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矢部太郎扮する技術者を絶対通さない受付係を演じたのはこの人!自分が正義と思い込む彼女を演じて

水上賢治映画ライター
「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」でキーパーソンを演じた、よこえとも子 筆者撮影

 川を一本挟んで戦闘状態にある町を舞台に、川の向こう側にいるまったく知らない敵とぼんやりと戦うひとりの兵士と、戦争下にある住人たちの毎日がブラック・ユーモアたっぷりに描かれる現在公開中の映画「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」。 

 痛烈な反戦映画にも、オフビートなコメディにもとれるが、実は社会風刺と娯楽性が同居した大エンターテイメント作といいたい本作については、先に池田暁監督のインタビュー(第一回第二回第三回)をお届けした。

 続いて、池田監督が絶大な信頼を寄せ、作品のひとつの基軸であり指針となった存在といっていい俳優2人のインタビューを届ける。

 先にご登場いただくのは、よこえとも子。インディーズ映画を主軸に活躍してきた彼女は、本作において、物語の舞台の入り口でもあり、軍隊の関所でもある受付係の志村操子を演じた。

 池田監督作品を知る役者として彼女の果たした役割は大。現場においても物語においてもキーパーソンとなったといっていい彼女に話を訊いた。(全二回)

池田劇団の人々というのはおこがましい。まだ新参者なんです

 はじめに池田監督との出会いをこう振り返る。

「確か出会ったのはふかや映画祭だったと思います。いまから10年ぐらい前だったと記憶しているんですけど、ただ、そこで親しくなったかというとそうではなくて(笑)。

 池田監督は、『今度、僕の映画に出てください』と言ってくださったんですよ。めちゃくちゃいい話じゃないですか。

 でも、当時のわたしは、『初対面でそんなん言わないでくださいよ。わたしの演技もちゃんとみてないのに』といったようなことを返したんです(苦笑)。

 かなり高飛車に聞こえちゃいますが違うんです。お酒の席のことで、池田監督としてもたぶん社交辞令的なことでおっしゃってくださったんだと思うんですけど、わたし期待しちゃう人なので、実際誘われなかったらショックですし、役者だからって気を遣って言われたなら申し訳ないし。

 それで、ご一緒したとき『なんか違うなぁ』とか思われたら嫌じゃないですか。だから、流せばいいものの、きまじめに答えてしまったんです(笑)。それで、音信不通といいますか、連絡をとったりということにはならなかった。

 で、その後の2013年に池田監督は『山守クリップ工場の辺り』を発表する。それを、わたしは観にいったんです、『ぴあフィルムフェスティバル』に。

 ものすごく作品紹介の写真のインパクトがあったから、もう直感で『これは絶対、面白そうだな』と思って。

 実際、ものすごくおもしろくて大満足だったんですけど、ふと後ろ振りむいたら池田監督が座ってたんですよ(苦笑)。めっちゃダラっとした恰好でみていたので、焦ったんですけど。そのときも挨拶だけで終わり。

 その後、深谷映画祭でまた上映があったので観に行って、そのときにようやく話して、初対面のこと言われたんですよ。『よこえさん、あのときのこと覚えていますか?』と。私は言われるまで思いだせなかったんですけど、そこでようやくつながったんですよね。かれこれ4年越しで、互いに知り合った感じです。

 だから、池田監督の作品に初めから出ている常連俳優さん、池田劇団の人々というのはおこがましい。まだ新参者なんです」

池田監督の作品にある不条理な行く末の果てしなさは、なかなか紐解けない

だから、見続けてしまう

 ただ、池田監督作品はずっと心を惹かれていたと明かす。

「別役実さんやカフカ、筒井康隆さんが好きなのもあり、今回の『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』にも共通することなんですけど、池田監督の作品にある不条理な行く末の果てしなさは、なかなか紐解けない。

 わからないからわかりたくなる。だから、見続けてしまうといった感じで池田監督作品を自分なりに研究していましたね。

 そして念願かなって池田監督作品に出演させていただけるようになっていきました」

 そうした中で、今回の出演の経緯をこう明かす。

「まずパイロット版を作っているんですけど、まずはそれにわたしは出演していました。池田劇団の団員の方々といっしょに。

 ただ、企画が正式に決まって長編映画になるとなったとき、わたしと池田劇団の看板俳優といっていい友松(栄)さんだけが同じ役で引き続き出演することが決まったんです。

 でも、もうこんなん言わしてもらったら失礼なんですけど、オファーをいただいてうれしかった一方で、ちょっと迷ったんですよ。迷ったというか、(出演すると)即答できなかった。

 何でかっていうと、めちゃくちゃ重要な役で、わたしでいいのかなと。池田さんの作品で重要じゃない役はないんですけど。わたしとしては責任重大で、ちょっと尻込みしてしまったんです。錚々たる俳優さんたちの名前が並ぶ中で、わたしが期待に応えられるかなと。

 あと、私はこれまでどちらかというと感情を前面に押し出すような役が多かった。でも、今回はまるで真逆の役で。ある意味、志村操子という役は、余計なものをすべてそぎ落とさないといけない役柄でした。そこに対する不安もあった。

 でも、池田監督が求めてくれるならば、やってみようと。

 このままじゃイカンと思い、私も錚々たる人にならないとなと考え直しました。

 最終的には池田監督のもとこれまであまりやったことのない役に挑戦できたらと思いました」

「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」より
「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」より

 自主映画から今回は商業映画になるという点の戸惑いもあったと明かす。

「これはわたしの気持ちの問題もあったと思うんですけど、これまで自主映画での池田監督の現場というのは、役者が作り上げていく過程はあまり時間にしばられないでけっこうな時間を割いて試していくようなところがあったんです。

 でも、商業映画となるとある程度、きちっとしたシステマティックな中で決められた時間内でやっていかないといけない。

 そうなったとき、どうなのかなと。

 あと、自主映画のときは、スタッフも俳優さんも限られますし、池田監督にいつでも相談できる環境がある。なんだったら撮っているその場で、意識のすり合わせみたいのができたりする。

 でも、商業となると大所帯になりますし、池田監督もいろいろなところに目を配らないといけない。自分ばかりが相談にのってもらうわけにはいかない。

 だから、当初は不安だったんですけど、結果的には、限られた枠組みがあったらあったで、そこで一気に集中して演じることができた。

 それからは、こういった限られた作り方でも演じれる表現を探したいなと思うようになりました」

遠い存在ではなく、身近な存在として存在できれば

 演じた志村操子は軍の受付係。毎日、定刻にやってくる軍の関係者の出欠を厳しくチェック。お役所仕事を象徴するように判で押したことしかせず、イレギュラーな事柄は前例がないとばかりに受け入れない。だから、矢部太郎扮する新任の技術者など、そんなことは聞いていないととりつごうともしない。

 「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」の作品世界が「こういうものだ」と示し、ここで描かれる「人間の愚かさ滑稽さ」を体現している人物といっていい。

 いわば物語の入り口になる存在になっている。

「いわば、番人のような存在で、お前は入っていい、お前は入っちゃダメと判断する。

 役を離れて個人として考えるとずいぶんと融通のきかない人物だなと思いました。

 自分が正義と思い込んでいて、そこに疑いを抱いていない。

 でも、自分にも思い込みが激しいところがあったりするし、へんな正義感といいますかこだわりを振りかざしてしまうときがある。

 だから、遠い存在ではなく、身近な存在として存在できればなと思いました。

 わたしは、各個人の妙なこだわりの正義がいくつも『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』にはあると思っており、それがあわさったときになにがおきてしまうのかが、作品のひとつのテーマだと思っていて。その世界の住人のひとりとして生きました」

その人をある一面だけで、判断してはいけない

 演じる中で、役を通してこんなことを考えたという。

「さっきの正義の話にもつながるんですけど、彼女は自分が他人に対してそんな悪いことをしていると思っていない。

 彼女は、口調や行動に無頓着というか。自分の態度や行為が、相手に大きな影響を与えることをわかっていない。 なにも考えず、悪びれることもないように見えます。

 一方で、彼女は不真面目かと言ったら違う。自分の任務をしっかりと全うしている。責任をもって自分の仕事に向かっている。

 もちろん彼女自身が悪いところもあるけれど、置かれた立場や社会の状況でそうせざるえないところもある。彼女を責められないところがある。

 そういうことを踏まえると、いい人とも、悪い人とも言い切れないのではないかと思いました。また、池田監督の演出で、演じる際は悪人とか善人とか考えず、フラットに演じることを心がけていました。

 でも、実際に観てくださった方が、どう感じるのかはわからない。ただ、どちらかといったら好意的には受けとめられないだろうなと想像していました。

 その中で、この作品を観てくれたある人が、こう言ってくれました。『志村さんは悪く思えない』と。

 その言葉は、私に多くのことを気づかせてくれました。

 まず、白黒だけではない、いろいろな志村さんの受け止め方があることに気づかされました。

 そして、人を発することや行動することだけで判断してよいものか。その人の背景や立場を考えてみる、その人がここに至るまでを気に留めてみる必要があるのではないか。目の前の人柄によって判断が鈍ることがあるのではないか。そういうことを考えました。改めて、その人をある一面だけで、判断してはいけないと思いました」

志村さんを通して、他者とのコミュニケーションの大切さについて、

考える機会になりました

 物語全体としてはこんなことを考えたそうだ。

「この作品は、今の自分の生活とリンクしていて、私自身、今の社会を根底から考え直すキッカケになりました。

 作品で描かれる世界も今の世の中も、私はいい方向に向かっているとは思えない。

 なぜこういう状況になってしまっているのか、いろいろありすぎて、はっきりはわかりません。

 でも、わからないなりにも私は考え続けてみることを大事にしたい。そう作品を通して、思いました。

 また、志村さんが手にしている分厚い本は、彼女にとって指針。ほぼすべてをその指針にのっとって彼女は行動する。その指針を彼女は信じて疑わない。

 それから、軍部の人間の名が書かれて出欠を示す木札が出てきますが、彼女は、その人自身を見ていないというか。ひとつの札としてその人をみてしまっている。要は、その人と人間同士として向き合うというよりも、機械的に向き合っている。

 そして、受付嬢としてあの場所に座り続け、淡々と仕事をこなしている。

 そこには、相互理解をはかるような人間的なやりとりはない。

 ゆえに、志村さんの存在は、どこか今の時代のマニュアル一辺倒で一方通行なコミュニケーションを物語っているように映る。

 そういう意味で、志村さんを通して、他者とのコミュニケーションの大切さについて、考える機会になりましたね。

 そして、いつか志村さんが指針とするルールブックの呪縛から解き放たれ、ひとりの人間として目の前の相手ときちんと向き合い、対話できるようになってくれたらと願わずにはいられなかったです」

(※第二回に続く)

「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」ポスタービジュアル
「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」ポスタービジュアル

「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」

監督・脚本・編集・絵:池田 暁

出演:前原滉、今野浩喜、中島広稀、清水尚弥、橋本マナミ、矢部太郎、

片桐はいり、きたろう、嶋田久作、竹中直人、石橋蓮司ほか

東京シネマ・チュプキ・タバタにて8/31(火)まで公開、

長野・上田映劇にて8/28(土)〜9/10(金)公開予定

場面写真およびポスタービジュアルは(C)2020「きまじめ楽隊のぼんやり戦争」フィルムプロジェクト

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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