『24時間テレビ』は放送しないかもしれないけど、本当はテレビがもっと扱うべきハンセン病家族の問題

関西テレビ『奪われた人生~ハンセン病家族”人生被害”からの回復~』画面を筆者撮影

 今週末は日本テレビ系で『24時間テレビ』が放送される。この番組は重い障害や病気などを抱えて生きる人たちの痛みを理解し、困難と闘う姿や気持ちを当事者もタレントらも共有しようという番組である。テレビにとっては社会的な少数者の問題に目を向け、その声に耳を傾け、もっと社会全体で互いのことを思いやる環境をつくっていこうというものである。

 たとえ「偽善だ!」「感動ポルノだ!」と批判され続けてもそういうコンセプトの番組を放送すること自体には意味があると考えながら、ここ最近の「テレビ報道」の番組をチェックしていて気がついたことがある。

 

 それはハンセン病の患者家族の問題である。

 ハンセン病をめぐる最近の動きを振り返ると、6月28日(金)にいわゆる「ハンセン病家族訴訟」で、国の誤った隔離政策による差別によって家族の離散などの「被害」があったとして、熊本地裁が国の政策の違法性と損害賠償責任を認める判決を下した。これに対して、国が控訴するかどうかが注目されたが、7月9日(火)に国は控訴しない方針を正式に発表した。

 7月12日(金)に政府は安倍晋三首相の「首相談話」を発表した。政府を代表して「深く反省し、心からおわびする」とした。ハンセン病の元患者と家族への「差別」「偏見」の問題。日本人の問題であり、日本社会の問題でもある。社会に巣くう根深い問題で、報道機関やマスメディアも姿勢を問われる問題だ。

 本当ならば『24時間テレビ』で、ハンセン病特集を大々的にやってもいいと思う。

 同番組が実際にそういう放送をするかどうかはこれから視聴者が注視してほしいが、筆者がそんなことを考えた理由を述べてみたい。

ニュースを見てもわかりにくい問題

 7月12日(金)、ハンセン病の「患者・元患者と家族の苦痛と苦難」に「政府として深く反省」を表明する安倍首相による「首相談話」が出た。参議院議員選挙の投票日が7月21日(日)に迫るなか、各局のニュース番組でも放送されたのだが、ほとんどの局では扱いがとても短く、その背景を解説することもなかった。7月9日の”政府が控訴断念”のニュースは、比較的丁寧に放送したNHKを除いては各局とも安倍首相のぶら下がりインタビューを放映しただけでかなり「わかりにくいニュース」になっていた。7月12日(金)に首相談話が公表された夕方や夜のニュースも同様で、なぜ首相の談話がこのタイミングで発表されたのかやこの談話の歴史的な重みについて説明するものはほとんどなかった。

 わずかに一部のニュース番組でキャスターやコメンテーターたちから、これまでの報道の姿勢を「反省」するような以下のコメントがあった程度である。

「今回、国の政策が間違っていたことは確かだけど、我々一人ひとりがその偏見と差別の感情、気持ちを持っていなかったか考える必要があると思います。本当に差別、偏見をなくしていくことをこの判決をきっかけに考えていく必要が出てきていると思います」

(星浩『NEWS23』コメンテーター)

「社会を構成する一人という意識をもたないとだめですね」

(小川彩佳『NEWS23』キャスター)

「原告のお一人は、今日のこの日にたどりつくまで語りたくないことを語り、知られたくないことも法廷の場では話さなくてはなりませんでしたとおっしゃっていました。差別とそれを受ける苦しみを生み出した責任は国だけではありません。病について、正しい知識を持たず、目を背けてきた私たちにもあることを忘れてはならないと改めて思いました」

(有働由美子・日本テレビ『news.zero』キャスター)

 朝日新聞は7月10日の朝刊(東京版)で「ハンセン病訴訟 国控訴せず」というニュースで黄光男(ふぁん・くゎんなむ)さんの写真を使って「家族再生ここから」「秘密を抱えて生きたしんどさ『届いた』」という大見出しを掲げた。

差別や偏見に苦しんできた、元ハンセン病患者の家族の思いが届いた。国に賠償を命じた熊本地裁判決について、政府は9日、控訴しないことを決めた。「総理は一人ひとりに謝罪を」。真の解決に向け、家族らは安倍晋三首相との面会を求めている。

出典:朝日新聞デジタル 2019年7月10日「家族再生、ここから」

 

秀逸だった関西テレビのドキュメンタリー

 全国ニュースの報道は上記のような状態で視聴しても内容を理解しにくいものが多かったが、フジテレビ系の関西テレビが制作し関西圏だけで放送した番組を見てみて、今回の判決に至る経緯やそれ以降の首相談話の意義が腑に落ちた。それは関西ローカルの「ザ・ドキュメント」で2019年7月11日に放送された『奪われた人生~ハンセン病家族"人生被害”からの回復~』という正味50分弱のドキュメンタリーだ。

 この番組では初めの方で熊本地裁の判決の中味についてくわしく説明している。判決文の言葉が具体的でとても説得力がある。

 「家族が差別を受ける地位に置かれ、家族関係の形成を妨げられる損害があった」。「村八分」「就学拒否」「就職・結婚の差別」「多岐にわたる人生の選択肢の制限」などを「人生被害」と表現し、「不利益は重大」だと指摘した。

     

 ドキュメンタリーの主人公は在日朝鮮人2世で兵庫県尼崎市在住の黄光男(ふぁん・くゎんなむ)さん(63)。ハンセン病家族訴訟原告団の副団長を務めている。

(黄光男さんの語り)

「一生を台無しにされた人たちがいっぱいいる」

「自分の人生、もう取り戻しようがない」

 番組は、熊本地裁が認めた「人生被害」の内容について、自分の母親がハンセン病患者として強制隔離された黄さんの幼少期からの半生をたどっている。この番組の鋭い点は、熊本地裁の判決で認定された“人生被害”という言葉の意味を問い続けていることだ。残念ながらすでに紹介した一連のテレビ・ニュース報道では、この言葉に注目して掘り下げたものは一つも見当たらなかった。

“人生被害”とは何なのか?

 黄光男さんはまだ1歳のときに、当時はらい病と呼ばれたハンセン病だと診断された母親が、強制的に大阪府の職員の手で隔離されて国立療養所に連れて行かれた。戦後、ハンセン病は特効薬が普及して「治る病」になっていた。母親が隔離された年には国際会議でも患者を隔離する差別的な法律の廃止が決議されていた。

 それなのに日本政府は政策を改めず、1996年まで隔離や就業禁止を定めた「らい予防法」が1996年まで残り続けた。

 1歳で母親から引き離されて、児童養護施設に引き取られた黄さん。8年後の9歳のときに母親が迎えに来た。その際に「なんでこの人とこれから暮らさなければならないのだろう」と子ども心に思ったという。そのときに母親が声をひそめて「らい」だと打ち明けた際のただごとでない様子から、ずっと母の病気についてはずっと口にしなかったという。妻にも告白したのは結婚して数年後だった。

 実は首相がハンセン病の政策をめぐって政府が「控訴を断念」して「おわび」するのは今回が初めてではない。前例がある。そのためにある程度大人になった人間には「あれ? この問題は解決済みではなかったっけ?」という錯覚を持たせてしまう。

 2001年、やはり熊本地裁が「らい予防法」違憲国家賠償法の裁判で、「強制隔離政策は憲法に違反する人権侵害」だとして政府の政策を断罪する判決を下し、当時の小泉純一郎首相が控訴を断念して判決が確定。ハンセン病患者たちに面会して謝罪している。2001年5月のことである。

 その出来事を受けて多くの人が「ハンセン病の問題はこれで終わった」と感じていたが、実は問題が残っていた。この裁判の後も隔離施設だった施設を出て、実際に社会に復帰した元患者はわずかという結果だった。

 このドキュメンタリーがすぐれているのは、こうした「一見解決済みのように見える問題」の“その後”について、責任を持って迫ろうとした点である。

 以下、番組をなぞっていくと、全国に14カ所あるハンセン病療養所では現在も約1200人の元患者が暮らしている(2019年5月現在)。平均年齢は86歳。いまだに家族との関係が戻らない人が多いと番組は説明する。

 葬儀に身内が来られないことは珍しくない。療養所にある納骨堂には、家族が引き取らない元患者たちの遺骨が眠っている。そんな事実がたたみかけられる。

 番組のナレーションはこう続く。

「『親は死んだ。』『きょうだいはいない』と言ってきた家族たちは、その遺骨を今さら墓に迎えることができないのです」

 肉親が死んだ後も、一緒にはなれない。なんと悲しいことか。この番組のもっとも象徴的なナレーションである。

 隔離政策を実際に担った担当官も、元患者の家族に起きた様々な悲劇を書き残している。ハンセン病はなぜ家族の関係を崩壊させてしまうのか。婚約中に父親の病が知られて破談となって投身自殺した女性。夫の病気が実家に知られて、無理矢理に離婚させられた妻のこと・・・。

 1951年には長男がハンセン病と言われて、家族9人が青酸カリで心中する事件が山梨県で起きている。

 番組では、黄さんのように当時、「患者の子ども」だった人の心境を丁寧になぞっている。親がハンセン病と診断され、強制隔離されて育てる親のない子どもは「未感染児童」として療養所の保育所や寮などに入れられた。

 「自分も発病するのではないか」と悩み、親の病気を嫌悪したという。

 父親が元患者だったという原告の一人は、自分の体験を語る。周囲には「父親は亡くなった」と言い、父親が自分の元を訪ねてきたときは、こっそりと父親の茶碗だけ別に洗った記憶があるという。

 「患者が使う食器や衣類、寝具など」は「けっして一緒にしてはならない」という国の『指針』が元患の者家族の心の中にも偏見を植え付けた。患者の家族の中に「偏見」や「嫌悪感」が残ってしまったという。

 そうした思いを抱く元患者の家族は2001年の熊本地裁判決の後、年に1度だけ隠れるように集まってきたという。

 黄さん自身も、直接は母親に言えなかったものの、1歳から9歳まで施設に預けられたことへの「わだかまり」が心の中にずっとあったという。

 彼は2013年になって初めて、匿名ながら自分の体験を人前で話す経験をした。2016年に元患者の家族が国を相手取った「家族訴訟」を熊本地裁に提訴する。その際に原告団の副団長に就任してからは人前で話すようになったものの、心の中では「家族がハンセン病だったということを口にするのは恥ずかしい」という思いが今もあるという。

 高校時代に心を許した恩師には日記で「全然気が合わない」「(施設に)預けられていたのが原因だと思う」と母親への“わだかまり”や“施設入居”を告白しつつも、「ハンセン病」という言葉だけは避けていた。

「親と自分自身の関係がつくれなかった。今もつくれていない。9歳からまた親と生活を始めたから親子関係ができたと思うかもしれないけど、もう構築しようがない。その年齢でしか関係性をつくることができない年齢ってあるみたいだね。そう考えると、僕自身という人間にとって取り戻しようのない被害だった」

 黄さんらハンセン病の元患者たちの家族の体験を聞き取ってまとめた本がある。東北学院大学准教授の黒坂愛衣さんが書いた『ハンセン病 家族たちの物語』(世織書房・2015年)だ。黒坂さんは“家族訴訟”の報告会などの場にも顔を出して、家族の悩みについて積極的に発信してきた人だ。

 本の中では黄さんも協力して聞き取りに応じているものの、実名は伏せて匿名で登場している。

黒坂愛衣・東北学院大学准教授

「(黄さんたちは自分の肉親がハンセン病の元患者だとは)小さい子どものときから学校でも決して言わない。もしかして結婚するときにもこれは言っていいかどうか悩むということをずっと人生の過程でやってきた人たちですので、たとえ2001年の元患者の裁判は、人間回復で非常に大きいものだったという意味はあるのですが、まだ家族の人たちが安心して『自分の肉親はハンセン病だった』と言える状況ではないことを表していると思います」

 黄さんたちが原告になった家族訴訟で法廷に立った原告は29人だが、黄さんのように実名を出して証言した人はわずかで、身元を隠して「原告番号」だけで証言する人がほとんどだった。裁判で国は「政策は家族を対象にしておらず、被害回復の義務はない」と主張した。

番組の後半、衝撃の事実が明かされる

 くわしくは番組を見ていただきたいが、黄さんが9歳のときに、母親と父親と再び家族として暮らすように至るまでの経緯が番組で説明されるが、その道のりは単純ではない。

 療養所に強制隔離された母嫌は、既婚者であったにもかかわらず、隔離されてすぐに療養所内の男性と「園内結婚」させられていたという。園内では元患者が園の外に帰らないようにと結婚している人間でも園内結婚を推奨して結婚させていた。いわば通常の法律が適用されない治外法権の状態になっていたのだ。

 母親も望んでその男性と結婚したわけではない。むしろまったく逆だ。相手の暴力や強姦などの被害に遭いながら自暴自棄の末に結婚に至ったと本人が告白した記録が見つかった。母親を見舞いに療養所を訪れて事実を知らされた父親は、逆上して相手の男性を刺して重傷を負わせて刑事事件になってしまう。

 有罪判決ながら執行猶予がついた判決を得た父親は、岡山県の療養所で母親と暮らした後に社会復帰し、8年後に再び黄さんを引き取って一緒の「同居生活」を始めた。

 しかし家族それぞれが深い傷を抱えたままの生活でギクシャクが続いていく。2003年、母親が飛び降り自殺し、しばらくして父親も同じ死に方を選んでしまう。母親も生前、「息子とうまく関係が築けない」と悩んでいたという。黄さんも同じように悩んでいたが、母親の死に際してもそれは変わらなかった。

「母の遺体を見たときに、なんて言っていいのかね、涙一粒、出なかった。最期の最期まで母親が他人にしか見えなかった、8年間の空間が・・・、あとは9歳からずっと一緒に生活したかもわからないけど、それを取り戻せるものではなかったということですね」

 黄さんは2003年に母親が自殺で亡くなったときの感情も集会で率直に語っている。

 ハンセン病家族の思いを伝えようと、ときおりギターで歌を歌ったり講演をしたりという活動を繰り返す黄さん。

「それは僕が一歳のときだった/母は病にかかっただけなのに/その病が家族を引き裂いたんだ/それは「らい」という名の病/そして僕が暮らし始めたのは/孤児院という名の新しい家族/みんなやさしかった/いい思い出ばかり/だけど本当の家族じゃなかった/人を犠牲にしなければならない国はどうすれば/それは人を人として認めない国でしかないだろう/閉じ込められて暮らした人たちは/それをみんな知っているんだ/殺すこともできない/生かすこともできない/閉じ込められた人たち/殺すこともできない/生かすこともできない/閉じ込められた命」

(『閉じ込められた命』作詞・作曲 黄光男)

 このドキュメンタリーには、毎回の裁判を傍聴した取材者でなければ書くことができない描写がある。

「裁判で黄さんは自らの人生を話しました。両親の自殺を語り始めると、言葉が続かなくなりました。法廷は黄さんの涙に静まりかえりました」

 このナレーションは、裁判もののドキュメンタリーのなかでもあまり例がないほど原告の気持ちに寄り添ってつくられている。

 黄さんもずっとわだかまってきた母親や父親が「わが子」である自分をどう思っていたのか少しずつ裁判を通じて理解できるようになったという。

 番組は、熊本地裁の原告勝訴の判決と原告側の記者会見のシーンでエンディングを迎える。

 50分近くかけて、黄さん1人の人生を振り返ってみて、やっとハンセン病家族訴訟の意味を視聴者に伝える構造になっている。

いいタイミングで放送するのがテレビ

 テレビの放送は、どのタイミングで、どのように放送するかがすごく大事なメディアだ。

 関西テレビがこのドキュメンタリーを放送したのは、7月11日の深夜。政府が熊本地裁の判決について「首相談話」を発表する日の未明である。番組の本編の後にテロップ1枚が続く。

「国は今月9日熊本地裁判決を受け入れ控訴を断念した」

 このタイミングで放送したのは、この問題を長く取材し、このドキュメンタリー番組のディレクターを務めた柴谷真理子さんの「こだわり」ゆえだと思う。

 前述したようにテレビ報道ではこの問題について、関西テレビのドキュメンタリーほど「家族の苦痛」をきちんと描写したものはなかった。

 柴谷さんが書いた最後部分のナレーションを読んでみよう。

「裁判で問うたのは国の責任ですが、その政策の下で直接、差別をしてきたのは”身近にいた普通の人たち”です」

 私たち一人ひとりに問いかけてくる言葉ではないか。

 

 さて、いよいよ24時間テレビが始まる。

 安倍首相も「おわび」してハンセン病の元患者の家族への「共感」を示した直後でもある。

 

 ”身近にいた普通の人たち”である私たち。

 それから政治家もメディアの人間も、テレビを見ながらこの問題を考えてみたい。