【最新の『X年後』がすごい!】10代後半の若者たち…同じ核実験の海にいた 日英で共有する放射線の恐怖

日本テレビ「NNNドキュメント‘20」『クリスマスソング』(筆者が画面を撮影)

この写真だけでも圧倒的なスクープと言えるのではないか?

 太平洋のど真ん中にあるクリスマス島でイギリス軍が行った水素爆弾の実験の際の写真だ。

 カラー写真で空の青さが目に映える。キノコ雲がピンク色に染まっている。

 島の反対側の兵舎の外でキノコ雲を眺めるイギリス人の兵士の中には上半身が裸の者もいた。大半は17歳から19歳の徴兵された若者たちだ。

 同じ海域にはこのキノコ雲を眺めていた日本人の若者たちもいた。遠洋漁船に乗ってマグロ漁をしていた20歳前後の若者たちだった。

 ここにいた若者たちの身体にはその後、次々に異変が起きていく。

 日本とイギリスで今も生存する数少ない人たちを訪ねていき、証言を集めたのが今回紹介したい番組だ。

 2020年5月24日(日)の深夜に放送された「NNNドキュメント‘20」『クリスマスソング 放射線を浴びたX年後』

 今まで見たことがなかった映像や写真などが満載のすごいドキュメンタリーだった。

 アメリカは南太平洋に浮かぶマーシャル諸島で1946年~1962年まで核実験を100回以上実施してきた。

 一方でイギリスも赤道付近にあるクリスマス島とその周辺の島で1957年から核実験を行っていた。

 この時期にこの海域で操業していた日本のマグロ漁船が多数存在し、その一隻に乗り込んで遠洋業業の様子を記録したフィルム映画も見つかった。

 小中学生向けの教育映画として制作された「荒海に生きる」という作品だ。

 近くの海で水爆実験が行われた後も乗組員たちが海中に潜って放射能で汚染された海水で身体を洗っていた姿が映像に残っている。

  

番組を制作したのは愛媛県に本社を置く南海放送。

 日本テレビ系列でつくる「NNN」というニュースネットワークの一翼を担う局でドキュメンタリー制作の力では定評がある。そのNNN各局が制作している「 NNNドキュメント」の中でこのドキュメンタリーは放送された。

 番組のホームページには以下のように記されている。

2011年以降、日本各地で行われた放射線測定。その過程で核実験由来の放射線が見つかった。浮かんだのは半世紀以上前の列強国による核実験。当時、その海域で日本の漁船が操業していたという事実を掴んだ取材班は、船を特定し乗組員の追跡を始めた。生存者の口から語られる目撃証言。さらに核実験に関わったイギリス軍の元兵士や遺族も重い口を開き始める。その海で何があったのか。16年間にわたる取材が謎を解き明かしていく。

出典:日本テレビ「NNNドキュメント‘20」番組ホームページ(5月24日放送分)

制作者は南海放送の伊東英朗さんというディレクターだ。

 南太平洋で行われた核実験で被ばくした日本のマグロ漁師の証言を伊東さんが集めてきた長期取材の賜物である。

 伊東さんは乗組員の聞き取り活動をしている川口美砂さんに同行する形でこれまでも様々な証言を集めてきた。番組には川口さんと取材者である伊東さんが協力して高齢化が進む元乗組員の話を聞いている場面が登場する。

 記録映画「荒海に生きる」に登場する乗組員の中で一番若かった檜垣昌作さん(当時17歳)と兄の檜垣介利さん(当時19歳)は高知県内で暮らしていた。

 80歳と82歳になっていた2人に記録映画を見てもらいながら話を聞くと「(一回の航海で)40日から50日かかった」「1年間に8回航海を繰り返した」など当時の生活について語ってくれた。

 一方、放射能の存在など考えてもいなかった日本の漁船の乗り組み員に比べ、イギリス海軍の船に乗っていた乗組員の写真は対照的だ。全員が顔にマスクをかぶってゴーグルを身につけていて中には上下が防護服姿という兵士もいた。

 日英ともに、当時は20歳に満たない若者たちも多かった。

 そうした放射線防護を考えていたような写真もある一方で、冒頭の写真のように核爆発が起こっていて、キノコ雲が上がり、爆発の熱波などの衝撃が届いているにもかかわらず、ほとんどが軽装備で上半身裸という無防備な状態で過ごす兵士たちの様子を捉えた写真もあった。

 番組のナレーションはこの写真から読みとれるイギリス側と日本側との共有点を以下のように表現している。

(ナレーション)

「(核実験の近くで軽装備のイギリス兵たちは)それはまるで『荒海に生きる』(クリスマス島周辺でマグロ漁を行った日本漁船を追った記録映画)に描かれた無防備なマグロ漁師と同じよう。そのほとんどがあどけさの残る10代から20代の若者たちだったのです」

日本人とイギリス人の当時20歳前後の若者たちに焦点を当てている。

 今回、ディレクターの伊東英朗さんはイギリスで当時の兵士たちを訪ねて取材を重ねている。

 クリスマス島での核実験に参加したイギリス軍の兵士は約2万2千人。そのうち1500人が生存していると言われている。

(当時19歳で駆逐艦から核実験を目撃したデレク・ウッドさん=82歳)

「私たちはデッキに座らされました。核爆弾が爆発して手とゴーグルを通して閃光が見えました。数秒後に背中に熱を感じました。当時私はまだ19歳だったのですごく興奮しました。でも振り返ってみると、それは思っていたより、とても深刻なことでした。一部の人はおそらく一連の実験に関連して死にました。私はとてもラッキーです。健康だから

 ウッドさんは3回の核実験に参加した。

 「私は生き延びることができてラッキーだった」という言葉はその後に取材した兵士全員が口にしたものだという。

(デレク・ウッドさん)

「私たちはすべてが安全だと言われました。でも…」

 伊東ディレクターはイギリスで精力的に取材を続けている。今年1月の取材だったという。新型コロナウイルスが感染拡大するほんの直前だ。

 そこで出会ったロン・ワトソンさん。

 クリスマス島で5回の核実験に参加した。

 原子爆弾の実験場までは20キロ。水爆の実験場までは30キロしか離れていなかったという。

(当時18歳だった元海軍兵士のロン・ワトソンさん=81歳)

「防護服もなく、問題が発生するかもしれないという警告もありませんでした。私たちは爆発が起こった場所の方向に背を向けました。目を閉じて手を目の上に置くように言われました。(手の平で目を覆う仕草する)そうしたにもかかわらず、指の骨が透けて見えたので不思議に思いました。X線のようなものです。骨が透けて見えました

 当時19歳だったエリック・バートンさん(78)は1962年にクリスマス島で行われた6回の核実験に参加した。

 当時は兵士同士が会話することができて写真を撮ることも可能だったという。

 冒頭のキノコ雲と半裸の兵士たちの写真はバートンさんが提供したものだった。

 イギリス軍が禁じていなかったため、核実験当時の写真約30枚を伊東さんは入手することができた。

(エリック・バートンさん)

「78日間で24の核爆弾が投下されました。3日ごとに1つです。私が島に到着した時、核爆弾は6発した残っていませんでした」

 1962年には米英合同で核実験ドミニク作戦が実施された。クリスマス島で合わせて30回の核実験が行われた。

 伊東さんが元兵士たちにインタビューを重ねると、核実験が予定されていた海域に日本のマグロ漁船が入ってきて実験が遅れたことがあったという証言を得た。イギリス側も日本漁船の存在は認識していて「ゾーンから出ていけ」と警告していた。ただし「実際に出ていったかどうかは知らない」という。

 当時、近くで漁をしていたマグロ漁船の元乗組員に話を聞くと「禁止区域の付近は魚がどっさりおる。みんな(操業可能ゾーンを)抜けて相当(禁止区域の)近くまで行く。行けることろまで行って操業しよった」などの証言も出てきた。

日本人もイギリス人も同じ海の魚を食べていた。

 日本人の漁師も島の近くで獲った魚を船上で食べていた。 

 ガイガー計数管という放射能を測る機械で魚を測って、放射能汚染が著しい魚は捨てることになっていたのに「もったいない」と思って実際には食べていたのだという。小中学生向けの教育映画として制作された記録映画「荒海に生きる」(1957年撮影)には乗組員の中で最年少の檜垣昌作さん(当時17歳)が炊いた白飯と獲ったばかりのマグロで握り寿司を作って仲間を喜ばせる場面が記録されている。  

 一方、イギリス軍の兵士たちも週末は島の周辺で泳いで獲った魚をバーベキューをして食べていた。

 

 しばらくしてから体調が悪くなる乗組員が出始める。

 日本側のマグロ漁船に乗っていた人にも、イギリス側で海軍の任務についていた人にも…。

放射能による深刻な健康被害。

 ガンなどにかかる人が急増していく。

 日本のマグロ漁船の乗組員だった人たちが核実験が行われていた海域で操業している間に被ばくして重大な健康被害が出ていた。その問題を伊東さんが報道するのはこれが初めてではない。  

 日本テレビ系列の「NNNドキュメント」という番組枠で『放射線を浴びたX年後』というタイトルで最初に放送したのは2012年。その時もすでにその前に8年間も取材を積み重ねた上でこのテーマを追いかけていた。

1954年。18ヶ所の漁港に鳴り響くガイガーカウンターの音。水揚げされる被ばくマグロ。南太平洋から戻るマグロ漁船の船体や乗組員の衣服、頭髪、そして魚からも、強い放射能が検知された。アメリカが太平洋で行った水爆実験は、広大な範囲で大気と海水と魚などを汚染。「放射性物質」は、日本やアメリカ本土にまで届いていた。しかし事件から7ヶ月後。被ばくマグロが続々と水揚げされる中、日本政府は突如、放射能検査を打ち切った。数日後、両国政府が文書を交わし、事件に幕を引いたのだ。人々の記憶から消え、歴史から消し去られた被ばく事件。なぜ、これまで明るみに出なかったのか。そこには、両政府の思惑と人々の切実な思いがあった。8年にわたる取材から事件の全容を浮かび上がらせる。

出典:「NNNドキュメント’12」番組ホームページ「放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして・・・」

 『放射線を浴びたX年後』は2011年の福島第一原発の事故で放射線や放射能による健康被害に関心が高まっていた時期とも重なって、大きな反響を読んだ。

 2014年8月には同じく「NNNドキュメント」の枠で『続・放射線を浴びたX年後~日本に降り注いだ雨は今~』を放送している。

アメリカが太平洋で核実験を行った1954年。マグロ漁船「第五福竜丸」の被曝が世界に報じられた。だが、被害はそれだけではない。南海放送は一昨年、「放射線を浴びたX年後」を放送。被曝した魚を水揚げした日本の船が延べ1千隻だったこと。さらに、放射性物質が日本列島を汚染していたことを伝えた。全国に降り注いだ放射性物質。特に爆心地に近い沖縄では、当時17万カウントという高い放射線を測定。約30年間にわたり国内の被曝の実態を調査してきた高知県の元高校教諭が今年、その沖縄に入った。周辺海域が汚染されていたにも関わらず被曝した魚が沖縄で一度も水揚げされていないことに、元教諭は疑問を抱く。調査を進めると、沖縄が持つ特殊な実情が見えてきた。

出典:「NNNドキュメント‘14」番組ホームページ『続・放射線を浴びたX年後~日本に降り注いだ雨は今~』

 さらに同じ14年の11月に3本目となる「NNNドキュメント」での『放射線を浴びたX年後3 棄てられた被ばく者』を放送した。

9月19日、厚生労働省である文書が開示された。アメリカが太平洋上で実施した1954年の水爆実験。そこで被ばくしたとされるマグロ漁船乗組員がいる。彼らの被ばく実態について、これまで厚生労働省は「保有していない」としていたものの一転して文書の存在を認めた。開示された文書は全部で約1900ページ。「文書は今回開示した分がすべてだ」とする厚生労働省。しかし、被ばく者の救済活動を続ける高知県の元高校教師山下正寿さんらは「重要な部分が公開されていない可能性がある」と、再請求に踏み切ろうとしている。水爆事件による被ばく事件を10年以上取材してきた南海放送は、乗組員や有識者の証言を元に、開示された文書と事件を改めて検証する。

出典:「NNNドキュメント‘14」番組ホームページ『3・11大震災 シリーズ (57) 放射線を浴びたX年後 3 棄てられた被ばく者』

 さらに2016年には「NNNドキュメント」で『X年後』のシリーズ4本目となる『汚名~放射線を浴びたX年後』を放送する。

これは、遠い時代・遠い場所の話ではない。知られることのない、X年後の物語である。 

「放射線を浴びたX年後」シリーズ第4弾は「父の死の真相」を追い求める1人の女性をクローズアップした。漁師だった父が早死にしたのは?酒の飲みすぎだとばかり思っていた。しかし、映画「X年後」を観て、考え方は一変した。「父の死と核実験は因果関係があるかもしれない」女性は、真実を確かめるため、遺族や乗組員を訪ね歩いた。そこで見た現実とは?

出典:「NNNドキュメント‘16」ホームページ(2016年6月26日)『汚名 ~放射線を浴びたX年後~』

 そしてそれに続く「NNNドキュメント」でのシリーズ第5作目が今回の『クリスマスソング』だった。

 今回の『クリスマスソング』では、当時、20歳前後の若者でクリスマス島近くの海で働いたイギリス人の男性と同じ海でマグロを獲っていた日本人の男性が後で共に腹部に大きな腫瘍ができて手術で切除した体験を語っている。

2人とも共通してその腹部をテレビカメラの前でさらけ出している。

 この傷跡がどうしてできたのか。その病の苦しみを知ってほしいと言わんばかりに。

(元マグロ船乗組員・清水啓一郎さん)

「腹にこう触ったらね。こぶがいっぱいできてね。胃が痛くなったりね。胃の上見たらこんな(指で丸をつくる)塊ができてね。何年じゃないね。何十年でひどくなってきたね。じわっと」

(元イギリス軍兵士テリー・クインランさん)

「任務を終えて間もなくすると体調が悪くなりました。ここが膨れ始めてとても痛かった。大きくなってその上に肘を置くことができるほどでした。痛かった。緊急入院して腫れを切り取る手術を2回受けました。脇腹に2 つ腫瘍ができました。ここ(脇腹)がメロンくらい大きく腫れた」

 彼は核実験に参加した兵士たちの死因の一覧表を見せてくれた。英国核実験退役軍人協会が作成したそのリストではクリスマス島に派遣された兵士ばかり半分以上がガンを煩い、そして50歳以下で死亡していた。 

 当時の若者たち本人だけでなく、その子どもの世代にも異変が生じていた。

 元イギリス軍兵士のダグラス・ハーンさん(83)は1957 年の核実験に参加した。

 結婚して2人の子どもができたが、次女が11歳になった時に変化が現われたという。

(ダグラス・ハーンさん)

「娘の背中には大きなこぶがあり、体毛で覆われていました」  

 こぶを取リ除く大手術をいた後も不平も言わず、次女は泣きもしなかったという。

 13歳で凄絶な最期を迎えたという。

 2009年、ダグラスさんが所属する英国核実験退役軍人協会はイギリス 国防省を相手取った裁判で敗訴した。

 元兵士の子の世代や孫の世代でガンを初めとして10以上の病に苦しんでいる女性たちも登場する。

 奇形児も数多く生まれたという。 

 核実験の放射線で被ばくしたことの健康被害がさらに下の世代にまで継承されていく重苦しい実態を見せつけた。

 このドキュメンタリーのタイトルである『クリスマスソング』というのは、クリスマス島での体験をイギリス軍の元兵士たちが歌った曲で政府への抗議を歌詞にしたものだ。元兵士で任務の後に重い病気に苦しんできたテリー・クインランさんが自ら英語で歌ってくれた。

政府が俺たちにしたことは最低だった

兵士が犠牲になった

突然、海に背を向けて座らされた

どんな結末になるか知らなかった

兵士は弱い男になって帰国した

俺たちはその先に待っているものを想像しなかった

それはほんの数年後に現れた

それが家族や子どもたちを泣かせたんだ

核実験は地獄だった

 クインランさんが口ずさむこの歌詞に合わせて、マグロ漁船に乗ってクリスマス島で操業していた日本人の若者たちの屈託のない笑顔などの映像が映し出される。

 国を超えて、核実験に翻弄された若者たちの人生の数々が伝わってきた。 

 この作品はイギリスと日本の二十歳前後の若者たちが核実験によって自身の人生だけでなく家族の幸せまで奪われてしまった悲劇を描いたドキュメンタリーだ。

 伊東英郎さんという1人の映像作家がライフワークにしているテーマに今までの蓄積を生かして渾身の思いを込めて作り上げた作品だ。今年放送されたドキュメンタリーの中でも1、2を争う力作だと思う。ぜひ多くの人たちに見てほしい。

 ちなみに伊東さんはテレビ番組として放送したドキュメンタリーを長編に作り直して2012年に劇場用映画にしている。

 さらに2015年には劇場用映画の第2弾まで公開した。

映画『放射線を浴びたX年後2』予告編

 これが各地の公民館などで上映会などが行われて、その都度、伊東さん本人が出向いていって撮影の裏話などを話しながら、核実験をめぐる問題の根深さを伝える活動にも精を出している。

 2014年には伊東さんは講談社から単行本を出版している。

ここでの被ばくは、有名な第五福竜丸だけではなかった。

長きにわたり隠蔽されていた、もう一つの、そして甚大な被ばく――。

この海域で何も知らずに操業していた、数多くのマグロ漁船。

その乗組員が大量の死の灰を浴びていたのだ。

そして屈強な海の男たちは、やがて40代、50代の若さで癌や心臓病を発症し、次々と亡くなっていった……。

その実態を明かすべく、高知県の高校教師と生徒たちが

当事者に聞き取り調査を続けていたことを知ったテレビディレクターは、

8年にわたってその成果を取材し映像化。

焼き場で夫の遺骨を拾った妻は

「他の人の骨はすっきり残っちょるけん、うちのお父さんのはぐちゃぐちゃになっとった」

と語る。

「(被ばくと健康被害について)ひとことでも言ったらここでは生きていけんかった。

あん時代、日本は石炭とサカナで立て直すほかなかったけん」

「いっつの時代も、損をするのは弱い者ばっかりよ」

夫を亡くした妻たちが絞り出す言葉。

出典:講談社BOOK倶楽部「放射線を浴びたX年後」ホームページ

 民間放送のディレクターがこれほど一つのテーマを追い続けて、それをテレビドキュメンタリーだけでなく、映画にしたり、本という形でも伝え続けるというケースはそれほど多くはない。伊東さんのように同じテーマでその都度進化した作品を出し続けている制作者はほとんど見当たらない。稀有な存在だといっていい。

 最新作である『クリスマスソング 放射線を浴びたX年後』は5月31日(日)午前8時からBS日テレで再放送されるほか日テレNEWSでも放送される予定だ。

 原子力や放射能、環境の問題、あるいはジャーナリズムの役割に関心がある人は必見だろう。

 まだ見ていない人はぜひ見て知ってほしい。知られざる事実が次から次へと圧倒してくるような力作だ。