BPO委員長「現場オンチ」さらけ出し 顔なしインタビューへの要望は”見当違い”×”勘違い”

「ああ、この人はテレビの取材の現場というものをまるで分かってないなあ」

このニュースが流れた時に真っ先に感じたことだ。

インタビュー「顔出しが原則」 BPO、TV各局に要望(朝日新聞)

放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送人権委員会は9日、テレビニュースなどでのインタビューについて、真実性担保の観点などから、「顔出しを原則とすべきだ」とする三宅弘委員長の談話を公表した。  談話では、テレビ各局はこれまで顔出しインタビューを原則としつつ、例外として「顔なし」を認めてきたものの、実際には取材への抵抗が少ないことなどから、安易な顔なしが日常化していると指摘。情報源の秘匿やプライバシーの保護には配慮しながらも、検証可能な映像を確保する努力が必要だと要望した。

出典:朝日新聞デジタル(6月10日)

もともとは、6月9日、BPO(放送倫理・番組向上機構)の3つある委員会の1つ、「放送人権委員会」が委員長談話を発表したことがニュースの発端だった。

顏なしインタビュー等についての要望 ~最近の委員会決定をふまえての委員長談話~

という内容だ。

それは以下の5つの項目が並んでいる。

I.情報の自由な伝達と名誉・プライバシーの保護など

II.安易な顔なしインタビューが行われていないか

III.安易なボカシ、モザイク、顔なし映像はテレビ媒体の信頼低下を追認していないか

IV.取材、放送にあたり委員会が考える留意点

V.行き過ぎた"社会の匿名化"に注意を促す

このうちの一部を引用すると以下のようになる。

II.安易な顔なしインタビューが行われていないか テレビニュースなどで、ボカシやモザイクを施したり、顔を写さないようにして、取材対象が特定できないようにする、いわゆる顔なしインタビューが放送されることがある。 知る権利に奉仕する取材・報道の自由の観点からは、取材・放送にあたり放送倫理における、事実の正確性、客観性、真実に迫る努力などを順守するために、顔出しインタビューを原則とすべきである。 この点について、テレビ局各局では、顔出しインタビューを原則としつつ、例外として顔なしインタビューを認める場合について検討し、社内ルールを定めている。海外では、例外としての顔なしインタビューをするにあたり、国際通信社傘下の映像配信会社が理由を付記したうえで配信したり、放送局が報道部門幹部だけでなく、法務部等社内複数の関係部署の承諾を義務付けている例もある。 しかし、実際の取材現場では、被取材者側に顔を出してインタビューに応じることへの抵抗感が強まる傾向があることや取材者側に顔を出すよう説得する十分な時間がないなどの理由から、顔なしインタビューが行われるケースも多いのではないかと推測される。とりわけ、地域の出来事について、周辺住民のインタビューをする際に、特に匿名にしなければならない具体的な理由が見当たらないにもかかわらず、安易に、顔なしインタビューが行われてはいないだろうか。

出典:BPO放送人権委員会 顏なしインタビュー等についての要望

安易な顔なしインタビューが行われていて、安易なボカシ、モザイクなどがテレビ媒体の信頼低下をもたらす。だから時間をかけて相手を説得して、モザイクをかけない努力をしてほしいと要望したのだ。

おいおい・・・正気かよ。

はっきり書くと「呆れてしまった」というのが正直なところだ。

私はこのニュースを目にした直後、フェイスブックに以下のように記した。

BPOの委員長のこの「見識の低さ」。現場のことが全然分かってない。作品論ならまだ分かるが、ジャーナリズム論としては意味がない。あなたの委員会はこんなこと言うヒマがあったらもっとやるべきことがあったはず。「明日ママ」も中途半端でしたよね?

こんな上から目線の素人オヤジのたわごとに振り回される報道現場が可哀想だ。

これに現場の制作者らから賛同を声が数多く寄せられた。

なぜ現場を分かっていないと私が断言するのか。

報道現場がモザイクをかけるケースや顔なしインタビューを撮影する場合には、いろいろなケースがあるからだ。

一般的には、DV被害者や児童養護施設にいる子どもたち、生活保護を受けている家庭の人たち、認知症の老人、性犯罪の被害者など、本人が特定されることで、差別などの不利益を被る可能性がある人などを守るためにボカシやモザイクなどの「匿名表現」にする場合が多い。

こうした社会的な弱者の人権をテレビの取材者は最大限に守ることは義務だ。

それはいかなる場合にも軽視されてはいけないことだと思う。  

それほどにテレビの影響力は大きい。

だが、そうした客観的に仕方ないという事情を離れても、自分は映りたくない、顔を出して欲しくない、と当事者が自ら言ってくる場合も少なくない。

単に通行人を撮影していても、血相を変えて「オレの映像を使ったら、絶対に殺す」などと言ってくる人もいる。そんな時の理由は分からない。

本人がOKしていても、後から顔を出したことで、家族や親戚が「恥さらし」などと抗議してくる場合もある。

あるいは住所などを詳しく分からないようにして住宅街を撮影した映像を放送しても、「近所の人が見ればこの地域だと特定されて困る」などと抗議されることもある。

また、撮影した時に本人が顔を出すことを了承した場合でも、後から「顔は出さないで」と言ってくる場合もあるし、最初から顔を隠した方が人権を守ることにつながると判断される場合もある。

特に現在はネット社会なので、ちょっとしたテレビ映像から切り出された画像がネットに貼り付けられる、などということが起きてしまう。

私自身がかかわったケースでは、番組で取材した貧困家庭の子どもの顔が一時期ネットにさらされて対応に困ったことがある。もちろん、親も子ども本人も了解してくれて放送したケースだったが、悪意ある言葉とともにネット上に子どもの顔と実名がさらされた。ネット上の悪意というのはなかなか手強い。一度、流れた映像を悪意で使われてしまった場合、いくら放送段階で同意を取っていても、放送局には放送後も取材協力者の人権を守る義務がある。

そういうことも考えると、番組を制作する側は後々のことまで考えて、ボカシやモザイクをかける、ということになる。

また、当事者の説得などに比較的時間があるドキュメンタリーと違って、撮影から放送までに時間の少ないニュースなどの場合には、丁寧に当事者を説得できるような時間的な余裕がないは少なくない。

さらに通行人など不特定多数になると、誰が関係者かが撮影する側岻、にわかには分からないケースも多い。そんな時には「関係者がいるかもしれないから、一律にボカシを入れておきましょう」などとなる。

一般的に人権感覚の強いテレビ取材者ほど、モザイクをかける傾向が強いというのは私の実感だ。

またモザイクをつけたりはずしたりというのが必然的なのが殺人の遺体発見現場や被害者の周辺での「近所の人のインタビュー」だ。

今年3月に起きた千葉県柏市の連続通り魔事件を見ても、取材を受けている容疑者の映像をテレビ各社がちゃんと撮影して保管している。

どうしてかと言えば、この「近所の人」が「容疑者」になる可能性も考えて記者もカメラマンも撮影している。

事故直後に、「近所の人」とか「目撃した人」などとしてインタビューして、その時点ではモザイクをかけて放送。

「容疑者」として逮捕状が出たとたんにモザイクをはずして放送する。

これは事件報道の撮影の常道だ。

最初から誰が容疑者になるかなんて滅多に分からないが、かなりの確率で目撃者→容疑者という転換はある。

それを「安易に」などという表現で強調されると、アナタならどうやって対処するんだと聞きたい。

「おいおい、実際に自分で取材して放送してみなさいよ」

と言いたくなる。

談話にあるように、 

テレビ局の取材に対して取材対象者が顔出しでインタビューに応じてくれるかどうかは、テレビという媒体が、あるいは取材者が、どこまで信頼されているかを測る指標の一つであると考えられるからである。

出典:BPO放送人権委員会 顔なしインタビュー等への要望

などというノンビリした状況ではないのだ。

信頼しているから顔出しインタビューに応じるのではない。

自分が困るかどうか、不利益があるかどうかを考えて、自分の顔を出されると困る、とか、この建物がはっきり映ると困る、などと言っているのだ。

(3)情報源の秘匿は基本的倫理 情報の発信源は明示することが基本であるが、情報の提供者を保護するなどの目的で情報源を秘匿しなければならない場合、これを貫くことは放送人の基本的倫理である。 放送時においても、原則は顔出しインタビューとすべきである。一方、特にデジタル化時代の放送に対し、インターネットなどを用いた無断での二次的利用等が起こりうる可能性を十分に斟酌したボカシ・モザイク処理の要件を確立すべきである。 よって、放送にあたっては、次の事項に留意すべきである。

出典:BPO放送人権委員会 顔なしインタビュー等への要望

おいおい。

さすがにそんなことはアナタに言われなくても現場の人たちは分かっている。

誰も顔出しインタビューが原則ではない、などと言う人間は存在しないだろうと思う。

(5)放送段階で使わない勇気を 伝える内容と使用する映像との関係を十分に吟味し、ボカシなど加工を施してまで使用することが必然ではない映像については、放送時にこれに代替する映像素材を検討し、場合によってはその映像を使わないことも認めることがあってもよいのではないか。 (6)映像処理や匿名の説明を ボカシ・モザイク使用や顔なし映像の場合は、画面上でその理由を注記(字幕表示等)することで、メディア取材に対する市民意識を変える努力をすべきではないか。

出典:BPO放送人権委員会 顔なしインタビュー等への要望

おいおい。

放送した時にはいくらOKでも、後で権利侵害だと訴えられる場合もあるんです。

こういう方針でボカシなどを避けたとして、BPO放送人権委員会が責任を取ってくれるのだろうか?

また、逐一説明しろ、というのも、いろいろと違うケースがあるのにそれを毎回詳しく字幕を入れろというのだろうか。

顔を出さない選択をすることで、守られる人権もある。一般市民、特に子どもや弱者が顔を出すことのリスクを分かって欲しい、という感覚はテレビ制作の現場に根強い。

談話を発表した放送人権委員長の三宅弘氏は弁護士だ。

BPOのホームページでは、

委員長  三宅 弘 (みやけ ひろし) 「表現の自由」も大事、「人権」も。 社会的影響の大きい放送分野において、裁判外紛争解決機関の一翼を担いつつ、表現の自由と名誉・プライバシーの保護との調整をどう図るかを、考えていきたいと思います。

出典:BPO 放送人権委員会とは

というのがモットーの人物だ。

最近では、私も問題視した日本テレビのドラマ「明日、ママがいない」について「赤ちゃんポスト」を運営する熊本・慈恵病院から申し立てがあっても1月にあった申し立てを5月になってから「審議入りしない」という結論を出した。審議入りしないのであれば、4か月もかける意味があったのか。この取材で、委員長である三宅氏に見解を聞いたことがある。「テレビ番組がたとえ少数であっても心が脆弱な子どもに加害性を持つことについてどう考えるのか」と。これに対する彼の言っている言葉は建前をテープレコーダーのように繰り返すだけで私には理解不能だった。法律家だからなのか。問題意識を持っているかどうかさえ分からない。胸に響かない言葉の連続だった。いずれにしても、こうした結論に向けて委員会を引っ張ったのはこの三宅氏である。

なぜ、その三宅氏が「顔なしインタビュー」についての談話をこのタイミングで発表したのか。

放送人権委員会が扱う案件で、とりわけ顔なしインタビューやモザイクインタビューによって人権侵害が起きた、というわけではない。

むしろ、モザイクのかけ忘れで加害生徒の実名が放送されてしまった大津いじめ自殺事件のテレビ報道や無許可スナック摘発事件で当事者の顔のアップや実名、住所などがテレビ報道されたことを「放送倫理違反」だとして断罪することを放送人権委員会はくり返してきた。

テレビ局にとって、モザイクなどの手段は、人権を守るツールでもあることは重々承知しているはずである。

放送人権委員会のトップが、それをわざわざモザイクを安易にかけすぎる、などと批判しているのだ。

自分の委員会の守備範囲というものを理解しているのだろうか?

実は三宅氏は近々、BPOの委員長としての任期切れを迎える。

BPOの委員長、という職責にいる最後に、これを言い残しておきたいという意図だったのだろう。

委員長として、最後にテレビに対して、日頃を考えていたことを言っておきたい、という思いなのだろう。

しかし、申し訳ないけど、テレビ制作のプロから見れば、この言葉は現場を理解していない「素人のたわごと」に過ぎないと私は考える。

BPOの人たちは「BPOは放送業界のお目付役」と私が書いたりすると大変嫌がる。

「そんな権限はとてもありません」「むしろ放送業界と一緒に歩むパートナーのようなものです」と。

しかし、今回の委員長談話をよく読んでみると、「BPOの委員長」がテレビというものに絶対的な裁判官であるような尊大な意識まで透けてみえてくる。

おいおい・・・。

そうでなければ、なぜ、モザイクなどは門外漢の「放送人権委員長」がこのタイミングでこんな場違いな談話を発表するのだろう。

それにしても、BPOの委員はなぜこうも弁護士ばかりが多いのだろう。

放送人権委員会の委員は弁護士と大学教授を含めると9人中5人が法律家だ。

およそ取材や番組制作などということをやったこともなく、取材で相手と格闘したり、伝えるべき事実という問題と格闘した経験もなく、現場の事情を「体感的に」分かっていない人ばかりだから、見当違いの「決定」も目立ってしまうのだ。

今回の「顔なしインタビューは放送しない」などという委員長の要請は、以上のように「まるで見当違い」だと私は思う。

現場の記者や制作者たちからも反発の声が上がっている。 

それでもBPOという”権威”がそういう意思表示をしたことで、ネットでは「顔なしインタビュー禁止」などと誇張して事態が伝えられてもいる。

BPOの委員長がいつか言いたかった持論を披瀝すればテレビ局が右へならへをするかのような考えであれば「まるで勘違い」でもあると思う。

談話を発表した本人の意図とは正反対に、BPOという組織がテレビのことをまるで分かっていないことをさらけ出した。

委員長のコメントは、間違いなく、BPOという組織の権威に泥を塗ったことだけは確かだ。

テレビ局の現場で、報道などの仕事にたずさわっているみなさん。

今回の放送人権委員会の委員長談話は、耳を傾ける必要はまったくないと思います。

どう考えてみても「現場オンチ」の素人によるタワゴトですから。