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旅人の噂話だけを頼りにインドネシアの秘境へ。銛一本、命懸けのクジラ漁との衝撃の出合い

水上賢治映画ライター
「くじらびと」の石川梵監督  筆者撮影

 現在公開中のドキュメンタリー映画「くじらびと」は、そのタイトルから察しがつくように、クジラとともに生きる人々の記録だ。

 カメラが分け入ったのは、ガスも水道もないインドネシアの辺境にあるラマレラ村。約1500人の村人が暮らすこの地は、火山岩に覆われ農作物はほとんど育たない。

 ゆえに太古からクジラ漁が村の生活を支え、年間10頭も獲れれば村人全員が生きていけるといわれている。

 鯨漁といっても、大型船で魚群探知機でといった近代化された漁法ではない。

 伝統漁法といっていい、手造りの舟にのって、ラマファと呼ばれる銛(もり)打ちが銛(もり)1本でマッコウクジラに挑む。

 なので、常に命がけ。実際、クジラに大けがを負わされた者もいれば、海に引きずり込まれて命を落とした者もいる。

 ゆえにラマファは村の英雄で、子どもたちの憧れだ。

 作品は、この危険と隣り合わせの400年に及び続く伝統捕鯨を続ける「くじらびと」たちの日常と壮絶なクジラとの闘いを記録している。

 はじめてこの島を訪れたときから数えると30年の月日をかけて本作を完成させた写真家で、「世界でいちばんうつくしい村」で映画監督デビューを果たした石川梵監督に訊く。(全四回)

秘境写真家として世界を飛び回り、辿り着いたクジラの村

 さきに触れたように、石川監督がこの村を訪れたのはいまから30年前、1991年のこと。村にたどりついた経緯をこう明かす。

「当時、僕は秘境写真家として活動をしていて、まだ見ぬ世界を求めて世界各地を飛び回っていました。

 1990年までAFP通信にいて、そこから独立して最初の仕事がインドネシアで島々を巡っていた。

 すると、当時はインターネットとかないですから、人のあくまで噂話で。『あの島でこういうことが行われている』とか、『あの土地ではこんなところがある』といった情報が入ってくる。

 で、ひとりの旅人に、『いまも銛一本でクジラを獲る村がある』といった話を訊いた。

 はじめは、嘘だと思いました。経験上、そういう噂話は噂に過ぎない。ほんとうであったためしがないので(苦笑)。

 その旅人に話を訊いたのが、ニューギニアの奥地を撮影取材しているときで。20mの木の上に住んでいるという民族を、カヌーで川を遡上しながら探しているときだった。

 その民族が住んでいるところが限界で、その先は未開でどんな民族がいるのかわからないといった秘境にいたので、よけい信じ難かった。

 ただ、インドネシアは島国で、2万もの島があると言われている国。その中には、いまは途絶えているかもしれないけど、昔は鯨漁をやっていたという村があってもおかしくないとは思ったんですよ。

 それで、旅人にとりあえず、詳細ではないですけど、だいたいの場所を聞いておいた。

 後日、実際にいってみたら、ほんとうにあったというところです」

秘境写真家は、秘境を見つけるのが仕事ですから

 それにしてもそれだけの情報でよく見つけたと思うが。

「このあたりということは聞いていましたし、秘境写真家は、秘境を見つけるのが仕事ですからね(笑)。

 当時は、ほかのメディアが入っていないところを見つけることにすべてをかけていたところがありましたから、そうすると不思議とたどりつくんですよ。

 実際は、みつけられないんじゃなくて、ほとんどの人がいかないんですよ。

 秘境ですから、当然、車ですっといけたりするわけがない。通常の交通機関ですっといけたら秘境じゃない(笑)。

 骨が折れる場所にあるから、たとえばテレビとかだったらそこまで時間も予算もかけられない。あるかどうかもわからないし。

 だから、誰もいかないんですよ。

 でも、僕は秘境写真家だから、そういうことに労をおしまない。経験もそれなりにそういう場所を探し求めていた。そういうことですね」

「くじらびと」より
「くじらびと」より

なかなか出合えないクジラ

『梵がいると捕れない』みたいなムードが村に漂う

 1991年に初めて訪れてから、鯨にはなかなか遭遇できなかったそうだ。

「初めて訪れたときは、確か漁期のシーズンではなくてダメだった。

 でも、そもそも年間10頭を獲れば村人全員の生活が成り立つということですけど、漁期の4カ月の間に1頭も獲れないことがあるという。

 それで数年後、確か1994年に、今度は漁期に行ったんですけど、現地に着いたら、『三日前に獲れた』と。『あーっ』と思いました。チャンスを逃したと。

 気を取り直して臨んだんですけど、3カ月間滞在して、クジラは獲れなかった。

 獲れないどころか、まったくクジラが現れなかった。もう途方に暮れましたね。

 それで泣く泣く島を後にしたんですけど、日本に帰国したら宿の主人から『おまえが帰った翌日にクジラが獲れたよ』という手紙が届いた(苦笑)。

 で、懲りずにまた翌年いったんですけど、直接は言われないんですけど、『梵がいると捕れない』みたいなムードが村に漂っていて(笑)。

 なんか、ちょっと嫌がられている雰囲気がある。

 でも、こっちも諦められない。で、なぜかわからないですけど、今年は絶対に獲れる瞬間に遭遇できる気がしたんですよね。

 そうしたら、その年はクジラが現れた。しかも、僕の乗っていた船がみつけた。

 ところがラマファが若い子で、銛を外してしまった。『また俺のせいにされる、やべえ』と思ったんですけど(笑)、その数日後、鯨と出会い、4時間の激闘の末にクジラは息絶えて、捕らえる瞬間にようやく居合わせました」

クジラの断末魔を聞いた衝撃

 このときの体験が、のちのち映画へとつながっていく。

「ようやくクジラが獲れて、非常に感動したんですけども、そのときにある光景をみてしまった。

 それは、クジラが鳴いたんです。ウォーと断末魔の叫び声をあげた。もうこの光景は衝撃で今も脳裏に焼き付いている。

 そのとき、気づいたんです。これは『海の中もちゃんと撮らないと』と。

 それまで僕は、くじらびとたちにカメラを向けて、海の上にいる人間たちの物語を撮ろうとしていた。

 でも、クジラの断末魔を聞いたときに、海の中にもうひとつの生命の物語があることに気づいた。

 両方をきちんと撮影してこそ、この自分の作品は完璧なものになるんじゃないかと思ったんです。

 そこで、水中撮影に挑むことを決めました。ダイビングを学んで来るべき水中撮影に向けて準備を進めていきました。

 どうすれば海の中のクジラの物語を撮れるのか?どうすれば狩られる側のクジラの気持ちをとらえることができるのか、考え続けました。

 辿り着いた答えは、クジラの目を撮ることでした。

 というのも、クジラは死んだら目をつぶるし、いきているときはちゃんとこちらを見ている。

 ダイバーがクジラを撮るときというのは、後ろからいってはいけない。後ろからいくと、尻尾でパーンとはじかれて、大けがを負ってしまう。

 だけど、前からいくと、目が合うと言うか。アイコンタクトがとれるんですよ。だから、きっと目に感情が宿るに違いないと思ったんです。

 ただ、そうはいっても、クジラの目を撮るのは容易くない。しかも、漁のときですから、クジラは生きるか死ぬかのときである力すべてを使って抵抗してくる。

 その力に巻き込まれたら、こちらも命を落とすことになる。心して挑まねばならないと思いました」

「くじらびと」より
「くじらびと」より

 3年後にそのときは訪れる。

「かれこれ通い始めて7年目のときですけど、このとき、長い闘いでクジラがかなり弱ってきて、息絶え絶えになってきた。

 『ここだ』と思って、素潜りでクジラの血で真っ赤に染まる海に僕は飛び込んで、背中にささった銛の網にとりつきました。

 その体勢から、必死にシャッターを切りました。それで撮れたのが劇中でも使用している、あのクジラの目の写真です。

 でも、この撮影はほんとうにギリギリで、もう息絶えると思ったら、クジラが息を吹き返して元気よく泳ぎ始めた。

 『これはヤバい』と思ったんですけど、これは断末魔で、最後のあがきで息絶えた。でも、紙一重の撮影でした」

 この撮影が終わって、まずは写真集にまとめることになる。

「これはけっこう海外でヒットしてくれたんです。

 あと、『LIFE』とかがこの鯨漁の特集を組んでくれて反響がありました」

(※第二回に続く)

「くじらびと」より
「くじらびと」より

「くじらびと」

監督:石川梵

新宿ピカデリーほか全国公開中

公式サイト:https://lastwhaler.com/

場面写真はすべて(C)Bon Ishikawa

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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