少年殺人が示す「おせっかいおばさん」の必要性

池袋の「おせっかいおばさん」らで作る豊島子どもWAKUWAKUネットワークのHP

 もし、あの少年たちの周囲に「おせっかいおばさん」がいたら、あの事件は起きたのだろうか? 

 あくまで結果論でしかないが、事件の全貌が明らかになりつつあるなか、私のなかでこうした疑問が大きくなっている。

 事件の詳細がわかってきた川崎の中1惨殺事件。

 

 救いがないことばかりの事件だが、はっきりしてきたことがある。

 加害者の少年たちは幼い頃からの「親とのかかわり」に様々な問題があったと思われることだ。

 残忍な殺人事件の容疑者として逮捕されたリーダー格の18歳少年Aは、トラック運転手の父親とホステスの母親という親が夜は不在がちな家に育ち、中学生時代にはトラブルがあると父親が学校に”殴り込み”をかけてきたという。幼少時には「真っ裸で家の外に出されていた」など親から虐待を受けていた。17歳の少年Bも凶暴でキレやすく、中学生時代に他の生徒とのトラブルで学校から呼び出されても「仕事で忙しい」と親は来なかったという。

 一方、犠牲になった上村遼太君の家庭も、女手1つで5人の子どもを抱える母子家庭で、シングルマザーの母親は昼は病院の介助の仕事と夜はスナックの仕事を掛け持ちするダブルワーカーだった。(以上の情報は『週刊文春』3月12日号による)

 

仕事を2つ3つ掛け持ちして過労で倒れてしまうシングルマザーも少なくない現実がある。

 母子家庭を含む「ひとり親家庭」の貧困率が国の調査でも半数を超えるという背景。母子家庭の母親の労働賃金は低く、ひとり親家庭に支給される児童扶養手当があってもそれだけで生活はまったく困難で、働く母親たちは子どもと会話する時間も満足にとることができない。

 上村くんの母親が発表した手記にも窮状がうかがえる。

ただ、遼太が学校に行くよりも前に私が出勤しなければならず、また、遅い時間に帰宅するので、遼太が日中、何をしているのか十分に把握することができていませんでした。家の中ではいたって元気であったため、私も学校に行かない理由を十分な時間をとって話し合うことができませんでした。

出典:産経ニュース

 ネット上では、加害者の親ばかりか被害者の親の責任まで問うような批判的なコメントが目につく。

 しかし、いくら「親」を批判しても、こうした子どもたちが多数いる現実が変わるわけではない。

 大事なことは今そこでSOSを出している子どもたちの存在をいかに周囲が気づいてサポートするのかという体制づくりだと思う。

 この場合の「周囲」というのは、「地域」の「おとな」だ。

 現実社会には少年A、少年B、少年Cや上村くんのような「親と十分な(時間的な)かかわりを持てず」「居場所がない少年たち」が無数にいる。

 凶暴で残忍な行為に及んだ加害者の少年たちであっても、子どもとして生育する段階のどこかで「親以外のおとなたちの支援」が入っていたら、また違う結果があったのかもしれない。

そんなことを思うのは、池袋の「おせっかいおばさん」の存在が脳裏に浮かんだからだ。

 東京・池袋に近い住宅街で自らを「おせっかいおばさん」と呼ぶ栗林知絵子さん(48)だ。

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 夫の他、大学生と高校生の子どもと暮らす栗林さんは、数年前から地域の子どもたちの居場所づくりの活動に取り組んでいる。

 池袋も今回、事件があった川崎に環境がよく似ていて、夜は水商売で働く母親が多い。

 この地域では、まともに食事をしていない子どもも目立つが、夜はつるんでゲームセンターで遊んでいたり、自転車であちこち走り回ったりしている。

 栗林さんはこの数年、そうした子どもたちに声をかけて自宅でご飯を食べさせたり、思い切り体を動かせる遊び場に連れていったり、ある時は勉強を教えて高校入学を手助けしたりしてきた。

 栗林さんが活動を広げるきっかけの一つになった「活動家養成一丁あがり講座」を、テレビ局でディレクターをしていた私が取材したことが縁で時々、思い出したように電話やメールをくれる。

「水島さん、本当につらい事件です」

 

 今回もそうしたメールをもらったが、事件の加害者や被害者の少年たちが栗林さんの周囲にいる子どもたちとあまりに同じような境遇なので心を痛めているのが伝わってくる。

 栗林さんは個人レベルでやっていた活動の輪を広げ、現在ではそうした居場所の拠点をいくつか作り、現在は「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」の理事長を務めている。

 ネットワークの説明にも「地域」「おとな」「居場所」というキーワードが出てくる。  

 

地域の子どもを、地域が見守り、学びや暮らしを有機的に支えるネットワークをつくり、 子どもの未来を明るく変えていきたいと願っています。 さまざまなカタチの居場所を通じて、信頼できるおとなや若者につながったとき、一人の子どもの人生が大きく変わる可能性があると信じています。

出典:NPO法人「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」HP

 栗林さんは池袋で「プレーパーク」と呼ばれる遊び場の活動をするうちに、夜も行き場のない非行少年少女らと大勢知り合うようになり、なんかしなきゃと思うようになったという

 ある時、「水島さんもちょっと手伝ってよ」と電話があって栗林さんの自宅を訪ねると中学3年生のT君に勉強を教えていた。

 このT君のエピソードが「豊島子どもWAKUWAKUネットワーク」のHPに記されている。

それは、2011年の夏の終わりのことでした。プレーパークに遊びに来る中学3年生のT君が、「高校行けるか分からない」とぼそっとつぶやいたのを、おせっかいおばさん栗林は聞き逃しませんでした。

「通知表に1があるから都立無理って言われた」というT君の言葉に、「無理じゃないよ!」と応え、帰り道に我が家の場所を教えて「勉強したくなったら協力するからいつでもおいでね!」と言って別れました。

 ところが別れた5分後「ねえ、ほんとに勉強教えてくれるの?」とT君が玄関前に聞きに来たのです。私にも同じ年頃の息子がいますので、思春期のT君のすがる想いと不安を察知し、「もちろんだよ」と即答しました。

 そして9月11日から毎日、我が家を開放した無料塾が始まったのです。

出典:NPO法人「豊島WAKUWAKU子どもネットワーク」HP

 このあとT君が高校入学を果たすまでの物語は私も取材させてもらったが感動的だった。

 ぜひ全文を読んでほしい。

 栗林さんはかかわる子どもたちの中に家庭の事情で満足に食べていない子が多いことを知って、ボランティアで「子ども食堂」の活動も始めた。

 T君のケースもそうだったが、子どもの支援を通して最初はガードが固かった親とも交流するようになり、親のサポートにも活動を広げていった。栗林さんのNPOでは孤立しがちなシングルマザー同士の交流会も実施している。

 仮に「くりばあ」がシングルマザーだった上村君の母親の近所にいて窮状を知ったならば、きっと「おせっかい」をしたのだろうと想像できる。

 今も栗林さんが夜、自宅周辺を歩いていると、自転車にまたがった非行少年たちや元非行少年たちが声をかけてくる。

「くりばあ、元気?」

 少年たちは栗林さんを、「栗林」+「おばさん」で、「くりばあ」と呼ぶ。

「あらー。**くん、そのサングラス、かっこいいじゃん。どうしたの?」

「おれちょっと仕事やめようかと思っていてさあ」

「アレー、どうしたの-? 気に入っているってこの前言ってたじゃない?」

 髪の手をピンクなどに染めたいかにもヤンキーという少年たちも少なくない。

 中には時々、警察の厄介になってしまう少年もいる。

 栗林さんによると、いろいろ活動をやっていても、子どもたちは自ら「子ども食堂」にはやってこない、という。

遊び場や、(勉強しないけど)勉強会とか、『子どものたまりば』のような子どもが自ら来る、自ら来て過ごしてひとりでもその子に寄り添う、応援する、向き合う・・などのおとながいることが何かのきっかけになると思います

 もちろん、栗林さんでもいつも個々の「家庭の問題」にまで踏み込めるわけではないし、仮に川崎のような凶悪なケースにかかわったとしても悲劇を防ぐことができたかどうかはわからない。

 ただ、池袋では栗林さんを中心に「子どものたまりば」を増やす取り組みが少しずつであるにせよ、広がってきている。

 こうした事件のたび、まるで「公開私刑(リンチ)」のように本人の実名や顔写真を公表したり、親の責任を糾弾し、少年法の改正を訴えたり、学校や教育委員会の責任を追及する論調の報道がいわばお約束のようになってきた感がある。だが、それでは何ひとつ解決しない。

 大事なことは、事件の根っこにある「居場所のない子どもたち」をきちんと「地域」で「おとな」が支える、ということだと思う。

 池袋の「おせっかいおばさん」こと「くりばあ」のような存在が今、それぞれの地域で求められている。