「その火を飛び越えて」は「その日を乗り越えて」 最終回に秘められた「あまちゃん」のメッセージ

「3・11を乗り越えて・・・」への思い

とうとう「あまちゃん」の最後の放送が終わった。

やっぱり泣けた。

涙腺がいちばん緩んだのは、北三陸鉄道が一部復旧し、動き出した車両を線路脇で住民が走りながら手を振るシーンだった。

最終回でも人の心をグィっとつかむ「脚本」「演出」のヒミツがあちこちに散りばめられていた。

最初から最後まで貫かれた「芸の細かさ」。

この最後回でも痛感させられた代表的なヒミツをいくつか分析したい。

その1 「ビッグバンド」による音楽の効果

北鉄の再開セレモニー。高校のブラスバンドの生演奏が流れる。いつものオープニング曲で流れるビッバンドの演奏と同じ曲調。トランペットやトロンボーンが流れるだけで、視聴者は「もう気分はあまちゃん」だ。

田舎くさくて、どこか懐かしいビッグバンド。見ている側になんとも言えない感傷を与える。

ビッグバンドが演奏する曲は、恐竜の骨を発見して第興奮で軽食&喫茶「リアス」に飛び込んでくる勉さんの熱狂ぶりと先に水口が発見していたと知った時の失望、妻の春子に置き去りにされたと知り、慌てるアキの父・正宗のシーン、お座敷列車の出発シーンなど、ユーモラスな場面でちょくちょく出て来た。

その2  「テレビニュース」挿入の効果

お座敷列車にアキとユイの「潮騒のメモリーズ」が登場して、歌のイントロが流れる。

と、その瞬間、画面に字幕が入る。「北三陸鉄道リアス線 運転再開」。

( えっ ! ? )

男性アナの声が突然入ってくる。

( えっ!? )

違和感に驚かされる。

「続いてのニュースです。東日本大震災で被害を受けたローカル線が一部運転を再開しました」

右上にも「岩手県北三陸市」の地名の字幕が入る。完全にニュース番組の画面になっている。

NHKがその日伝えたニュース、という設定だ。

「地元市民にまじって全国各地から訪れた鉄道ファンがエールを送りました」

その映像には茫然とした表情で万歳する正宗の間抜けな表情も映っている。

「いかにもNHKニュース」らしい堅い男性アナの読みが聞こえてくる。

場面が切り変わる。

アナウンサーの声は続いて・・・

「そして午後には地元アイドルを乗せたお座敷列車『潮騒のメモリーズ号』が運行しました」

というニュース原稿になる。

ニュース映像は、それを映し出すテレビ受像機の「枠」まで見せている画面だ。

つまり、機械としてのテレビ。

春子がかつてバイトしていた東京の喫茶店「アイドル」のテレビだ。

ここでニュースのシーンを入れたことで、お座敷列車のことを東京など各地で様々な人たちがこの出来事に「参加」する効果が表れる。

喫茶「アイドル」で「熱いよね~」が口癖のアイドルオタクのマスターが見て、一人熱くなっている。

その頃、ベーリング海で漁に出ている祖父もテレビ映像を見て自慢げに外国人船員に自慢する。

「俺の孫! ドーターズ・ドーター。メモリー・オブ・シオサイよ!」

お座敷列車のニュースが日本中を、世界中を、かけめぐる。

私たちは大きな出来事があると、たとえ自分の身近なことでも、「テレビニュース」などのメディアを通じて、物事を確認せざるえない情報化社会の中で生きている。

実物とバーチャルが混在する時代。

実在の人々の生活よりもニュース画面というバーチャルなものの方にリアリティを感じる社会。

3・11の大震災も、東北の復興も、被災者ではない多くの人たちにとっては、「ニュース」の映像や音声の記憶でしかない。

ここで「ニュース」のシーンが入ることで、「運行一部再開」という節目はそうした多くの人にとってリアリティを増す。

「北鉄の復活」というアキたち地元民にとって大事な出来事に、「3・11を経た被災地全体の復興」という公共的な意味もあることを同時に伝えている。

その3 音質への徹底したこだわり

テレビで流れる「ニュースの音声」に注目すると、とても細かい「音の演出」がなされていた。

最初に画面を通して聞こえてきたニュースの音声は、ふつうのNHKニュースでの放送とまったく同じ声だ。

「続いてのニュースです。東日本大震災で被害を受けたローカル線が一部運転を再開しました」

無機質で感情のこもらないメタリックな声。いかにもNHKのお行儀の良いアナウンサーの声。

続いて、東京の喫茶店のテレビの映像に切り替わって、ニュースの続きをアナウンサーが読み上げる。

「そして午後には地元アイドルを乗せたお座敷列車『潮騒のメモリーズ号』が運行しました」

この時、同じニュースの読みなのに少し前とは「音質」が微妙に違う。

テレビ受像機を通したような声の音質になっている。テレビ受像機を通すと音声の質が微妙に変化するのをちゃんと表現している。

また、画面が切り替わって、それまでのニュースそのものからテレビ受像機の画面になったと同時に、音質が変化しているので、視聴者は「テレビの放送シーン」から「テレビを見ている側のシーン」に移行したと瞬時に理解できる。

このように「あまちゃん」では、音のリアリティを追求する「芸」が執拗なほど細かい。

映像にこだわるドラマはけっして少なくないが、音にもこれほど徹底してだわるドラマは本当に珍しい。

その4 徹底した笑いへのこだわり

毎回、クスリと笑わせてくれるツボが挿入されるが、この日もやっぱりあった。

冒頭の「北鉄の一部復興」のセレモニーでの主催者側が吉田くんから始まる人間ドミノ倒しの果てに想定外でユイがひもを聞いてくす玉を開いてしまう場面がそれだ。

勉さんが大興奮した恐竜の骨発見のエピソードも、けっきょく水口に先を越された二番煎じと判明。

後日、地元新聞で一面トップで報じられて勉さんが悔しがる表情が大写しになる場面など、「笑い」はこのドラマの調味料になっている。

いつも笑いがある楽しい世界だからこそ、失われたりした場合には悲しみも人一倍強く共感できる。

喜劇というものを良く知っている人たちが作ったドラマだとつくづく思う。

その5 お座敷列車のカメラアングルのうまさ

恐竜の骨発見などのエピソードの間に背後で小さく響いていた、アキとユイの「潮騒のメモリー」が次第に大きくなり、お座敷列車のシーンへと場面は戻る。

「潮騒のメモリー 17歳は 寄せては返す 波のように 輝く」 

次第に曲が大きく響く。

観客の歓声や手拍子がまじる。

ちなみに拍手や歓声も、臨場感を増し、見ている人間を感動させる調味料だ。

「来てよ その火を 飛び越えて 」

お座敷列車に乗ってアキたちを撮影する水口が窓の外を見ると、大勢の人たちが手を振って、走っているのがみえる。

手を振る人々の姿。

それを車両の中から撮影した映像。

三脚をつけて撮影した安定した映像ではなく、水口のビデオカメラが撮影したようなブレる、不安定な映像。

お座敷列車の中から見た目線の映像だ。

そこが良い。

下手な演出家だと、住民側のアングルから人々の映像を撮っただろう。

でも、それをいっさいしなかった。

徹底して「車両の中の人たちからどう見えたのか」というアングルにこだわった。

ジャンプする人。

旗を振って走る人。

その旗も日の丸一色ではではない。

よく見えないが、地元の漁協などの旗もあるようだ。

そこも良い。

「国が」前面に出るのではなく、「人」が、「地域」が前面に出る。

人間同士のつながりの方がむしろ出ている。

この列車の復活を、これほど多くの、名もない住民たちが体いっぱい喜びを表現する。

このカットの描写には胸に迫るものがあった。

その6 「明日も明後日も・・・」の言葉の力

歌が終わって、終点「畑野」で「北三陸」へ戻る列車を見送った二人。

そこでのユイの台詞。

「明日も明後日もあるもんね」

アキも応じる。

「明日も明後日も・・・。来年もある」

「今はここまでだけど。来年は、こっから先にも行けるんだ」

2人は線路の先をみつめる。

その先の見つめる「間」がとても良い。

これも演出した人のうまさだ。

「行ってみよっか?」

とユイ。

「じぇじぇ!?」

と驚くアキ。

「行こう、アキちゃん」

ユイは大震災の日以来、行けなかった「先」へと歩み出す。

その後ろ姿は、震災を乗り越えて未来へ向かって歩む二人の若者の姿だ。

そこに再びアキとユイの「潮騒のメモリー」の歌がしんみりと流れ出す。

お座敷列車の中では水口やストーブさん、正宗が窓外をみつめる。

みつめる先は出てこない。

視聴者に想像させる演出だ。

みつめる先に震災の跡が広がる様子や列車の復活で勇気づけられた人々の姿があるのだろうと想像できる。

「潮騒のメモリー」は続く。

その7 「潮騒のメモリー」の歌詞。そしてトンネルの場面のヒミツ

若い2人の歌声は、天野春子(小泉今日子)の声に替わる。

もはや登場人物の天野春子、というより小泉今日子としての歌い方だ。

「潮騒のメモリー 17歳は 寄せては返す 波のように 激しく」 

「来てよ その火を 飛び越えて    砂に書いた アイ ミス ユー」

さらに鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)の声に替わる。こちらも薬師丸ひろ子としての歌いっぷり。

「来てよ その川  乗り越えて 」

視聴者のイメージの中で「飛び越えて」が「乗り越えて」に重なっていく。

「三代前からのマーメイド・・・」

夏ばっぱの笑顔も見える。

「親譲りのマーメイド・・・」

この最後のフレーズに合わせて、映像はトンネルの中を走るアキとユイの姿になる。

「マーメイド・・・」

トンネルの向こうの光源に向かって、若い命が走っていく。

曲の余韻がまだ続く。

「好きよ・・・」

「嫌いよ・・・」

この映像こそがドラマの主題であり、宮藤官九郎はじめ、制作者たちが2013年の日本に伝えたかったメッセージだ。

最後、2人はトンネルを抜けて光の中まで行きついたところでドラマは終わる。

登場人物すべてにとっての「潮騒のメモリー」。

先へ進めないほど大きな傷を残した大震災を乗り越えて、未来へと進もうとする人々への共感が広がる。

そこで視聴者はあらためて気がつく。

「来てよ その火を 飛び越えて」の歌詞。

「その火」「その日」なのではないかと。

もちろん、3・11のあの日だ。

「飛び越える」「乗り越える」なのだと。'''

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最後の最後。

ビッグバンドの演奏によるいつものオープニングテーマが入る。

堤防を全力で走るアキを空撮したおなじみの映像。

今度はアキとユイが走る。

2人が「海死ね」と書いた落書きを踏んで、大ジャンプ。

海に飛び込んだと思わせておいて、飛び込まないまま終わり。

「おしまい」の字幕。

最後までクドカンワールド全開だった。

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宮藤官九郎は、見ている人たちに、何を伝えようとしたのだろうか。

NHKの「あまちゃん」公式ホームページにチーフ演出の井上剛のインタビューが載っている。

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 お座敷列車が走るときも、たくさんのみなさんが沿線で手を振ってくれました。また、今回のお座敷列車は前回(第9週)のお座敷列車とは違って、外の風景もしっかり撮ると決めていました。まだ被災の爪痕が残るところもありますが、それを映像に残すことは外せないと思っていました。  普通、台本にはセリフやト書きが書かれています。でも、そのシーンには“潮騒のメモリー”の歌詞が数ページに渡って書いてありました。ぼくは、それが(脚本家の)宮藤さんからのラストメッセージだと思えたのです。『来 てよ その“火”を 飛び越えて』というのは、多分『来てよ その“日(3.11)”を 飛び越えて』。「また東北に来てね」ということだと思います。 「思います」と言ったのは、フツー、そういう大事なことは、作家と演出家なんだから話しておくことなんですが、2年前からのお付き合いだというのに、ご本人に僕聞 いたことがないんですね。宮藤さんも言わないし。でも、なんかそういう「想像にお任せします」的なことが個々人にとって大事な現場だったんです。  だからまあ、僕にいたっては、お座敷列車の中だけでなく外を映したかった。そして、そこに歌詞がかぶるようにしたかったのです。

出典:「あまちゃん」NHK公式ホームページ

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台本にびっしり「潮騒のメモリー」の歌詞だけが数ページにわたって書いてあったというエピソード。

やはりドラマの芯は、この「歌詞」だったことが分かる。

その歌詞に合わせて、演出陣が心をこめて撮影したのが動き出した列車に線路脇から人々が手を振って走る映像だったのだ。

だから心を動かされた。

「来てよ その火を 飛び越えて」については「来てよ その日を 飛び越えて」なのだと演出の人たちも解釈していたという。

ネット上の書き込みなどをさかのぼってみると、視聴者にも歌詞のここの部分では、「火」は「日」とダブルミーニングなのでは、と指摘する声は前からあった。

脚本を書いたクドカン自身がはっきり口にしていないというが、演出の中心人物までクドカンの思いを想像しながら、そんな解釈をしつつドラマを作っていたというエピソードはそうだったのかと頷ける。

ただ、作る側にどんな意図があったのか、ということは放送が終わってみれば大きな意味はない。

ドラマなどの作品は、制作者の手を離れてしまったら、それはもう視聴者のものだ。

元の台本に脚本家がどういうメッセージを込めたか、台本を映像化した演出者がどんな意味を込めたかは、それぞれの思いはあるにしても、出来上がった作品が最終的にどう解釈されるものかは視聴者がそれぞれに委ねられている。

もし「その火を 飛び越えて」が「その日を 飛び越えて」に聞こえ、さらに記憶のなかで「その日を 乗り越えて」と心に残るものなら、それは作品そのものが持つメッセージなのだろう。

「来てよ この日を 乗り越えて」

ユイとアキがトンネルの先の光の中へ進んでいくシーン。

僕はその光景を忘れない。