厚生年金基金を不当な基準で解散に追い込む厚生労働省の横暴を許すな

厚生労働省の厚生年金基金廃止を目指す戦術は、一律廃止を諦める一方で、実質的な廃止を目指すことに移ったようです。つまり、基金の存続基準を著しく高いところに設定することで、ほとんどの基金を基準外にして解散に追い込もうというのです。これでは、体よく人を騙すようなものではないでしょうか。

焦点は一律廃止から存続基準へ移った

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もともと、厚生年金基金の一律廃止の「一律」というところが問題であったのです。廃止に反対する人は、私も含めて、現存する全ての厚生年金基金が今のままで存続し続けるとまでは、さすがに考えていないのです。あくまでも、厚生労働省の一律廃止という案について、余りにも雑な手抜き行政の無策さ拙速さや、制度の趣旨を没却した無思慮無定見を批判しているにすぎないのです。

加えて、厚生年金基金廃止案は、民主党政権末期の混乱に付け込んで唐突にでてきたものですから、自民党政権に替われば、その議論の趣旨が廃止から存続条件へと移ることまでは、予測されていたわけです。もっとも、意外にも厚生労働省が強硬に一律廃止へ向けて突き進んでいくので、少し心配もあったのですが。

幸いに、現段階では、厚生年金基金の一律廃止の可能性は後退してきています。しかし、厚生労働省は、あくまでも実質的に廃止を狙うもののようです。なにしろ、監督官庁として基金の存続条件を決められる職権がありますから、不可能を強いるがごとき不当に厳格な基準を設定すれば、ごく少数の例外的な基金しか残り得ず、実質的な廃止は達成されるのです。ということで、今後の焦点は、厚生年金基金の合理的な存続基準のあり方、具体的には、いかにして不当に厳格な基準の導入を阻止できるかに移ったわけです。

技術的な基準よりも政策的な理念が重要

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話は飛ぶようですが、原子力安全規制の構造にもつながる問題性があるのです。私は、科学的な客観性の装いのもとに原子力規制委員会の行うことは、結果的に科学を超えた政治になってしまうことを問題にしています。

例えば、田中委員長は、記者会見で、新しい原子力安全基準について、「コストが幾らかかるかということについては、私は全く頭にありません」と断言しています。厳格な中立性の表明として、全くその通りの発言ではありますが、経済性を完全に無視した安全基準の導入は、事実上、経済的不可能を強いる可能性が高く、結果的に、科学の客観性の名のもとに、実質的な脱原子力を推進するのと同じことになります。はたして、そのような重大な帰結を齎すようなことが、正規な政治の意思決定手続きを経ずに行われてよいものかどうか。大切な先決事項は、技術的な安全基準ではなくて、原子力政策の基本的方向ではなかったでしょうか。

厚生労働省の厚生年金基金の存続基準も同じことです。先に、社会福祉政策、雇用政策、中小企業対策、金融政策など、厚生年金基金に関連した諸問題についての総合的な検討を踏まえたうえで、代替的措置との関連で厚生年金基金を廃止することが合理的であるとの積極的な論証がなされない限りは、軽率に基金廃止など提言できるわけはないでしょう。厚生労働省という狭い枠の話ではないのです。

にもかかわらず、厚生労働省が、問題を「代行割れ」という狭い一面的な論点に矮小化し、他の政策課題から分断して、結論先にありきで廃止を強行しようとすることは、国民の審判を経ずして重大な政治決定を行うに等しく、行政裁量の逸脱ではないかと思うのです。ゆえに、そうした議論が未成熟なこの段階では、基金廃止案が一度は退けられるのは、当然なのです。

ところが、厚生労働省は、厚生年金基金を監督する官庁として、存続を許容する技術的基準を定めることができる。ちょうど、経済性を完全に無視した原子力安全基準が、事実上、経済性の側面において、原子力発電を不可能にするのと同じく、厚生労働省は、基金の実情を無視した存続条件を突きつけることで、事実上、基金を解散に追い込むことができるのです。むしろ、正面から基金廃止を唱えるよりも、よほど容易な道といわざるを得ません。私が強く警戒するのは、この点です。

私は、総合的な経済社会政策の観点からは、特に安倍政権の経済成長戦略に忠実に考えていけば、基金廃止など出てくるはずはないという主張をしています。政策論的には、厚生労働省に分はないと思われますが、その分、技術的な論点に関する情報の優越と、存続基準の設定に関する行政裁量権があります。この裁量権を濫用して、国民の十分なる理解を得ないまま、基金を事実上の廃止に追い込むこと、これは断固阻止しなければなりません。

厚生労働省は体制を一新すべき

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厚生年金基金の社会的機能について総合政策的に積極的な価値評価がなされない限り、いいかえれば問題が厚生労働省の狭い視野に置かれる限り、仮に基金の一律廃止が否定されても、厚生労働省による不当に厳格な存続基準の適用によって、基金が事実上の廃止に追い込まれることは、避けがたいところでしょう。

問題の核心は、基金一律廃止の可否ではないのです。廃止案が形式的に否定されても、厚生労働省には、事実上の廃止を実現するだけの裁量権がある。高度な政策次元で基金の社会的機能の必要性が確認されない限り、そして本件を所管する厚生労働省の内部体制が一新されない限り、基金の将来はありません。それはそうでしょう、社会機能的に必要ないということになれば、仮に形式的に存続が可能となっても、実態的意味はないのですし、逆に必要だということになれば、現在の基金廃止を主導した厚生労働省の陣容は、明らかに政策遂行にとって不適切だからです。

私は、基金の社会的機能の重要性を信じています。ですから、実質的な意味における基金存続のために、いや存続のためというよりも基金機能の一段の強化のために、一般の方の理解を得るべく、より高度な次元での政府の理解を得るべく、できるだけの努力をしていこうとしているのです。

規制よりも重要な規制を合理化する政策意図

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原子力規制を例にとれば、国策的に原子力発電を推進するとの前提で、これまでの原子力規制はなされてきたのですが、今の原子力規制は、根幹の政策の方向性を欠いたものだから、いわば専門家による専門家の視点での規制のための規制になってしまっているのです。これは不毛です。同様に、政策の太い柱を欠いた厚生年金基金の規制など、不毛に陥ることは最初から明らかです。

基金に社会的意義を認めずに、基金がなくなっても構わないと思って基金を規制するのと、基金の社会的意義のために、その存続と発展を願って基金を規制するのとでは、全く異なる帰結が生じるのだということです。このように全く帰結の異なることについて、厚生労働省の勝手な裁量で決められていいはずはないのです。

基金廃止案は、単なる技術的な程度の問題(制度的廃止か実質的廃止かの差)としてではなく、新たなる基金の社会的意義の再確認のもとで、根源的に否定されねばなりません。そうなれば、厚生労働省の体制も一新されねばなりません。新たなる規制は、新たなる理念のもと、基金の社会的意義を実現できるように整備されていかなければならないのです。

そのなかで、くどいようですが、事実上の基金廃止を狙うような不当に過度な規制は断じて排除すべきです。例えば、最低責任準備金の1.5倍の資産額の留保を条件にするなどです。このような規制は、思想において、最低責任準備金の確保だけを目的としたものにすぎず、総合的な政策課題に対する何等の顧慮もないものであって、論じるに値しないのです。また、科学において、基金を廃止に追い込むために都合のいいような検証計算を行った結果であって、つまりは基金廃止先にありきで強引に作り上げたものであって、非現実的な仮定に立脚しているのです。逆に、存続を前提に妥当な仮定に基づく検証を行えば、はるかに緩和した基準が得られるであろうと思われます。

新しい規制の理念

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基金存続のための規制、あるいは制度改正としては、概ね三つの大きな柱があるのでしょう。第一が「財政中立性」、第二が積立不足の長期的な解消計画、第三が基金の管理体制の刷新です。その他、現状でも積立水準検証などはきちんと行われているわけで、根幹の改革さえ行われれば、基金の存続は、より確かな基盤のうえに再構築されるはずなのです。

第一の点は、「財政中立性」の完全な実現です。最低責任準備金にかかわる債務側の中立化に、適正な資産運用のあり方を適合させれば、資産債務の均衡が長期的に維持されて、「代行割れ」問題について、将来へ向けた構造的な改革が実現できるはずです。この点について、厚生労働省は、日本年金数理人会の専門家としての提言を受け入れるべきです。

第二は、第一の改革によって将来の財政の均衡が実現できても、既に発生している積立不足の処理は別問題だということです。これについては、よく損失の先送りは許されないなどとの論調が聞かれるわけですが、もともと制度の本質として長期的な収支均衡を目指すものなのですから、時間をかけて計画的に不足金処理をしていくことは、当然のことでもあります。

また、損失という表現も不適切です。損失といえば資産運用上の損失のようですが、個々にはともかく全体として資産運用で損失を生じている事実はなく、積立不足として問題になっているものは、制度の構造的な要因に基づくものです。その構造を将来に向かって直すわけですから、過去の不足を一定期間内に解消する手立てを講じれば、それでいいわけです。

そもそも不足金の先送りとして問題になるような事例は、不足金の認識がなされないままに先送り(事実上の隠蔽)される場合ですが、適正に認識された不足金が適正な方法で計画的に処理されることは、何ら問題ないことです。もっとも、計画の実現可能性がない場合は、実質的な不足金先送りと変わりありませんから、計画の達成を確かなものならしめるような規制の導入が必要なのはいうまでもないことです。この規制に対応できない基金が存立の基盤を失うことはやむを得ないでしょう。基金廃止反対論の人も、この点は認めているわけです。

第三は、基金の管理体制の強化です。事実として、管理体制の十分でない厚生年金基金が少なからず存在しているわけで、厚生労働省の基金廃止論のひとつの背景は、そのような基金に対する監督責任の放棄(とてもじゃないが、手におえないということです)でしょうから、逆に基金存続ということになれば、厚生労働省としては、本来の管理監督責任が果たせるように、検査体制等の充実を行わねばならないところです。そうすることで、社会的に失われてしまった厚生年金基金への国民の信頼を回復しなければなりません。その意味から、新たなる規制に対応できないような基金については、厳格な対応が必要なのであって、その結果として解散せざるを得ない基金が出たところで、当然というほかありません。

厚生年金基金への偏見と誤解を悪用した厚生労働省

その他、細かな技術的な改正は、いろいろとあり得るでしょう。これまでも、基金側からは、様々な改正要望が出されてきたはずです。一般の方の印象としては、厚生年金基金などというものは、仕事をしない社会保険出身者の天下りの巣窟ということかもしれませんが、それは、とんでもない誤解であり、偏見です。社会保険出身ならではの専門的知見に基づき、基金制度の発展に尽力されてきた多くの方々の貢献によって、厚生年金基金が重要な社会的責務を果たしてきたこと、このことについては、国民の理解をお願いしたいところです。

確かに、広い基金の世界、一部には問題もあるでしょう。しかし、一部の特殊な問題を一般し、厚生年金基金全体の問題であるかのように主張することは間違いです。資産運用についての誤解、基金関係者の資質についての偏見、そうした誤解偏見を取り除き、国民の正しい理解を得られるように努力すべきはずの厚生労働省が、逆に、それを利用して基金廃止を強行しようとすることに、私は強い憤りを禁じ得ないのです。