誰がアセットアロケーション、即ち、資産配分を行うのか。年金基金等の資産運用のように、重い社会的責任のもとで、高度な専門性を求められる場合には、外部の専門家の運用会社が使われるわけですが、さて、資産配分というような大きな意思決定は、年金基金等の投資家と運用会社との間で、どのように分担されるべきでしょうか。

年金基金等の実情

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年金基金等の投資家は、運用会社に資産運用の委託を行います。委託内容は、両者間で、個別に、厳格に取り決められます。その委託の構造のなかで、どの程度の運用者の裁量を認め得るのか、あるいは認めるべきなのか、これが問題の焦点であるわけです。

一般論として、優れた運用能力をもつ運用者ならば、裁量を大きくすればするほど、より大きな成果を実現してくれるはずです。しかし、年金基金等では、投資基本政策の実現は、投資家自身の管理のもと、複数の運用委託先の分業によって、実現すべきものと理解されていますので、各運用委託先の運用者には、政策全体の整合性との関連で比較的細かに委託内容を制限し、大きな裁量を与えないのが普通です。

例えば、投資の成果に一番大きな影響を与えるといわれる資産配分は、実は、年金基金等の投資家の専管事項であると考えられています。ですから、そこに専門家である運用会社の裁量を認めることができないのです。運用会社は、あくまでも、指定を受けた資産種類の範囲内でのみ、裁量権を発揮し得るにすぎません。

しかも、その特定された資産種類のなかでも、更に、領域を狭く限定したり、投資の方法等の指定をしたりと、いわゆる「ガイドライン(投資細則)」と呼ばれるもので、委託内容が制限されているのが普通なのです。

しかし、専門家を起用することの意味を社会常識に従って考えれば、年金基金等の運用の「常識」には、必ずしも専門家ではない投資家が大きな範囲の重要な意思決定を行い、専門家である運用者が小さな範囲の細かな意思決定を行うという意味で、資源の利用効率といいますか、投資の意思決定の構造において、非効率があるようにも思えます。

グローバル化

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しかし、資産の分類は、どうとでもなることですから、分類を工夫することで、運用者の裁量範囲を拡大させることもできるのです。

例をグローバル運用にとりましょう。最近では、国内株式と外国株式という資産の二分類に対して、両者を統合したグローバル株式という一分類への移行が進んできています。この変更は、当然に運用委託の構造を大きく変えます。

従来は、国内株式の委託を受けた運用会社では、自己の裁量で外国株式に投資することは認められず、同様に、外国株式の委託を受けた運用会社は、国内株式に投資することができなかったのです。ところが、グローバル株式においては、自国の内と外という境がないのですから、運用者の裁量によって、自由に投資対象国を選べます。債券についても、グローバル債券という分類を導入することで、同様な変更が行われるようになっています。

日本では、伝統的に、日本の債券、日本以外の外国の債券、日本の株式、日本以外の外国の株式というふうに、四つに資産分類がなされ、その配分は年金基金等の投資家側で決めてきたのです。この四資産分類をグローバル債券とグローバル株式の二資産分類に変更すれば、投資家の意思決定は、債券と株式の比率の決定だけになり、日本の内か外かという判断は、全て、運用会社の裁量に移行します。

このようなグローバルな委託のほうが、運用者の専門的能力を引きだすという意味では、明らかに優れているでしょう。

投資家固有の領域

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しかし、グローバル化は、委託構造の変更であるよりも、資産性格そのものの変貌ではないともいえます。資産分類がどうとでもなるということは、むしろ、どうとでもすべきだということであり、環境の変化に応じて、適宜、分類の仕方を工夫していかなければならないということです。

経済のグローバル化、企業活動の多国籍化、世界横断的な産業の再編成にともなって、投資の領域における国境の意味が希薄になったからこそ、国境という資産分類の軸は消滅に向かっているのです。

さて、ここで、委託構造との関係で考えなければならないことは、次の点です。

国別配分が重要な意味をもっていたからこそ、それは投資家の決定事項でなければならなかったのか、その重要性が低下したので、運用会社への委任事項に格下げになったのか。そうではなくて、変貌を遂げた経済構造のなかで、国境を越えた投資判断を行うことは、高度な専門性を伴うが故に、専門家である運用会社へ委託されることになったのではないのか。

では、運用委託ということが専門的判断の委託ということであるなら、投資家が自己の固有の専管的判断を行う対象とは、投資家が自己の領域として最後まで手放さないものとは、はたして、何なのか。

投資家の好み

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つまり、投資家の領域と運用会社の領域を区分するものは、資産配分なのか、それとも、何か別のものなのかということです。

料理屋で食事することの当然の前提条件は、料理の専門家としての板前の能力への信頼です。注文するとき、顧客の立場から板前に伝えることは、生理的に食べられないもののほかは、食事の好み程度のこと以外にはありません。食材の選択や料理方法など、全ては、板前の裁量に委ねるのです。しかし、好み(生理的拒絶反応も含めて)だけは、顧客の専管事項です。

投資家と運用会社の関係も、本質的に、これと大きく変わるわけはないでしょう。専門的投資判断を専門家である運用会社に委ねる前提で、投資家としての好みを明確にしておくこと、これが投資家としての責任のあり方であるはずです。

つまり、論点は、投資家の好みの伝達方法として、資産配分を提示すること、その資産配分のなかで個別具体的な領域を運用会社に特定して指示すること、こういう方法が本当に妥当なことなのかということです。

投資家の責任

問題を難しくしているのは、投資家の社会的責任です。年金基金等の投資家は、好みに従うだけでは、責任を果たせないだろうと考えられてきたのです。

料理屋での注文の喩えに戻れば、好みだけではなく、食事の作法、社会的に食べることが許容されないもの、栄養のバランスへの配慮、過不足ないカロリー摂取量など、年金基金等の資産運用では、多くの規律的な要素への考慮が働くわけです。

なかでも強く拘束として働いてきたのが分散投資原則です。これは、特定の資産に集中することなく様々な資産種類に分散して投資することを求めるものです。投資家としては、この原則に忠実であることを示すために、様々な資産種類に分散して配分するという政策を資産配分というかたちで表現することが、一種の慣例的規則とでもいうようなものになっていったのです。

ところが、分散投資原則というのは、見かけ上は簡単で分かりやすいようですが、実は、難解な側面をもっているのです。例えば、資産の全額を国債に投資することは、明らかに分散投資原則に反していますが、その趣旨に反しているかといえば、最も安全性を重視した保守的な運用ともみなせるのですから、何ともいいがたい。

グローバル株式とグローバル債券、投資家の次元では、たった二つの資産への分散ですから、見かけ上は不十分な分散投資ですが、運用者の次元では、国別にも、産業別にも、高度に分散された株式運用がなされ、また、多数の通貨の多様な種類の債券への分散投資がなされているのですから、実質的には、何らの問題もない。

逆に、例えば、同じ会社の社債と株式とが異なる資産種類でも、その企業の破綻の危険については少しも分散効果が働かないように、表面的には多数の資産種類に分散されているようにみえても、グローバル経済の一体化のもとで、一つの危険への見えざる集中が起きていないともいえません。

真の分散投資

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要は、投資家固有の責任領域は、グローバルな政治経済動向を広い視野で見渡して、真の分散効果を考えることであり、その枠組みのなかで、自己の投資の好みの実現を図ることなのです。その余は、全て、外部の専門家に委託すればいいことですし、また、今日の投資の世界の高度な専門化を考えれば、委託すべきでもあります。

さて、問題は、真の本質的な分散効果を考えることは、必ずしも、資産配分を決めることにはならないことです。あるいは、資産配分を決めることだとしても、真の分散効果がでるように、資産分類の定義を考えたうえでないと、意味をなさないということです。

分散とは、異なるものへの分散であり、分類とは、異なるものの定義だからです。日本の株式と、日本以外の外国の株式とは、長らく、異なるものだと考えられてきました。異なるからこそ、二つの分類に分かれていたのです。ところが、この二つは、今は、同じ一つのグローバル株式です。グローバル化により、差異が消滅したのです。

グローバル株式のなかでは、今のところはまだ、先進経済圏の株式と、エマージング経済圏の株式とは、異なるものと考えられています。もっとも、そのうち、区別が消滅してしまうかもしれませんが。

また、時価総額別の分類は、まだ有効のようですし、この場合は、国別の独立性が高いので、日本の小型株とか、米国の小型株などが、独立の資産分類として成立しています。

新たなる資産分類の析出

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常に異なるものを析出して独立の資産分類とすることで、資産配分の有効性が維持されるのです。逆に、そのような不断の努力を抜きにしては、真の分散効果など、実現できないということです。

新しい資産分類を析出することで、その領域における高度な専門性が求められてくるのです。ここに、投資家の仕事と、外部の運用会社の仕事の本質的な差があり、そこに、分業があるのです。

グローバル化に象徴されるように、国別の資産分類が消滅し、運用会社の再編が進めば、少数の巨大な運用会社へ資産が集中します。その結果、分散効果は、投資家の次元での資産配分から、運用会社の次元での銘柄選択に移行するにしても、運用会社の個性的専門性という意味の分散効果はなくなっていきます。

しかし、資産分類の統合が生じれば、運用会社の統合も生じる一方で、他方では、新たなる資産分類が生じ、新たなる専門領域が創出され、新たなる運用会社も生まれてきます。

新たなる資産分類を析出し、そこに個性的な専門の運用会社を配すること、これこそが、真の分散投資なのであり、真の分散投資こそが、年金基金等の社会的責務なのです。