「『訓告』に決めたのは法務省でなく官邸」共同通信のスクープ報道の意味

東京新聞(5月25日)一面の共同通信のスクープ記事(筆者が撮影)

 久しぶりの“オールドメディア”によるスクープだと思う。

 このところ、政治ニュースのスクープは週刊文春発“文春砲”頼みだったが、久しぶりに新聞社や通信社、テレビ局などの既存メディアが意地を見せて特ダネを放った格好だ。

 共同通信がブロック新聞や地方新聞向けに配信する記事で、国民の中でモヤモヤしていた「違和感」に応えた。 

黒川氏処分、首相官邸が実質決定 法務省は懲戒と判断、軽い訓告に(東京新聞・5月25日)

 

賭けマージャンで辞職した黒川弘務前東京高検検事長(63)の処分を巡り、事実関係を調査し、首相官邸に報告した法務省は、国家公務員法に基づく懲戒が相当と判断していたが、官邸が懲戒にはしないと結論付け、法務省の内規に基づく「訓告」となったことが24日、分かった。複数の法務・検察関係者が共同通信の取材に証言した。

 安倍首相は国会で「検事総長が事案の内容など、諸般の事情を考慮し、適切に処分を行ったと承知している」と繰り返すのみだった。確かに訓告処分の主体は検事総長だが、実質的には事前に官邸で決めていたといい、その経緯に言及しない首相の姿勢に批判が高まるのは必至だ。

(共同)

出典:東京新聞WEB(5月25日)「黒川氏処分、首相官邸が実質決定 法務省は懲戒と判断、軽い訓告に」

 黒川前検事長への「処分」をめぐっては、多くの国民が「おかしい」と感じている。

 テレビキャスターたちも「違和感」を示しているのに安倍首相や森法務大臣はこの処分を「法務省が決めた」として、まるで政権は関与していないという「他人事」のような姿勢を見せてきた。

 だが、共同通信が検察庁や法務省の幹部に取材を重ねて、政府の答弁の虚偽を暴いたのがこのスクープだ。

  

週刊文春に出し抜かれて既存メディアは悔しくないのか?

 週刊文春がすっぱ抜いた「黒川前検事長の賭け麻雀」

 しかも麻雀の相手は新聞社の現役の記者や元記者だった。

 筆者はこのニュースをテレビや新聞などのメディアがどのように報道するかをウォッチしてきた。

 黒川氏の処分が「訓告」という形式的なものに終わったことについてメディア人の中には「強い違和感」を示す人が少なからず存在した。

(TBS『Nスタ』井上貴博キャスター)

「黒川さん、ひとつどうも分からないのは黒川さん本人が賭けマージャンを認めている。だとすると懲戒処分があって然るべきではないかという声が上がる中で訓告処分となった。ここに強い違和感が残るのですが」

出典:ヤフーニュース個人(5月22日)「黒川検事長『訓告で退職金満額』『メディアもズブズブ』にニュースキャスターたちが示した“違和感”」

 テレビのバラエティー番組でもこの「違和感」「ズブズブの関係」について出演者が熱くトークして国民的な関心事になっている。

(壇蜜)

「どこかでそういう『集落』みたいな、『忖度集落』みたいな、『うまみ集落』みたいなものが、まだまだ生まれていそうな気がするなって」

出典:ヤフーニュース個人(5月24日)「サンジャポ太田光が“テンピン”に疑義『賭け麻雀のレートは許容範囲?』野次馬的好奇心からの問題提起」

 このニュースの後で、いくつかのメディアから筆者のところにも、この問題をジャーナリズムの役割や歴史の中でどう見るべきかという問い合わせが寄せられた。

 その都度、筆者が答えた内容は、「既存メディアはもっと悔しがるべきではないか?」ということだ。

 週刊文春の記事を読む限り、産経新聞の中に文春サイドに情報をリークした人間がいることは理解できるものの、取材の内実は「張りこみ」であることが分かる。芸能人の不倫や犯罪容疑者の行動監視と同じように「密かに撮影する」という作業が中心になっている取材が基本だと分かる。

 実は、既存メディアの「政治部」ではこうした「張りこみ」取材はしない。政治家や高級官僚の元に夜討ち朝駆けをしたり、飲食を共にしながら「情報を取る」ということが彼ら彼女らの仕事の主な作業になる。

 どちらというと政治家や高級官僚と「同じ場」を共にするのが作業の基本である。これは新聞社もテレビ局もほとんど同じだ。

 ただ、テレビ局の記者は、情報を取って記事を書くだけでなく、映像を撮影して編集するなど放送するまでの手間が新聞以上にかかってしまうために、なかなか麻雀までつき合うような記者がいなかっただけだと考える。行動パターンは新聞もテレビも「政治部」の記者はあまり大差ない。

 これに比べると、例えば、同じテレビ局の記者でも「社会部」になると、時に犯罪容疑者の『張りこみ』を行うことがある。よくニュース番組などで、何らかの容疑で逮捕を伝えるニュースでその容疑者が歩いている映像などが映される場合がある。

 これは「張りこみ」取材で事前に隠し撮りしていた映像を、逮捕などのタイミングで放送しているのだ。

 だから、「社会部」だと少しは「張りこみ」取材を経験するが、政治部の記者は経験しない。検事長など検察の取材は、各社の「司法担当」記者の仕事なので、今回、黒川氏と雀卓を共にした記者や元記者は「社会部」所属なのかもしれないが、それでも「政治部的」な行動パターンだということが言えると思う。

 とはいえ、黒川前検事長の賭け麻雀も安倍官邸の和泉補佐官と大坪審議官の「私的な旅行でのイチャイチャ」も、週刊文春の「張りこみ」取材の賜物なのである。

 週刊誌が出来たことをテレビ局や新聞社が出来ない理由はない。

 ただ、しようとしないのだ、と筆者は考える。

 なぜ出来ないのか。 

 それはプライドだと思う。

 それも、筆者に言わせれば「実につまらないプライド」だ。

「政治部記者(あるいは、検察幹部を取材する記者)たる者はそんな品がないことはしない」

「まるで週刊誌みたいなことを大手マスコミはしない」

 そんな「プライド」である。

 新聞もテレビ局も「週刊誌」というメディアをどこかで「下」に見ていることは間違いない。

 むしろ、どちらかというと、「芸能人の不倫の現場まで撮ろうとするハイエナのような人たち」という印象を抱いているのではないか。

 どこかで「政治家」や「高級官僚」たちと自分を同等と考えて同一視するような心情があったのではないか。

 それが「ズブズブの関係」の正体だろう。

 確かにこれまでの週刊誌報道は、「『…』と関係者は語っている」などと、どこにその「関係者」がいるのか相当にあやしい記事が多かったことは事実だ。

 他方で、週刊文春のように「事実」をきちんと取材して書いている週刊誌もある。

 週刊文春が今回放ったスクープの元になったのは、根気よく取材対象を「張りこみ」していた末の単純な作業だ。

 やろうと思えば誰でもできる。

 既存メディアも発奮して欲しい。

 余計な「プライド」など捨ててほしい。

 既存メディアの出身者としてそう願っていた。

“文春砲”に先を越されたことにもっと発奮して既存メディアもスクープを飛ばしてほしい

 そう考えていたところでの今朝の共同通信のスクープ。

 法務省や検察庁内を取材した比較的単純なニュースだが、日本のメディアの中では珍しい「アカウンタビリティー・ジャーナリズム」(説明責任に応えるジャーナリズム)とも言うことができる。

 久しぶりに政治を揺るがせるような記事が既存の大手メディアから出たことに、筆者はジャーナリズムの希望を感じる。

 新型コロナをめぐっても、検察庁法の改正案の報道をめぐっても、既存メディアの報道を見つめる国民の視線は厳しさを増している。

 週刊誌のように「ハイエナ」のような貪欲さを持って、他の大手メディアも発奮してもらいたいものだ。