日産自動車のゴーン氏が虚偽記載を指示したはずはない

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 日産自動車の前会長であるゴーン氏は、自己の報酬について有価証券報告書に虚偽の記載をするように指示したとして、東京地方検察庁に逮捕されたわけですが、事案の詳細が不明ななかにおいて確実にいえることは、記載すべき報酬額の算定において、ゴーン氏側と検察側とで見解に大きな相違があるということだけです。見解の相違で逮捕というのは異常ではないでしょうか。

報酬額の定義に関する見解の相違

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 ゴーン氏が有価証券報告書に記載すべき自己の報酬額について虚偽の記載を指示したのなら、確実にいえることは、ゴーン氏は有価証券報告書に記載すべき報酬額の定義を熟知していたということです。もしもそうでないのなら、ゴーン氏は簡単に露見する悪事を働いた大馬鹿者ということになりますが、ゴーン氏の経歴からして、そう信じることはできませんし、なによりも、簡単に露見する悪事が今日まで露見しなかったことが不可解になります。

 故に、ゴーン氏が目論んだことは、記載すべき報酬額の定義を熟知したうえで、その定義からはずれる報酬の支払い方法なり、算定方法なりを工夫することだったはずです。報道によれば、その手法のひとつは、退職時まで支払いを繰り延べるものだったようです。

 しかるに、これも報道によれば、検察は、支払いを退職時まで繰り延べたとしても支払うことが確定しているのならば、確定した段階で記載すべきだったと主張しているようです。この検察の主張は正当なものですが、この点はゴーン氏も承知していたに違いありません。そこで、単に繰り延べるだけではなく、ある種の条件付き支給にするなど、支払いの確定性を緩和する約定にしていたはずです。

 しかも、おそらくは、ゴーン氏は高度な専門的知見を有する弁護士、税理士、会計士等に相談していたはずですから、それなりに高度な理論武装をしているのでしょう。逆に、高度な理論武装をされればされるほど、検察からすれば法律の潜脱に見えるわけですから、摘発したくなるのは当然です。しかし、だからといって、見解の相違で逮捕というのは異常極まりない対応です。

容疑者の人権

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 要は、税法の適用を巡って起きる珍しくもない事案と同じことです。

 国税庁は、いつも節税行為に頭を悩ましているはずですから、節税と脱税の境目で判定のつけにくい事案では、脱税としての立件に傾きやすいのでしょう。もちろん、司法の場で違法な脱税に確定するのであればいいのですが、違法性を否定される事案もあります。

 要は、これらは納税者と徴税者との間で見解が相違する事案なのであって、脱税事案ではないのです。しかし、国税庁からすれば、脱税事案としての取り上げのほうが節税行為に対する抑止力になるので望ましいでしょう。しかも、メディアの報道姿勢も国税庁側に寄っているのが常で、節税行為に対する抑止力が一段と強化されているのです。

 もちろん、こうした国税庁の姿勢を批判することはできません。違法でなければ何をやってもいいということではなく、良識ある国民として、あるいは社会的責務を負う企業として、健全なる納税意識をもつべきであって、国税庁の行動によって、そういう意識が醸成されるのならば、それは望ましいことだからです。

 しかし、同時に、当局として、法律の適用に関する見解の相違を違法として断定すること、報道機関として、当局の立場を代弁する報道を行うことには、慎重でなければならないでしょう。刑事事件においてすら、昔は容疑者を犯罪者扱いする報道がなされていましたが、現在では容疑者の人権に配慮する姿勢のとられていることに思い至るべきです。

検察が入手した証拠

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 さて、いくら検察が強権的で強引でも、見解の相違で逮捕するはずがなく、逆に逮捕した以上は確定的な証拠を把握しているはずだと考えることは合理的な推論です。実際、報道によれば、検察は、事情を知る内部者との間で司法取引をしているとのことですから、そこから確定した退職時報酬の支払いを証する文書を入手しているのでしょう。

 しかし、そうだとしても、その文書に法律的な効力があるとは考えにくく、ゴーン氏が表明した希望を備忘的に書き留めたにすぎないものとして、その内容が退職時に正式に決定される保証はないと考えるのが素直です。故に、退職時の正式な決定を条件とした報酬であって、そこに不確定性がある以上、有価証券報告書に記載する必要はなかったと考えられます。やはり、事案の本質は、文書の効力を巡る見解の相違なのです。

 なぜ文書に効力がないといえるのか。もしも法律的に効力のあるものとして日産自動車の内部で機関決定されたものならば、それが正式な決定である限り、仮に日産自動車にガバナンス上の問題があったとしても、上場企業としての最低限のところで、有価証券報告書に記載されていたと考えるほかありません。

 逆に、有価証券報告書虚偽記載が成立するのならば、法的に効力のある正式な報酬支払決定がなされていて、それが隠蔽されていたことにならざるを得ないわけですから、日産自動車の組織的な犯罪ということになってしまいます。しかし、たかがこれだけの事案で、そのようなことがなされたとは全く考えられないのです。

他の不適切行為

 では、検察がゴーン氏逮捕に踏み切ったのは、有価証券報告書虚偽記載だけでなく、より重大な複数の違法行為に関して証拠を入手しているからでしょうか。

 日産自動車は、ゴーン氏逮捕直後の対応として、逮捕容疑に関して見解の相違で争う姿勢を示さず、逆に、ゴーン氏の別の不適切行為に関する内部調査結果を公表しています。むしろ、世間を驚愕させているのは、ゴーン氏逮捕そのものよりも、公私混同を疑わせるゴーン氏の不適切行為に関する報道でしょう。

 そこで、不適切行為の一部について違法性が認められて、ゴーン氏が別な容疑で再逮捕される可能性はあるのでしょうが、現段階では不明なので、論評できないことです。しかし、そういうことならば、有価証券報告書虚偽記載容疑による逮捕は、より小さな事案を導入とした別件逮捕ということになりかねず、検察が用いる手法の適正性に関して、また別の疑義が生じるであろうことを指摘しておく必要があります。

不適切行為の何がいけないのか

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 検察として、正攻法でいくのならば、ゴーン氏の報酬に関する開示義務違反の一点に絞るはずですから、不適切行為とされるもののうち、有価証券報告書に記載されるべき報酬の受領に該当するものが事案の焦点になるのでしょう。つまり、違法性とはいっても、私的な利益を得ていたことではなく、その利益を報酬の受領として適法に処理しなかったことに限定されるのではないでしょうか。

 なお、念のためですが、適法に処理するという意味は、報酬として有価証券報告書に記載すべきものを記載するということと、報酬として認定されたときに発生する所得税を支払うということです。つまり、この違法性と異なるところで違法な行為が認定されるのならば、それは非常に深刻な事態になるのですが、そうでないのならば、要は、報酬の問題にすぎないということです。

 ゴーン氏が私的な利益を得ていたことについては、問題がないということではなく、検察として何を立件できるかと考えたとき、報酬の受領に構成するという切り込み方が有効で容易だろうということです。逆に、横領だの背任だのという方向へ進むことは、極めて難易度の高いことだと想像されます。

日産自動車のガバナンス

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 さて、ここでゴーン氏の人格や品位を問うべきなのでしょうか。報道から受ける印象としては、間違いなく強欲な感じがしますが、それは報道が作り出す印象の問題ではないでしょうか。ゴーン氏の人格に関する論評をすることは、その論評をする人の人格を問題にされかねないことでもあります。

 重要なことは、ゴーン氏の人格や品位ではありません。いかに不適切な行為でも、社内手続きを経て実行されていたということが決定的に重要なことです。つまり、不適切なのは、行為の内容というよりも、行為が内部手続きで阻止されることなく実行されたことであり、実行された後に内部監査や外部監査で認識されたとしても放置されていたことです。

 では、日産自動車のガバナンスの問題なのか。何でもガバナンスの問題にするのが世論の動向ですが、そのような大げさな問題でしょうか。報道されているような事案は、超巨大な日産自動車のなかで、頂点の取締役会にまで至るようなものとは考え得ない些少なものです。つまり、ここに究極の論点があるわけで、ゴーン氏への報酬支払として正規な手続きがとられていれば取締役会にまで至ってガバナンスが機能したはずなのに、ガバナンスが機能しないように技巧を凝らしたことが事案の本質だとしたときに、一体、ガバナンスに何をしろというのでしょうか。

 ならば、内容の不適切な業務指示でも、それがゴーン氏に発する限り罷り通ったということからして、組織風土の問題を指摘できるでしょうか。確かに問題があるとしても、日産自動車固有の組織風土の問題などでは全くなくて、ゴーン氏のような強力な経営者のもとでは、どの企業にも起き得る普通のことです。

 その場合、ガバナンスをいうのならば、ゴーン氏を牽制する仕組みを工夫するか、ゴーン氏の強権の背景をなす偉大なる業績を過去のものに整理清算して、ゴーン氏を退任させればいいことです。実際、日産自動車の取締役会は後者を選択したのだから、ガバナンスは適正に機能しています。何か問題でしょうか。

ゴーン氏の報酬の妥当性

 最後に、ゴーン氏の報酬は、不適正に処理されたものも含めて、妥当な水準だったのでしょうか。経営者の報酬の妥当性は、その人が実現した企業価値向上との関係で決まることですから、ゴーン氏の報酬が高すぎるとは簡単にはいえません。

 仮に、ゴーン氏の報酬について、適正に処理されたものだけでは少なすぎるという社会的評価があり、諸般の理由で適正に処理できる金額に上限があったため、やむを得ずして不適切処理に及んだとしたときに、どこまでゴーン氏を非難できるというのでしょうか。

 逆に、ゴーン氏の報酬が高すぎという批判をする人は、妥当な報酬を合理的な算定根拠を付して提示すべきです。そして、その額が適正に処理された金額の範囲内ということで、社会的評価が確立するのならば、ゴーン氏の行為はより強く批判されるものになるでしょうが、一体、どこに、そのような社会的評価があるというのでしょうか。