Yahoo!ニュース

女性教師の夫との私的なセックス動画が流出したとき、何が起きる?冒頭の性描写から考えてほしいこと

水上賢治映画ライター
「アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版」より

 映画が始まったその瞬間から賛否を呼ぶといっていいのが、映画「アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版」だ。

 ルーマニアの鬼才ラドゥ・ジューデ監督が手掛けた本作は、冒頭、いきなり男女の本番セックスシーンで始まる。

 でも、自己検閲版は、このシーンが見られないように別の映像で上塗り。

 その中で、「殺人シーンはOKで、フェラはNGだって?」など、この検閲版に対する監督の辛辣なつぶやきともいうべきメッセージが文字で表記されて、物語が始まる。

 もう、これだけで物議を醸す印象を抱くことだろうが、作品は第71回ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞!

 その後も、ニューヨークタイムズが選ぶ2021年ベスト10の第2位に選出されるなど、世界中で大反響を呼ぶ。

 有名校の女性教師の夫とのプライベートセックス動画がネットへ流出してしまったことで起きる騒動から、現代社会を鋭く問う本作は何を映しているのか?

 ラドゥ・ジューデ監督といくつもの作品でタッグを組んできたプロデューサー、アダ・ソロモン氏に訊く。(全四回)

アダ・ソロモン プロデューサー 写真クレジット:Jens Koch for Berlinale 2021
アダ・ソロモン プロデューサー 写真クレジット:Jens Koch for Berlinale 2021

冒頭の本番セックスシーンに修正を加えた

検閲版でないバージョンで見てもらえたらといまでも思っています

 今回は本編インタビューに続く番外編。自己検閲版について訊いた。

 実は、今回、日本で公開された監督〈自己検閲〉版に関して、ラドゥ・ジューデ監督自身は本意ではないことを明かしている。

 ただ、こうしなければほとんどの国で劇場公開が実現しなかったことも事実であることはおそらく間違いない。

 この「検閲版」の判断について、プロデューサーとしてはどう考えているだろうか?

「ラドゥ監督の気持ちはよくわかります。

 やはり監督としては、ディレクターズカットがベストでパーフェクトなバージョンであることは間違いないと思います。

 前にお話したとおり、冒頭の本番セックスシーンについて、わたしは最初、懐疑的でした。

 でも、出来上がった作品については、それがベストで。修正を加えた検閲版でないバージョンで見てもらえたらといまでも思っています。

 実際、検閲版ではないバージョンは、映画祭をはじめとした上映で、オーディエンスから『卑猥』や『不謹慎』といった意見はほとんど出なかった。

 この作品の主題を表すものとして、ほとんどの方が受けとめてくれたんですね。

 まさに本作のメインテーマである、『猥褻』とはどういったものを指し、どうであれば許容され、どうなると許されないのか?

 人間の裸体シーンは許されないのに、なぜ暴力シーンは許されるのか?

 そのことを物語るシーンとしてきちんと受け止めていただけたんです。

 また、冒頭で描かれるセックスシーンは、ある夫婦の家庭内におけるセックスに過ぎない。ひじょうに純粋な男女の身体的行為といっていい。

 でも、これが故意ではないのにネットに流出した途端に、猥雑なものとされて本人たちが問題視されてしまう。

 同じ映像なのに、一方は純粋な愛の行為で、もう一方では卑猥な行為として扱われる。その線はどこにあるのか?

 そういう問題提起をする上で、冒頭のシーンは必要と受けとめてくださる方も多かった。

 つまり、必要なシーンとして受け入れてもらえたんです。

 ただ、一般劇場公開となったとき、わたしたちは、これは日本だけではなくていろいろな国から『このままでは上映はできない』という現実問題に直面しました。

 そうなったとき、解決策としては検閲版を作るしかなかったのです」

「アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版」より
「アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版」より

いままであまりないユニークなケースの検閲版ができたのではないか

 検閲版を作るにあたっては、そうとうな葛藤があったことを明かす。

「もちろんジレンマはありました。

 その中で、検閲版にしたとしても、通常版のニュアンスがきちんと伝わるものにしようと思いました。

 自分たちがこの作品で何を考えてほしいのか、冒頭のシーンが何を暗示して意味しているのかをまず伝えたかった。

 それから、映画はひとつのアート作品なので、検閲によって傷つけることはしたくありませんでした。

 作品としてクオリティを損なわないことを考えて、いまのようなブラックジョークも皮肉もこめたような形になりました。

 ラデゥ監督自身は自己検閲版を見せることを嬉しがってはいません。

 でも、この形にしたことで多くの方がこの作品にアクセスできる機会になった。そのことは喜んでくれていると思います。

 また、世にある検閲版は、作り手自身ではなく誰かの手によって修正カットされたものがほとんどといっていいでしょう。

 ですが、この作品に関しては、自己検閲版ですから、ラドゥ監督は自らの手で編集することが出来た。その点においては納得の形にできているのではなかと思います。

 あと、よく考えると、検閲は映画の歴史においても長く続いている問題。その点からみても、いままであまりないユニークなケースの検閲版ができたのではないかと個人的には思っています」

【アダ・ソロモン プロデューサー 第一回インタビューはこちら】

【アダ・ソロモン プロデューサー 第二回インタビューはこちら】

【アダ・ソロモン プロデューサー 第三回インタビューはこちら】

【アダ・ソロモン プロデューサー 第四回インタビューはこちら】

「アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版」より
「アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版」より

「アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ 監督〈自己検閲〉版」

監督・脚本:ラドゥ・ジューデ

全国順次公開中

場面写真は(C) 2021 MICROFILM (RO) | PTD (LU) | ENDORFILM (CZ) | K INORAMA (HR)

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

水上賢治の最近の記事