キャリア70年を超す日本映画界のレジェンド女優、香川京子。「演じる悩みはいまも尽きないです」

「モルエラニの霧の中」 香川京子  筆者撮影

 2011年に東京から故郷である北海道室蘭市に移住した映画作家、坪川拓史が、出会った地元の人々からきいた逸話を元に、実際にその場所で、ときに本人も出演者となって撮影した映画「モルエラニの霧の中」。

 完成まで5年の歳月がかけられた本作は、コロナ禍による劇場閉鎖の影響も受け、そこからさらに2年の時を要していま全国各地での公開を迎えている。

 本作に携わった各人にご登場いただきその作品世界に迫るインタビュー特集。菜 葉 菜(前編後編)、坪川監督と草野康太(前編後編)に続いてご登場いただくのは、小津安二郎、溝口健二、黒澤明ら日本が世界に誇る映画監督の作品に出演してきた日本を代表する女優の香川京子。

いろいろな作品に出演してきましたけど、いままで演じたことのない役でした

 「モルエラニの霧の中」では、第2話 春の章/写真館のはなし「名残りの花」に出演している。

 まずは出演の経緯をこう明かす。

「もうずいぶん前のことになるんですけど、『モルエラニの霧の中』の公開がスタートした劇場でもある岩波ホールで、ある映画を拝見したんです。

 そのとき、坪川監督がいらっしゃっていて、劇場の方にご紹介していただいて。それが坪川監督との最初の出会いです。

 それからしばらくしたある日のこと、坪川監督から突然お電話をいただきました。

 そこで『こういう映画を撮りたいと思っている』といろいろご説明くださって、興味深い役だと思ったので、『よろしくお願いします』とお返事しました」

 第2話 春の章/写真館のはなし「名残りの花」は、今は亡き名優、大杉漣と演じる老舗写真館の主人、小林幹夫が病に倒れ、離婚した妻の元で育った息子の真太が久々に帰郷。

 ある写真の持ち主探しをすることになった真太が、疎遠にしていた父の想いと懐かしい記憶が甦る、父子物語になっている。

 香川はここで春のある日に現れる謎めいた老婦人、蕗子を演じている。

「ほんとうに蕗子は不思議な女性で。わたくしは坪川監督に『桜の精みたいな役ですね』とお返事した記憶があります。

 これまでいろいろな作品に出演してきましたけど、それこそいままで演じたことのない役で。

 演じたことのない役というのは、やはり挑戦してみたい。ですから楽しみにしていました」

「モルエラニの霧の中」より
「モルエラニの霧の中」より

蕗子は人の記憶の中に存在し続けるような人物

 こう語るように、蕗子は、この世に実在するようにも、すでにこの世にはいないような存在にも映る。

「亡き夫に代わって、とある場所にある1本の桜の木を守っている。毎年、その桜が咲くころになると、写真館に現れる。

 大杉さん演じる写真館の主人、幹夫さんもそのことを心得ている。

 人の記憶の中に存在し続けるような人物で、みなさんにはどう映るのかなと思っています」

 撮影は、その桜が咲き誇る時期に実施。そのすばらしい光景は、実景でありながらどこかファンタジーの世界へ誘われるほど、この世のものとは思えないほど美しく眩い。

「撮影は、人ではなくて、あくまで桜中心(笑)。

 『今、一番きれいに咲いているので来てください』と連絡が入って、おうかがいしました。

 確かゴールデンウイークの5月5日だったと思います。

 現場について、すぐにヘアメイクをして、桜のシーンに臨みました。

 あの桜のある場所はほんとうに不思議なところで、あの桜が1本だけでまわりに木はない。

 あの場に立ったときは、桜の木と対話するわけじゃないですけど、一対一で向き合ったような不思議な感覚になりました。

 『今日が一番きれいです』とみなさんおっしゃっていて、ほんとうにまたとない瞬間にあの場に立てたことにいまは感謝しています」

「モルエラニの霧の中」メイキングより
「モルエラニの霧の中」メイキングより

大杉(漣)さんと、短い時間でしたけど、ご一緒することができました

 そうした場所に立ったこともあってか、今回の作品は「生命」を感じる場になったと明かす。

「あの桜の木がすべてを物語っていると思いますけど、人間も、木や花も、動物も等しく命があって一生懸命生きている。

 心に余裕がないと、花をめでたりといったなにかを慈しむ心を忘れがち。

 今回の作品を通して、そういう心を忘れたくないなと改めて思いました」

 劇中では、先にも出てきたように大杉漣と共演。意外だが、二人の共演は今回が初だった。

「ほんとうに短い時間だったんですけど、ご一緒することができました。

 『これから美味しいものを食べるのが楽しみです』とおっしゃっていて、お元気だったのに…。ほんとうに残念です」

「モルエラニの霧の中」メイキングより
「モルエラニの霧の中」メイキングより

演じる悩みはいまも尽きないです

 もう説明する必要もないが、キャリア70年を超す、映画界のレジェンドといっていい存在。いま演じるということとどう向き合っているのだろうか?

「いまも悩みは尽きないです。

 今は、たとえば、ある古い家にずっと暮らしてきた人を演じることがあったとします。

 その家で長く暮らしてきたということは、それだけ多くのときをそこで過ごして、その上で、いまのその人がある。その人にはそれだけ背負ってきたきたものがある。

 ですから、その現在に至るまでの過去までをしっかりと出せないと、その人物を表現したことにはならない。

 かつらをかぶって、衣装を着て、それなりの容姿になれたとしても、やっぱりずっとこの家に何十年も生きてきたっていう過去を感じさせなければダメだと思うんです。

 長く生きてきた人間の年輪をきちんと醸し出さないといけない。これが難しい。若いときには求められなかったことが今求められる。

 どういう人生を送ってきたのか感じてもらうにはどう演じればいいのか、悩みます

 よくお話するんことなんですけど、NHKで『蔵』という連続ドラマに出演した際、新潟の古いお屋敷で撮影したんです。

 私はその家でずっと暮らしてきた祖母の役だったんですけど、やれることはやったもののそこで長年住んで生きてきたという感じが出せているのか、自信がなかった。

 その家に自分を馴染ませようといろいろとしていたんですけど、そのとき、仏間があったので、お参りさせていただいて手を合わさせていただいたんです。

 それで、その部屋から出ましたら、その家に長年務められてきた年配の女性の方2人に、『奥さまが出てきたと思った』と言われたんです。

 それですごく安心したんですけど、このときに、自分がこれから演じる長い年月を生きてきた人間は、そういう生きてきた年輪を感じさせなければと思ったんです。

 そういう若いときとは違う難しさを毎回感じながら現場に立っています」

ここまで女優業を続けるとは思っていませんでした

 最後に大変失礼な質問になるが、ここまで女優業を続けると考えていたのか訊いた。

「まったく考えていなかったですね。でも、なんだか長くなってしまいました。

 まだ若いときに、成瀬(巳喜男)監督にこう聞かれたことがあるんです。『君はおばあさんになるまで女優をやってるの』と。

 そのときは、やっぱりそういう気持ちでやらないといけないのかなと思って、よく考えもしないで『やります』とお返事したんですけど、こんなに長くやれるとは思いませんでした。

 いまも続けているのが自分でも不思議です」

「モルエラニの霧の中」より
「モルエラニの霧の中」より

「モルエラニの霧の中」

サツゲキ(札幌)、ディノスシネマズ室蘭(室蘭)にて公開中。

5月7日(金)より シネマアイリス(函館)、 福岡中洲大洋(福岡)

5月22日(土)より ほとり座(富山)、6月18日(金)より シネマ・クレール丸の内(岡山)、

6月21日(月)より ガーデンズシネマ(鹿児島)にて公開予定。

詳しい上映劇場は公式サイトにて http://www.moruerani.com/

筆者撮影を除く写真はすべて(C)室蘭映画製作応援団 2020