「おちょやん」の小暮役で注目集まる若葉竜也。「いつまでアマチュアでいられるかが永遠のテーマ」
下北沢を舞台に、最近彼女にフラれたばかり、もっか失意の中にいる荒川青のありきたりかもしれないけど、なんだか愛おしい日常を描いた映画「街の上で」。
主人公・荒川青を演じた若葉竜也のインタビューの第三回へ。第一回、第二回と映画「街の上で」の話が中心だったが、最後は本人の今後について訊いた。
気づいたらもう役者の道しか残されていなかった
子役からキャリアをスタートさせているので、あまり意識はしないのかもしれないが30代に入り、若手と言われる時代が過ぎつつある。
そのことを意識し始めているだろうか?
「いや、特にないんですよね。そもそも、僕は『とにかく映画が大好きで、お芝居が大好きで』みたいなところから始まっていない。
大衆演劇出身で、『やらされてきた』ところから始まっているのが実情で。気が付いたら、周りのみんなは就職し始めていて、気が付いたら、たとえば、ボクサーとか将棋とか憧れのプロの世界も年齢制限でひかかって夢が途絶えていた。
そうなったときに、もう役者しかなかったんですよね。ある種の挫折に近い感じで、この仕事に本気で取り組み始めた。『これをちゃんと自分の仕事にしなきゃいけない』と。
ただ、そうは言うものの、20代前半ぐらいはいつ辞めてもいいというか。『もうやりたくない』と打ちひしがれたときも正直ありました(笑)。
そこを超えて、ようやく自分なりの仕事の向き合い方がいまできるようになった感じですかね。
ダメな仕事をしたら次はないと思っているし、しっかりとした仕事をするためにも、納得した作品を選んで出演していきたい気持ちが30代になって強くなっているところはあります。
ただ、もっと有名になりたいとか、映画界を云々みたいな、そういう気持ちは一ミリもないです。
正解不正解はないと思うし、100人役者がいたら100通りの考え方あっていいと思うから、そういう人がいてもいい。
ただ、僕個人としては、粛々とやれたらいいなと。粛々と丁寧に思いを持って、1つ1つの作品に向き合えたらと思っています。
そのように一歩一歩、歩を進めほうが僕の性には合っている。そうやって続けていけたらと思っています」
いつまでアマチュアでいられるのかが、永遠のテーマ
ある意味、プロフェッショナルを拒みたいと明かす。
「この仕事ってプロになればなるほど面白くなくなるような気がするんです。
だから、いつまでアマチュアでいられるのかが、永遠のテーマというか。若葉竜也という役者ではなく、何者でもない自分で現場にいかに立っていられるかは意識しています。
プロになるというのは高尚になっていくことで、ある種の高みの境地に入ってしまう気がするんです。
そうなったときに、すべての事柄が対岸の火事に見えてきてしまうのではないか。そういう心もちになった役者って、実在感がどんどん薄れていってしまうのではないか。
そうなってしまっては、対岸の火事にしか見えない映画になってしまうのではないかと、不安を拭えないんです。
ただただ、そこに佇んでいたい。
たぶん、市井の人は『そこに立って』と言われたら、素直に立てると思うんです。ほんとうに自然な形で。
でも、プロになればなるほど、勝手にあれこれ考えてしまって自分でバイアスかけちゃう。その時点で、もう不自然になっている。
そういう意味で、アマチュアイズムをいかにキープできるか。
知らず知らずのうちに、やはり役者の手垢や手癖みたいなことが自分についてきてしまう。それをいかに拭い去っていけるかは考えなければと思っています。
芝居が難しいのは重々分かっている。ただ、ほんとうの意味で、僕は理解し切っていないというか。難しいと感じるところのまだ入り口にしか立てていないような気がするんです」
役者の小さい脳で考えた演劇論なんかより、日常をどう生きるかのほうが大切
その中で、日常生活を一番大切にしているという。その真意は?
「役者の小さい脳で考えた演劇論なんかより、日常をどう生きるかのほうが大切だと思うんですよ。
結局、最終的には自分がどういうことを感じて生きているのか、その生き様や人間性が出てしまう。
もしかしたら、そこしか映画には出ないのかもしれない。ひとりの人間としてこの世界で生きてきたのか。
自分自身がひとりの人間として社会と接点をもっておかないと、やはり役に説得力かつ実在性は生まれないと思うんです。
そのためにも、どうひとりの生活者として、どう人と繋がって、どう暮らしていくかっていうことがとても大事な気はしてます」
「街の上で」
監督:今泉力哉
脚本:今泉力哉 大橋裕之
出演:若葉竜也 穂志もえか 古川琴音 萩原みのり 中田青渚 成田凌(友情出演)
全国順次公開中
場面写真はすべて(C)「街の上で」フィルムパートナーズ