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「国民の一般的な宗教的感情」を害したので有罪。孤立出産で死産したベトナム人技能実習生、地裁判決の中身

望月優大ライター
熊本地裁(筆者撮影、以下の写真も同様)

「被告人を懲役8月に処する。この裁判確定の日から3年間、その刑の執行を猶予する」

2021年7月20日火曜日。熊本地裁の101号法廷で、杉原崇夫裁判官が有罪判決を宣告した。刑法190条、死体遺棄罪。被告人は熊本県南部の農家で働いていたベトナム人技能実習生のレー・ティ・トゥイ・リンさん、22歳。

約150万円にものぼる借金を負って来日したリンさんは、妊娠に気づいたあとも、妊娠を理由に強制的に帰国させられることを恐れ、働いていた農家や監理団体に言えないままでいた。そして、当時21歳だった彼女は、11月15日の午前中、孤立出産で双子を死産する。

この事件については、前回の記事で、「これで有罪になれば大変なことになる」という慈恵病院の蓮田健院長の危惧などを伝えた。

「これで有罪になれば大変なことになる」孤立出産で死産した技能実習生の起訴に対して医師が示した危機感

死産直後のリンさんは、出血を含む肉体的な疲弊、そして我が子を失った精神的なショックにもかかわらず、双子の遺体を丁寧にタオルでくるみ、段ボール箱の中に入れ、二人の名前や弔いの言葉などを記した手紙を遺体のそばに添えた。

そして、死産の翌日に監理団体の職員に連れられて病院に行き、当初は妊娠・出産の事実を否認するも、最終的には認め、病院が警察へと通報するにいたった。

蓮田医師の危機感は、「この行為が罪に問われるとなれば、孤立出産に伴う死産ケースのほとんどが犯罪と見なされてしまいかねない」という一言に集約される。

リンさんを有罪とすることで、外国人技能実習生に限らず、日本で孤立出産での死産を経験する女性たちの多くを犯罪化のリスクに晒してしまう。さらに、その結果として、むしろ遺体を埋めるなど死体遺棄を誘発する恐れすらある。そうした点を蓮田医師は強く危惧していた。

聖粒会慈恵病院・蓮田健院長。6月21日、第1回公判後の会見にて。
聖粒会慈恵病院・蓮田健院長。6月21日、第1回公判後の会見にて。

日本の刑事裁判の有罪率は99%を超える。だが、こうした文脈もあり、またリンさんが遺体を埋めたり置き去りにしたり傷つけたりなどしていないこと自体については争いが特にないこともあり、私は無罪判決が出る可能性も念頭に置きながら傍聴に臨んでいた。だが、有罪だった。

第1回の公判で、裁判官は3つの争点を示した。

①被告人の行為が刑法190条の遺棄にあたるか

②被告人に死体遺棄の故意はあったか

③被告人に葬祭義務を果たす期待可能性はあったか

基本的にはこれら3つのうち1つでも否定されれば無罪ということになる。つまり、有罪判決であったことは、裁判官が3つの争点についてすべて認めたということを意味する。

以下、判決の中で3つの争点について裁判官が述べたことの要点を順に紹介し、それぞれに関して私がポイントだと感じた点や疑問について合わせて記していく。

争点① 被告人の行為が刑法190条の遺棄にあたるか

(裁判官が述べたこと)

・刑法190条は「国民の一般的な宗教的感情」を社会秩序として保護し、同条の「遺棄」は「一般的な宗教的感情」を害するような態様で死体を隠したり放置したりすることをいう。

・被告人は、死産を隠すために、遺体を箱に入れて外からわからないようにし、回復したら誰にも伝えずに自分で埋葬しようなどと考え、1日以上にわたって自室に置き続けた。

・被告人の行為は、死産を隠したまま「私的な埋葬」をするための「準備」であり、「正常な埋葬」のための「準備」ではないから、「国民の一般的な宗教的感情」を害することが明らか。

・したがって、被告人が「嬰児を段ボール箱に入れて保管し、自室に置き続けた行為」は、刑法190条の「遺棄」にあたる。

まず、裁判官は、リンさんが双子の遺体を誰にも言わずに「私的に」埋める「準備」をした、その「準備」自体を「遺棄」として認定している。なお、死体遺棄罪には未遂罪や予備罪は存在しない。

また、念のための確認だが、リンさんは双子の遺体を埋めていない。判決でも認定されている通り、事実としてリンさんがしたことは、双子の遺体を丁寧に箱に収めて一日あまり自分のすぐそばの腰の高さほどの棚の上に置いていたことだけだ。

なお、このリンさんの「丁寧さ」や双子を「愛おしむ気持ち」についてはのちの2つめの争点に際して裁判官も認定している。

リンさんが遺体を収めた箱を置いていた棚。リンさんが暮らしていた部屋で撮影された写真(写真提供:コムスタカ-外国人と共に生きる会)
リンさんが遺体を収めた箱を置いていた棚。リンさんが暮らしていた部屋で撮影された写真(写真提供:コムスタカ-外国人と共に生きる会)

確かに、もしリンさんが誰にも言わずに遺体をどこか土の中に埋めていたら(実際には埋めていない)、つまり「準備」の段階にとどまらずに埋葬にまでいたっていたら(実際にはいたっていない)、それが「遺棄」であるということは理解しやすい。だが、事実はそうではないわけで、実際にはいまだ行われていない未来の埋葬行為を想定し、その「準備」それ自体を「遺棄」だと認定するのは踏み込みすぎではないのだろうか

また、そもそもリンさんが「双子の遺体を丁寧に箱の中に収めた行為」がすなわち未来の埋葬の「準備」なのだと認定とすること自体の問題もある。その前提には、「回復したら誰にも伝えずに自分で埋葬しようなどと考えて」というリンさんの内心に関する部分があるのだが、リンさんがこれについて裁判の中で否定している点も重要だ。

こうして見ると、リンさんの(非)行為が「遺棄」であるという裁判官による認定には、いくつかの前提があることが見えてくる。

・誰にも言わずに埋葬することにまではいたっていなくとも、その「準備」をすること自体が「遺棄」でありうること

・リンさんが誰にも言わずに双子の遺体を埋葬しようとしていたこと(内心の問題であり、かつリンさんは裁判で否定)

・リンさんが遺体を丁寧に箱の中に収めた行為が、すなわち誰にも言わずに埋葬することの「準備」であったこと

私にはかなり危うい論理立てにも映ったのだが、どう見えただろうか。

なお、上で「(非)行為」という書き方にしているのは、リンさんが何かをしたこと(作為)が罪なのか、それとも何かをしなかったこと(不作為)が罪なのか、それ自体がよく分からないところがあるからだ。一方では、箱に入れて腰の高さの棚の上に置くという「行為」が遺棄であると言っているようにも取れるのだが、他方では「葬祭義務」を果たさなかったという形での「非行為」が遺棄であると言っているようにも取れる(のち3つめの争点で出てくる)。

また、そもそも論になってしまうが、果たして「国民の一般的な宗教的感情」とは一体なんだろうか。これをリンさんは「害した」とされているわけだが、一体「いつ」、「何を」したことで害したのだろうか。遺体を箱に収めた瞬間だろうか、収めてから例えば24時間が経過した瞬間だろうか、それとも病院で妊娠や死産の事実を一時的に否認した瞬間だろうか。

そもそも死体遺棄罪は、殺人罪や傷害罪、あるいは窃盗罪などと保護法益の性格がかなり異なる。相対的に、殺人や、傷害、窃盗の「いつ」はかなり明確だ。その理由は簡単で、「何を」すれば犯罪になるかが比較的明確だからである。だが、死体遺棄については「いつ」についても「何を」についても曖昧だと感じざるを得ない。

例えば、「死産した後すぐに誰かに言わなければならない」などとは法律のどこにも書かれていない(ちなみに死亡届は7日以内)。しかし、あたかもそれが法律に書かれているかのようにして、リンさんは「死体遺棄をしたのだ」という内容の判決が下されている。まさに、「孤立出産に伴う死産ケースのほとんどが犯罪と見なされてしまいかねない」という蓮田医師の危惧通りではないだろうか。

日本国外の出身であるリンさんに対してほとんど無前提に持ち出される「国民」という言葉、そこにあるとされる「一般的な宗教的感情」、それを害さないとされる「正常な埋葬」。いずれについても、明確な輪郭をなしていない存在や区別を「わかっていて当然」とする論理が前提にあるように見える。

リンさんが書いた手紙(写真提供:コムスタカ-外国人と共に生きる会)
リンさんが書いた手紙(写真提供:コムスタカ-外国人と共に生きる会)

争点② 被告人に死体遺棄の故意はあったか

(裁判官が述べたこと)

・被告人は死産した際の手続きに関する明確な知識は持っていなかったかもしれない。だが、「分別のある青年」であり、日本で2年以上生活もしている。

・そんな被告人なら、死産を隠し、「私的な埋葬」をするために段ボール箱に入れて保管し、自室に置き続けることが、「正常な埋葬」のための「準備」とは言えず、「一般的な宗教的感情」を害することは、容易にわかったはずだ。

・したがって、被告人には死体遺棄の「故意」が認められる。

・確かに被告人は嬰児をタオルで丁寧に包み、名前をつけるなどしており、「嬰児を愛おしむ気持ち」があった。また、丁寧に段ボール箱に入れて埋葬するつもりで自室に置いている。だが、被告人に愛情や埋葬の意思があったとしても、それらを周りに隠れてやろうとしたから、そのような「私的な埋葬」やその「準備」が、「国民の一般的な宗教的感情」を害することは変わらない。

2つめの争点は死体遺棄の「故意」についてである。つまり、リンさんの(非)行為が客観的に遺棄であったかどうかという争点とは別に、リンさんが当該の(非)行為の際に主観として「遺棄をしようとしていたかどうか」という争点があるわけだ。

裁判官の理路を見てみよう。裁判官がする「故意」の認定にとって重要な点は、誰にも言わずに「私的な埋葬」をすることの「準備」をすれば「(国民の)一般的な宗教的感情」が害される(*1つめの争点で言われていたこと)、それについてはリンさんが理解していて当然だということである。たとえベトナムからの技能実習生であれ、「分別のある青年」なのだから、ということである(「分別」というのも曖昧な言葉だ)。

なぜこのポイントが重要になるかといえば、「ルールをわかっているにも関わらずあえてそのルールから外れる道を選ぶ」という「あえて外れる」の部分が「故意」の認定においては必要になり、そのためには「ルールをわかっている」という前提が必要になるからだろう。だが、この点についても、すんなりとは理解しづらいところがあった。

まず、裁判官も言っている通り、死産直後のリンさんが「死産した際の手続きに関する明確な知識」を持っていなかった可能性は高いし、そのこと自体が責められるようなことではない(たとえ日本生まれであっても、同様の状況下で「明確な知識」を持たない場合は少なくないはずだ)。

加えて、先に述べた死体遺棄罪の曖昧さに通じるところなのだが、「正常な埋葬」を前提とする「死産した際の(正常な)手続き」とは何かがそもそも明確にされていないという、より根本的な問題がある。つまり、「あなたはルールをわかっていてあえてそこから外れていましたね」と言うには、元となるルール自体があまりにも不明確だという問題である。

さらに、ルールから「あえて外れる」の部分においては、単に遺体を箱に丁寧に入れたことだけではなく、それをする上で「私的な埋葬をするために」といういまだ行われていない未来の行為に対する内心のありようが再び持ち出されており、繰り返しになるが、リンさんは裁判の中でこれを否定している。

1つめ、2つめの争点についての裁判官の説明に通底するのは、リンさんが一度は死産を(遺体を、ではない)隠そうとしたことは事実なのだから、双子の遺体についても誰にも言わずに埋めようとしたに違いないという筋立てである。

遺棄の認定にしろ、故意の認定にしろ、「誰にも言わずに埋めようとした」という「まだ起きてもいないこと」が、「実際に起きたこと(遺体を箱に丁寧に入れて棚の上に置いたこと)」の罪を判断する上での重要な前提かのようにして未来から繰り込まれているように見えるわけである。

弁護団と支援者による判決後の記者会見の様子。ここで語られた内容については記事を改めて別途お伝えしたい。
弁護団と支援者による判決後の記者会見の様子。ここで語られた内容については記事を改めて別途お伝えしたい。

争点③ 被告人に葬祭義務を果たす期待可能性はあったか

(裁判官が述べたこと)

・孤立出産での死産後、被告人は、肉体的な疲れや精神的なショックなど、弁護人が言うような「厳しい状態」にあったと言える。

・だが、周りの人に告白し、助力を求めることはできたはずだ。

・したがって、被告人には適切な葬祭義務を果たす期待可能性があった。

この争点に対する裁判官の論理立てはシンプルで、弁護人や蓮田医師の意見書が訴えるような過酷な状況にリンさんが置かれていたことは認める、だがそうだとしても周りの誰かに助力を求めれば良かったし、そうすることぐらいなら(その過酷な状況下にある)リンさんに対しても期待できただろうということだ。

つまり、「孤立出産で心身ともに疲弊しているにも関わらず、嬰児を埋葬する準備をしたリン氏の行為は優秀の域にある」という蓮田医師が意見書で示した見解は、「厳しい状態」というざっくりとした言葉によって一部取り込まれているものの、期待可能性に対する判断という意味での結論としては一蹴されている

加えて、私が思ったのは、何はともあれ、どんな経緯であれ、リンさんは死産の翌日には告白したではないかということだ。確かに医師らに問われた当初は妊娠や死産について否認したのだろう。だが、そのあと同日中には妊娠や死産について認めたわけであって、それは裁判官が言う「周りの人への告白」とはどう違うのだろうか。

病院で告白をしたリンさんは、もし逮捕されていなければ(リンさんは数日後の退院と同時に逮捕されている)、「葬祭義務」を果たしていたのではないか(周囲の人間も含めて果たさざるを得ない状況にあっただろう)。だが、まさに逮捕されてしまったことによって、裁判官の言う「周囲に対する告白から葬祭義務の履行へ」という流れが断ち切られたとも言えるわけである。彼女自身にとっても、双子の遺体にとっても、あえて言えば「国民の一般的な宗教的感情」にとっても、逮捕や起訴ではなく、医療・福祉的な支援や保護のほうが必要かつ適切だったように思えてならない。

また、ここでは「葬祭義務」の履行に対する期待可能性の前提として、彼女がたとえ肉体的・精神的に厳しい状況であったとしても、他者に告白して助力を求めることはできたはずだということが言われているわけだが、これについては、リンさんがそもそも妊娠時から誰にも言えなかったことの背景にある技能実習制度の問題について、より深い理解が必要ではないかと思う。

つまり、実習生の多くが背負う重い借金の問題(リンさんの場合は約150万円)、制度が原則として転職を認めていないという問題、雇い主や監理団体の意向次第で意思に反して帰国を迫られる場合も少なくないという問題などがあり、こうした要因から帰結する「雇い主や監理団体が嫌がること(妊娠はその代表例)を容易に相談できない」という構造的な不安、リンさんが抱いた「妊娠のことを言えば帰国させられるかもしれない」という恐怖が、彼女は誰かに告白できたはずだという裁判官の想定の是非に明らかに関係してくるわけである。

そうであればこそ、彼女の口を閉ざさせた社会や構造に対する視点や理解が不可欠ではないだろうか。リンさんの境遇は、国籍の違いを超えて、日本で孤立出産を経験する女性たちと共通する部分が多いだろう。だが、彼女が外国人技能実習生であり、その制度にまつわる固有の環境下にあったことも、やはり見過ごすべきではない。

検察から双子の遺体の引き取りが許可されたのは死産から7ヶ月近く経った5月の半ばだった。リンさんは双子の遺体を熊本市斎場で火葬し、遺骨を骨壷に収めた(写真提供:コムスタカ-外国人と共に生きる会)
検察から双子の遺体の引き取りが許可されたのは死産から7ヶ月近く経った5月の半ばだった。リンさんは双子の遺体を熊本市斎場で火葬し、遺骨を骨壷に収めた(写真提供:コムスタカ-外国人と共に生きる会)

量刑について(懲役8ヶ月、執行猶予3年 *検察官の求刑は懲役1年)

(裁判官が述べたこと)

・妊娠が解雇理由にならないとはいえ、実際には仕事ができずに収入がなくなるため、家賃や生活費が出せなくなり、帰国に追い込まれてしまう。そのような状況を十分にサポートする制度もなく、実習生にとって厳しい環境であった。

・被告人が帰国を恐れ、妊娠を周りに告白できずに思い詰め、中絶しようとしたが失敗し、出産して犯行に及んだ経緯には、同情の余地が十分にある。

・遺棄の内容も、「周りの宗教的感情や平穏」を害するものであるが、丁寧に箱に入れて自室で保管するなどしたもので、その程度が大きいとは言えない。

裁判官は最後に量刑についても触れている。検察官の懲役1年の求刑に対して、懲役8ヶ月、執行猶予3年とした判断に関してということだ。

ここでは、先に触れたような実習生を取り巻く厳しい環境について認めている。また、リンさんが帰国を恐れたことなどへの同情の余地もあり、遺棄の程度もそこまでではないのだとしている。

そもそもそこまで認めるのなら無罪で良かったのではないかという思いが強まるわけだが、いずれにせよ、裁判官としては、こうした点について、罪の認定ではなくあくまで量刑の判断のみに関わらせたということになる。

一点気になったのは、ここまで用いられてきた「(国民の)一般的な宗教的感情」に代わって、突如として「周りの宗教的感情や平穏」という微妙に異なる言葉が用いられていることだ。ここに来て唐突に「周りに迷惑をかけた」的なニュアンスにすり変わっているようにも見えるのだが、仰々しい「国民」はどこに行ってしまったのだろうか。保護法益の解釈だけでなく、それを表現する言葉までもがさじ加減ひとつで変わってしまうように思え、なんとも言えない違和感を覚えた。

リンさん「私は捨てても隠してもいない」

こうした内容の地裁判決を受けて、リンさんは控訴の意思を示すコメントを発表している。

「私の無罪の主張のため、皆が支援してくださって、心より感謝申し上げます。私の無罪の主張が認められず、大変残念です。私は、子どもの遺体を捨てたり、隠したりしていません。この判決には納得できないので、福岡高裁へ控訴して、無罪を実現したいと思います。これからも応援よろしくお願いします。」

リンさんの主張はずっと変わらず、「私は、子どもの遺体を捨てたり、隠したりしていません」という言葉に端的に示されているように思う。その言葉を裁判官だけでなく私たち一人ひとりがどう受け止めるか、この社会はリンさんを有罪にして良いのか、そのことがこの裁判では問われ続けている。

右下はリンさんの直筆
右下はリンさんの直筆

なお、リンさんの現在の在留資格(技能実習2号)は8月半ば過ぎに期限を迎える。そのため、今後リンさんは、刑事裁判がどうなるかという問題だけでなく、8月後半以降の在留資格がどうなるのか、日本に滞在し続けられるのか、働くことが認められるのか、といった入管行政との関係での問題にも直面せざるを得ない。

すでにかなり長くなってしまったので、このあたりの点も含め、判決後の記者会見で弁護団や支援者の口から語られた内容などと合わせて、次回以降の記事で整理できればと思う。今後、高裁での控訴審へと移っていくことになる予定だが、引き続き取材を続けていくつもりだ。

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ライター

1985年生まれ。日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」編集長。著書に『ふたつの日本「移民国家」の建前と現実』(講談社現代新書)。株式会社コモンセンス代表として非営利団体等への支援にも携わっている。

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