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誰彼構わず蹴りを見舞う軍隊長は彼!「矢部太郎さんにはいまももうしわけない気持ちでいっぱいです」

水上賢治映画ライター
「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」で強烈な印象を残す軍隊長を演じた友松栄 筆者撮影

 川を一本挟んで戦闘状態にある町を舞台に、川の向こう側にいるまったく知らない敵とぼんやりと戦うひとりの兵士と、戦争下にある住人たちの毎日がブラック・ユーモアたっぷりに描かれる現在公開中の映画「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」。

 痛烈な反戦映画にも、オフビートなコメディにもとれるが、実は社会風刺と娯楽性が同居した大エンターテインメント作といいたい本作については、先に池田暁監督のインタビュー(第一回第二回第三回)をお届けした。

 それに続き、池田監督が絶大な信頼を寄せ、作品のひとつの基軸であり指針となった存在の俳優2人へのインタビュー。

 よこえとも子(第一回第二回)に続いて、矢部太郎演じる技術者に蹴りを見舞う軍の金村隊長役で鮮烈な印象を残す友松栄に話を訊くインタビューの前編に続き、後編に入る。(全二回)

矢部太郎さんとかにはいまもすいませんという気持ちです

 友松が演じた兵士の金村は、なにかと相手に厳しく当たる軍人。

 隊長風をふかせて誰彼構わず、間髪入れずにお尻に蹴りを入れる。

 矢部太郎演じる新入りの技術者などは、その餌食となる。

「ふだん人を蹴ったりすることなんてありませんから、まず蹴りの練習をひたすらしました(笑)。

 蹴るタイミングには監督の細かい指示があって。このタイミングを調節するのがけっこう難しい。

 ちょっとでもずれてしまうとやり直しになってしまい、『もう一回』となってテイクを重ねることになる。

 だから、やり直しになると申し訳ない気持ちでいっぱいでした。いや、矢部(太郎)さんをはじめみなさんにはいまもすいませんという気持ちでいっぱいです

「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」より
「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」より

人を蹴るけど、監督からの指示は「悪いやつ」にならないように

 金村を演じる上では、池田監督からこういう指示を受けたと明かす。

「『悪いやつ』と演じようとしないようにと伝えられました。

 これには正直、困りました。

 だって、人を蹴るっていう時点で、もう蹴ろうと思わないと蹴れないわけで……。蹴るってことはなにかしら悪意があるわけじゃないですか。

 たとえ笑顔で蹴ったとしても、それはそれで悪意が滲み出るところがある。

 なんか相反するものを求められているなと思って悩みましたね。『どうしよう』と。

 結局、自分の中での結論としては、相手を蹴ろうと思って蹴らないようにするといいますか。

 なんか金村のクセのような感じで思わず出てしまうもの。条件反射で出てしまうものとして見えるポイントを探し出してやったつもりです。

 いま考えると、悪人がすごい悪意をもって相手を殺そうと殴るのではなくて、人が機械的に動いて暴力に及ぶというか。そういうのを求められていた気がします。

 たとえば、劇中のシーンで言えば、向こう岸の見えない敵に、軍の上官の『撃て』という号令とともに、一斉に兵士たちが銃を撃つ。

 もうルーティーンになっていて、向こう側で傷んでいる人がいるかもしれないとかいった考えも出てこない。言われるがまま撃つ。

 そういう状態にいる人間の心理の怖さを金村にも求めたのかなと思いました。思考停止した人間を象徴する人物として金村はいるのかなと思いました

金村は、上の人間には重宝されるけど、

部下にはおそらくまったく信頼されていない(笑)

 確かに金村は、隊長であることをいいことに威張り散らすというよりは、こざかしい小役人といったタイプ。

 うまく上官にとりいって、いいポジションまできたような小物の印象を受ける。

「目指したのは、まさにそういう人間です。

 上の人間には重宝されるけど、部下にはおそらくまったく信頼されていない(笑)。

 でも、変な話ですけど、こういう中間管理職のおじさんがあらゆる会社にいっぱいいると思うんですよね。

 その人間くささをだせればいいかなと思いました」

「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」より
「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」より

池田監督が風刺したところがずばり当たっていて、怖ささえ感じます

 先でも少し触れたが、作品は、いまの日本社会、とりわけ政治および政治家をめぐる状況と重なる。

 政治の腐敗、ジェンダーギャップ、権力者の横暴など、いま現在進行形で起きていることをみているような錯覚を覚えるほどだ。

「僕自身も作品が、いままさに生きているいまと重なって見えてくることにびっくりしています。

 なんか、池田監督が風刺したところがずばり当たっていて、怖ささえ感じます。

 安心安全といわれればいわれるほど、きな臭いものを感じる状況とか、作品の世界と重なるんですよね。

 なにかいまを予見した作品になっていて、ほんとうに驚いています」

相手の方を蹴らないといけないので、自分の心としてもNGは出したくない

 話は変わるが、池田監督はよこえと友松に関しては、自分の作品世界をよく知る役者として、初参加となる役者たちのひとつの指南役としての役割も望んだと明かしている。

 その意識はあっただろうか?

「確かにそういう役割を求められているんだろうなとは思いました。

 ただ、自分がみなさんの見本になろうと思ってなかったです。すばらしい役者さんばかりで、そんなのおこがましいです。

 だから、僕はいつも通りやっただけ。

 池田監督は、けっこう準備段階でいろいろなことをやらせてくれて、その中で芝居をがっちり固める。

 あとは、それを本番でそのまま出せばいいい。ある意味、本番では余白のようなものはないので、なにか埋めるような作業もなければ、逆に余分なものを出すことを迫られることもない。

 だから、池田監督に求められたことを、僕はそのまま出せばいい。なので、いつも通りやっただけです。

 ただ、池田監督の作品を知っているからこそ、NGを出すと迷惑をかけるので、それだけは避けたいなと。

 相手の方を蹴らないといけないので、自分の心としてもNGは出したくない。

 その点に関してはかなりプレッシャーを感じていました(笑)」

「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」より
「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」より

小さいころからずっと見ていた景色が、実際に作品に収められていて、

なんかすごくうれしかった

 今回の主な撮影は、群馬県富岡、下仁田で行われている。群馬は友松の出身地になる。

「富岡は、僕が生まれ育ったところからさほど離れていない。

 小さいころからずっと見ていた景色が、実際に作品に収められていて、なんかすごくうれしかったです。

 あの河原の辺りも、何度かいったことがあります。

 母親の実家が富岡なので、富岡製糸場の辺りはちょくちょくうろうろしていました(笑)。

 そういう意味でも思い出深い作品になりましたね。

 あと、ここだけの話なんですけど、エキストラで母親が作品に参加しているんです。

 はじめは、見学にいくといってたんですけど、『エキストラ募集しているから、選ばれれば中に入っていろいろみれるはず』と伝えたら、ほんとうに応募して、参加することになった。

 だから、ちょっと恥ずかしいですけど、僕にとっては母子の共演作品にもなりました」

池田監督にまた一緒に組みたいと思ってもらえる役者にならないといけない

 今回の経験を今後につなげていきたいという。

「おもに池田監督と自主映画で一緒にやってきたわけですけど、今回は、いわゆる商業映画の世界に飛び出した。

 池田監督も大きな飛躍を果たした作品だと思いますし、自分ももっと頑張らないと。

 池田監督にまた一緒に組みたいと思ってもらえる役者にならないといけないと思っています」

「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」より
「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」より

「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」

監督・脚本・編集・絵:池田 暁

出演:前原滉、今野浩喜、中島広稀、清水尚弥、橋本マナミ、矢部太郎、

片桐はいり、きたろう、嶋田久作、竹中直人、石橋蓮司ほか

長野・上田映劇にて9/10(金)まで公開

場面写真は(C)2020「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」フィルムプロジェクト

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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