最後も齋藤孝センセイらしい言葉! 気になるTBSの無節操  出演者たちの卒業コメント(3)

3月27日(金)の朝のTBSの情報番組の録画を見ようとして、心の底から驚いた。

年度末をもって打ち切りが決まっていた『いっぷく』を見ようと録画機を早送りしていて、その直前の『あさチャン』で齋藤孝さんが花束を渡させる場面が目に入ったからだ。

1年前に、フリーアナの夏目三久とともにメインキャスターとして2人が司会する朝の情報番組として登場したTBS『あさチャン』。

メインのうちの1人だった齋藤孝さんが「卒業」させられたらしい。

メインキャスターの1人が辞めるならば、番組名を変えて、新しい番組としてスタートするのが、テレビ界の常識というものだ。

少なくとも、大学教授でありながら、朝早い勤務で1年間、TBSのために働いた人への最低限の「礼儀」というものだろう。

そんなものは存在しないのだろうか?

くわしい経緯は知らない。

でも、はっきりしたことは、齋藤孝さんだけ、番組を「卒業」することになった、というまぎれもない事実だけだ。

この日、番組の最後の『齋藤孝の1分コラム』というレギュラーのコーナー。

いろいろな分野に造詣が深い齊藤さんが教育者の目線を交えながら、ウンチクを語るコーナーでタメになるものなので私も楽しみにしていた。

そのコーナーがこの日だけ、『齋藤孝の3分コラム』という字幕が登場し、しかも、「最終回」とも書かれていた。

齋藤さんは、「出会いを祝祭に」と銘打って、人が「学ぶことを深める」ためには出会いを大切にしていくことだということをニーチェなどを例にして力説していた。

このコーナーの終わりに、夏目三久キャスターが花束をもって齊藤さんに近づいて挨拶した。

「・・・ということで、齋藤先生は今日をもって、ご卒業です。ありがとうございました。齋藤先生は毎日、学校の授業に出られ、講演会に出られ、たくさんのご著書を残し、その中で毎日毎日来てくださいました。みなさんに一言お願いします」

(齋藤)

「私は日本をとにかく明るく良い国にしたいと、小学校4年生の時に思ってがんばってきましたけれど、とにかく1年間、こういうふうに支えられて発信できる機会を与えられてありがたかったです。

良い、明るい番組だったと思います。

みなさん、4月からもがんばっていただきたいと思いますが、ぜひ日本を明るく。

ミッション。パッション。ハイテンションで」

(夏目)

「多くのことを教えていただきまして、ありがとうございました」

「井上貴博さんは入社以来ずっと朝の番組を支えてこられました。

その後、8時からの『ビビット』に移ります」

以下、井上貴博アナのあいさつ・・・」

…とTBS社員らのキャスターの交替と挨拶が続けられた。

たとえばNHK『おはよう日本』の鈴木奈穂子アナの「卒業」や日本テレビ『スッキリ!』のテリー伊藤の「卒業」、あるいはフジテレビの『スーパーニュース』が安藤優子に示したように、番組というものは、時には人間同士の「情」というものがにじみ出るからこそ、視聴者にもその感情などが伝わっていって、人間同士の(擬似的にしても)「つながり」を意識させるものだと私は考えている。

番組を制作したり、出演したりしても、そういう「一体感」を感じられるからこそ、制作者も出演者も自分一人でやる以上の力を時には発揮するのである。

だが、残念ながら、TBS『あさチャン』が示した齋藤孝氏への扱いはそうしたウェットさや、人間同士のつながりなどを欠いていたと思ってその場面を見た。

ウソだと思うなら、名前を上げたような番組での出演者の「卒業」シーンと、『あさチャン』の「卒業」シーンを見比べてほしい。

それぞれの番組のスタッフが過去のVTRを工夫して編集して出演者に対して「ねぎらい」を示したのに比べて、やけにあっさりした「花束手渡し」で終わった『あさチャン』。

たかだか「お疲れさまでした」という表現方法の違いだと思うかもしれないが、テレビ制作のプロの目で見直してみると、そこには決定的な差が存在する。

『あさチャン』の対応は、メインのキャスターを務めた人が辞めていくのにしては、あまりに形式的で、「誠意」は感じられなかった。

「血が通っていないなあ・・・」と心の中で思わずつぶやいた。

こういう場当たり的なことをやっていては、出演者もスタッフも「使い捨て」という自意識しかなくなって、誰もTBSのために命がけで仕事をやろうという人はどんどん減っていく。

視聴者も敏感にそれを嗅ぎ取っていき、その「冷たさ」を感じる。

次第にチャンネルを合わせなくなる。

すでにそうした負の連鎖が起きていると思う。

それにしても、いかにタレント教授とはいえ、しょせん学者である齋藤さんを番組の顔を据えた以上は、最後まで面倒を見て心中するぐらいの覚悟をもつのがテレビマンというものだろう。だが、最近のTBSはいろいろなところでそうした覚悟ある制作者が少なくなっているという実感がある。

それでは長続きする番組、視聴者の支持を集める番組はつくれない。

齋藤孝さんは文句なく「良い人」である。あれほど裏表のない人物はそういない。

人の悪口をいわずに、サービス精神が旺盛でスタジオでもいろいろなゲストに気を配っていた。

「良い人」だからこそ、「前向きな卒業コメント」だけを残し、笑顔で番組を去っていった。

だが、TBSは齋藤さんの「良い人」ぶりに甘えすぎなのではないかと思う。

テレビ番組の視聴率が上がらない場合に、出演者の魅力がやり玉に上げられて、制作者たちは出演者の交替で急場をしのごうとする。

それはテレビ業界では仕方がないことかもしれない。  

でも…と思う。

テレビでの長い経験で言わせてもらうなら、出演者というよりも、実はスタッフの側の問題であることの方が多い。

まず、最初に、夏目三久と齋藤孝の2人のキャスターで番組をやろうと考えたのはTBSの方だ。

齋藤氏が売り込んだわけでもあるまい。

それなのに。視聴率が上がらないと、出演者のせいにしてその首を切る。

困ったもんだ。

それを繰り返している限り、TBSがかつての輝いた時代の栄光を取り戻すことはない。

ここまで、TBSが一方的に齋藤氏の首を切ったという前提で原稿を書いているが、そうでないことをどこかで願いたい。

番組の制作者と出演者との間にも、血の通った「つながり」があることを信じたいからである。

そうでなければ、TBS はテレビ局として、あまりにも節操がなさすぎる。

夏目三久もやりにくいことだろう。