品であれば明瞭だったはずの手数料等の不透明化などです。

 また、歴史的な経緯から保険にだけ認められた特殊な税制が存在しているわけですが、その税制の適用による税務上の利益を目的とした商品の開発と販売が横行してきたことも、本来の保険機能からの不健全な逸脱として、非常に深刻な事態だと考えられます。

 更には、生命保険の基本中の基本に立ち返って、業界全体として提供されている死亡保障の付保額の総額は、被保険者全体の家計の実情に照らして適正な額になっているのか、不要なはずの高齢者の死亡保障もあるなど、実は過剰なのではないかとの疑念を消し得ない状況にあります。

損害保険における過剰保険

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 企業にとって、事業に危険はつきものですが、危険を適切に管理するための専門的技術があるわけで、その危機管理技術が企業の競争力の重要な一部を形成しています。しかし、管理できない危険については、損害保険が利用されます。なお、ここで注意すべき重要なことは、管理できない危険についてのみ保険が利用されることであって、これは生命保険についても同じです。

 さて、多様な事業を営めば多種雑多な危険にさらされるなかで、ある危険による利益が別の危険による損失と相殺されたり、同じ危険により利益を得る部門と損失を被る部門が生じたりしますが、大きな企業になれば、部門ごとに損害保険契約の管理がなされることも多いでしょうから、付保された危険の間の相殺関係により、無駄な保険が生じ得ます。更には、企業経営は完全ではないのですから、損害保険を使わずに別の方法で管理可能な危険についてまで付保されていることも少なくはないはずで、そこにも過剰保険の可能性があります。

 そこで、損害保険会社として、顧客本位の業務運営を徹底するならば、企業の事業構造を詳細に分析し、付保されなければならない必要最小限の危険を抽出し、それらの危険に対して最少の保険料となるように、損害保険契約の提案をしなければならないことになります。つまり、損害保険事業の本質は、保険である以前に、リスクマネジメントのコンサルティングでなければならないということです。

顧客の利益に反した生命保険

 この損害保険の本質は、保険一般の本質として、生命保険にも適用されます。

 生命保険は、人の生死、疾病、事故による障害等の危険に特化しているだけで、本質的に損害保険と変わるものではなく、保険以外に自己管理による危険回避の方法があることは、生活習慣等に関係する疾病の危険をみれば明らかです。

 また、おそらくは現代日本人の最大の危険である超長期生存についても、それに対抗する生活原資の形成については、国営保険である公的年金以外に多様な手段のあることを老後2000万円報告書は示していました。

 そこで、生命保険事業もまた、保険である以前に、人間の生活にかかわるリスクマネジメントのコンサルティングでなければならないとしたときには、それが保険の営業の枠に収まらないことは明白であって、逆に、保険の営業として、保険商品の販売として事業活動を行う限り、顧客の真の利益に反した帰結を生みやすいことも明白であって、その弊害の一つが過剰な死亡保障だと思われるのです。例えば、高齢者の死亡保障です。

保険よりも節税

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 生存と死亡は絶対に両立しない危険ですが、同じ人に同時に付保することがあり得るのは、自分にとっての生存という危険と、自分の遺族にとっての自分の死亡という危険とは、異なる危険だからです。そして、遺族にとっての危険は生計の主体を失うことの危険であって、それが重大な危険だからこそ、相続税に関する優遇措置が設けられているのです。

 ならば、扶養家族をもたない高齢者については、死亡は遺族にとっての危険ではなく、よく自分の葬式代だけ保険を掛けておくなどといいますが、そのわずかな金額以上の死亡保障は不要のはずです。しかし、現実には高齢者の高額の死亡保障が珍しくもないのは、税制の優遇措置を利用するためだと考えられます。しかし、そうした事態は、保険本来の社会的機能に反するばかりか、税制優遇措置の本来の主旨にも反したことです。

遠くなった昭和

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 更には、就労者に必要な死亡保障の金額も、昭和の時代とは大きく異なっています。

 昭和の時代には、扶養家族として、専業主婦に複数の子供がいたわけですから、基準となる保障額が大きかったうえに、所得の上昇に比例して、生活水準が上昇していましたから、必要保障額も上昇していたのです。そのなかで、生命保険業界は、死亡保障の量的拡大により、成長できたのです。

 しかし、現在では、少子化、共働きが普通となり、状況は激変しています。また、住宅ローンがあれば団体信用生命保険で住宅が資産として残ることなど、死亡保障の必要性は大きく低下し、将来に向かっての成長性にも限界があります。そうしたなかで、かんぽ生命の事案をみると、旧態依然たる量的拡大の営業がなされていたわけですが、程度の差こそあれ、生命保険業界全体として、同様の傾向にあるのではないでしょうか。

相互扶助の理念

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 では、高齢者の生存という危険に対しては、適切に付保されているのでしょうか。

 生存が危険なのは、自分の余命を知り得ないからです。この危険に対して、自己責任原則で対抗しようとすれば、余裕をみて100歳以上まで生きる前提で生活資金形成を行わなくてはならず、その金額は現実的可能性を大きく超えます。故に、相互扶助の終身保険が利用されているのです。相互扶助ならば平均余命を基準にできるからで、これが国営保険の公的年金なのです。

 公的年金については、人口動態の変動に伴い財政が悪化しているのは周知のことですが、余命が伸びることは、就労可能期間が伸びることと同じですから、年金支給開始年齢を遅らせることにより、財政の均衡を回復させ得るはずです。そもそも、公的年金は相互扶助の原理でできている制度ですから、公正公平性の見地から相互扶助が適切に働くように修正することにより、破綻を確実に回避できるのであって、まさに、これが老後2000万円報告書の前提にしていたことなのです。

個人主義の理念

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 公的年金は最低生活保障ですから、豊かな暮らしのための備えが必要です。そのために敢えて保険を使うのなら、個人年金保険の終身年金という選択肢がありますが、これでは物価変動の危険には対抗できません。この点、公的年金に物価調整があるのと大きく異なります。また、豊かな暮らしというのは個人の生き方の問題ですから、原理的に個人主義的であるはずで、相互扶助の原理にはなじみません。

 実際、老後2000万円報告書は、公的年金が最低生活を確実に保障するという前提のもとで、それを上回る豊かな生活のための原資形成については、個人の自主自立に任せるという考え方に立脚していました。そのなかで、就労期間中の投資信託による超長期積み立てが推奨されていたのは、積み立て目標や運用内容を自分の考え方で自由に決められること、物価変動の危険に備える有効な手段であることなどによるのでしょう。

損害保険の非金融化

 こうして、残された生命保険の分野は医療保険になります。医療の高度化は、医療費の自己負担の高額化を意味しますから、医療保険は重要な成長分野なのです。しかし、医療費の補償よりも治療を確実に受けられることのほうが重要であり、更には、治療よりも病気にならないことのほうが重要なのであって、ここに、生命保険に限らず保険一般に通じる保険の本質が露呈するのです。つまり、保険の金銭補償だけでは問題解決にならず、事故防止が徹底されれば保険の必要性が低下していくということです。

 事故処理といい、事故防止といい、もはや金融ではありません。実際、損害保険は、もはや金融ではないでしょう。例えば、自動車保険の宣伝をみれば明らかなように、保険料の安さを競っていては、理論的には極限において利益がなくなるわけですから、事故処理能力の優位を競うほかないわけです。また、企業に対する総合的なリスクマネジメントの提供は、純然たる経営コンサルティングです。

生命保険の非金融化

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 生命保険業界の現状においては、非金融化以前の問題として、金融の領域のなかで非保険化が徹底されなくてはなりません。特に、保険にする必要のない金融商品を保険化する現在の異常な事態は、直ちに是正されるべきです。そして、従来は保険の対象とされてきたものについても、保険以外の金融機能による代替可能性が再検討され、更には非金融の課題解決方法が模索されるべきでしょう。

 実は、老後2000万円報告書は、国営保険である公的年金の機能を最低生活保障に限定することで、豊かな生活の原資形成については、就労期間中の投資信託による超長期積み立てを推奨し、そのうえで、老後の定義を変え、就労期間を長くするという非金融の方法によって、長く生きる危険に対抗することを示唆していたのです。

 また、医療についても、社会的には治療よりも予防のほうに意義があるわけですから、治療費の金銭補償である医療保険よりも、予防にかかわる非金融の取り組みのほうが重要なのですし、配偶者が扶養家族であるという通念が崩壊し、保険による死亡保障の必要性が激減するなかでは、女性の就労機会の拡大、育児のあり方の改革という非金融の課題の解決が急務であるわけです。