「あまちゃん」総集編で見えたNHKの悲願。ねらいは「芸術祭大賞」

 10月14日午前中に放送された「あまちゃん総集編~前編・後編」。9月28日の最終回以降、この時を心待ちにしてきた。やはり終盤の被災地を励ますための「潮騒のメモリー」は泣けてきた。一日中、小泉バージョンと薬師丸バージョンの歌声が脳の中で鳴り響き、半月ぶりにこの世界に浸って余韻を噛みしめていた人は多かったはず。

 でも、1日15分で週6回。

 最初から最後までだと156回だと39時間分になる。

 それを3時間足らずの「総集編」にした放送はやっぱり物足りなかった。

 途中が省略されて、このドラマの最大の特徴である小ネタによる“くすぐり”があんまり効かない。

 視聴者として言わせてもらうなら、不完全燃焼といえる放送だった。

 終盤の鈴鹿ひろみが「潮騒のメモリー」の歌詞を変更して歌った「三代前からのマーメイド」の部分も説明がまったくないので、初めて見た人間には経緯が分からず意味不明だし、お座敷列車復活を押しのけて地元新聞の一面トップを奪った恐竜の骨の発見記事で悔しがる琥珀掘り・勉さんの表情も意味が分からなかったに違いない。

 もっとも朝ドラの総集編をこれほど真剣に見たのは初めてなので、毎度毎度こんなものなのかもしれない。

 すでに見ていた視聴者が「感動よ、再び!」という意味では悪くはなかったけれど。

 でも、毎回のように視聴者の期待を裏切ってくれた「あまちゃん」が、連続して見ることでの何か新しい発見をさせてくれるかも、という淡い期待を持って総集編を見たことは事実だ。

 結果としては、中途半端だ。3時間足らずでは、あの「あまちゃん」にはならない。

 再放送は全部見せてほしい。このドラマに限っては、切にそう願う。

 さて、これまでドキュメンタリーの制作者としてテレビにかかわり、現在、はテレビ批評も仕事の一つにしている人間から見ると、「あまちゃん総集編」の放送はいきなり「あれっ?」という驚きがあるものだった。

 冒頭で「平成25年度芸術祭参加」というテロップが地味に出ていたのである。

 「あまちゃん」、芸術祭に出すのか・・・。

 芸術祭とは、文化庁が年に一度、募集し、審査するコンクールで、演劇、音楽、舞踏、大衆芸能などとともに、テレビやラジオのドラマ、ドキュメンタリー部門がある。テレビの場合、放送局を代表して「芸術祭参加作品」として文化庁に応募し、決められた期間内で放送することが条件になる。テレビ制作者にとっては、いろいろなコンクールがあるとはいえど、今でも最も権威のある賞だと言っても過言ではない。

 人によって違いはあるだろうが、「芸術祭」とそれ以外の賞ではもらう側にとっても重みが違う。

 ゲイサイ(芸祭)とテレビ制作者たちは気恥ずかさを込めてその名を呼ぶ。もらうと「一流」の仲間入りをしたような、そんなちょっと晴がましい気持ちになる。ドラマで言えば、和田勉や佐々木昭一郎といった「芸祭男(ゲイサイオトコ)」の異名を取る超一流の人たちが長く君臨した時代に比べれば、ドラマもドキュメンタリーも最近は「個人の力」ではなく「集団の力」で作る時代に入ってしまい、芸祭男という呼称はあまり聞かれなくなった。とはいえ、ゲイサイ(芸祭)は多くの作り手にとっては制作者のロマンである。自分もその名を連ねたいと多くの制作者が内心思っている。

 なにしろ、それぞれの放送局の中で「芸術祭参加」の地位を獲得するのが大変だ。組織の大きいNHKでは局内の選考も半端ではあるまい。

で、とにかく「あまちゃん総集編」はNHKが局として最も権威あるコンクールにエントリーさせた芸術作品だということだ。

 テレビドラマ部門で受賞すると、トップは「大賞」となり、その次以下が「優秀賞」となる。

 これまでNHKの朝の連続テレビ小説が芸術祭で大賞はおろか優秀賞も受賞したことはない。というか、そもそも文化庁のホームページを見る限り、参加作品として応募した連続テレビ小説は、昨年度、平成24年度の「カーネーション」だけらしい。(昭和22年度から平成21年度までは応募作品がホームページに公開されていないので、ご存知の方がいればご一報ください。)

 最近の芸術祭におけるテレビドラマ部門では、NHK作品としては昨年度、土曜ドラマスペシャル 「とんび」(前・後編)が優秀賞に入り、平成21年度に大賞に「火の魚」(NHK広島放送局)が大賞に選ばれている。大賞に限定して、さらに探していくと、昭和59年度「心中宵庚申」(ゲイサイ男こと和田勉演出)、昭和56年度「川の流れはバイオリンの音」(ゲイサイ男こと佐々木昭一郎演出)とNHKの歴史の中でも「超人」「天才」といえる作り手の時代までさかのぼる必要がある。

 視聴率では「梅ちゃん先生」に及ばなかった「あまちゃん」。しかし、これまでくどいほど言ってきたように、連ドラとしての「あまちゃん」はこれまでの連続テレビ小説の枠を突き抜けた魅力を放っている。

 というわけで、NHKのスタッフがねらっているのは様々なコンクールでの賞、とりわけ「芸術祭大賞」だろう。もし受賞したら、連続テレビ小説として初の快挙だ。NHK本体としても久々のドラマの大賞だし、ドラマ制作チームの意気も上がるに違いない。視聴率よりも連続テレビ小説として異例の受賞ということで、テレビドラマの歴史に名前を刻みたい。そんな制作陣の野心が透けてみえる。その心意気や良し。産み落とされた子どもである自分の作品に、できるだけ褒美を与えたいというのは親心として当然だ。

 さて、名手・宮藤官九郎の脚本の完成度など、長所はたくさんあるものの、芸術祭は最も権威があると選ぶ側も思っているだけにすんなり受賞できるかどうかは分からない。

 ましてや今回の出品作である「総集編 ~前篇・後編」を見た限りでは、全156回分の刺激的な展開を途中で省略してまとめたため、面白さをだいぶ間引きしてしまった印象がある。

 受賞作品は毎年12月後半に公表される。

 もしも「あまちゃん」が芸術祭大賞に選ばれたなら、NHKにはお願いしたい。

 記念にどこかの枠で「あまちゃん」156回をすべてまとめて、一挙再放送してほしい。

 連続39時間視聴で感じることができるはずの「あまちゃん」マジック。

 それを味わいたいというのは少なくない国民的な声のはず。

 受賞した、となれば前例のない再放送をする立派な口実ができるはずだ。

 

 これから年末にかけて続くであろう。紅白歌合戦その他における「あまちゃん」便乗戦略。それには目をつぶるけども視聴者の本当のニーズをよく考えてほしい。視聴者は、紅白歌合戦で「あまちゃん」の出演者たちの姿を見るのもよいが、多くの視聴者は毎朝15分ずつ放送していたあの世界に再びどっぷりと浸りたいのだ。

 ドラマの感動は、やはりドラマで返してほしい。