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完成まで5年、公開まで2年。いま航海に出た214分の大作「モルエラニの霧の中」の舞台裏を語り尽くす!

水上賢治映画ライター
「モルエラニの霧の中」 坪川拓史監督(右)と草野康太(左) 筆者撮影

 2011年に東京から故郷である北海道室蘭市に移住した映画作家、坪川拓史が、出会った地元の人々からきいた逸話を元に、実際にその場所で、ときに本人も出演者となって撮影した映画「モルエラニの霧の中」。

 完成まで5年の歳月がかけられた本作は、コロナ禍による劇場閉鎖の影響も受け、そこからさらに2年の時を要していま公開を迎えている。

 本作に携わった各人に登場いただきその作品世界に迫るインタビュー特集。

 第3話 夏の章/港のはなし「しずかな空」の出演者、菜 葉 菜のインタビュー(前編後編)に続いては、先日、命日を前に大杉漣との思い出を語ってくれた坪川監督と、第4話 晩夏の章「Via Dolorosa」で主演を務める一方、助監督、小松政夫さんの付き人(?)も担当した俳優の草野康太に再びご登場いただき、2回に分けて主に舞台裏の話を訊く。

「坪川さんの作品に出演するのならば、演じる前にまず現地の室蘭に行きたい!」が、小松政夫さんの付き人をやることに

 まずは2人の出会いの話から。

草野「坪川さんと最初にお会いしたのは十数年前のこと。僕は、監督の作品『アリア』を横浜のジャック&ベティで見て、とてもよかったので思わず話しかけたのが最初の出会いでした」

坪川「『美式天然』じゃなかったでしたっけ?」

草野「違って『アリア』が横浜黄金町映画祭で観客賞を受賞したときです。僕、1票入れたんですよ」

坪川「ありがとうございます」

草野「そのとき、僕の方から飲みに誘ってご一緒したのが最初の出会いでした」

坪川「声をかけられたときのことは覚えてます。なんか近づいてくる人がいるなと思って、ちょっと怖かった(苦笑)」

草野「その翌年、東京国際映画祭で、僕は出演した映画が、坪川さんは監督した作品が上映されてまた再会して。そこからけっこうな歳月が流れて、もう5年ぐらい前になると思いますけど、久々に連絡があって『いま、室蘭でこういう映画を作ってる、参加しませんか』といったような話をいただきました。

 で、その間に3本ぐらい坪川さんは完成された映画があって、それをみてほんとうに号泣したんですよ。

 それで、坪川さんの作品に出演するのならば、演じる前にまず現地の室蘭に行きたいと思ったんです。

 で、出番がないときから、現場に入らせてもらうことになった」

坪川「そして、重要な任務としてお願いしたのが、小松政夫さんのお世話係といいますか。小松政夫さんが1人で来ることになったので、羽田空港で待ち合わせをして一緒に室蘭にきて、最後に羽田空港に到着して別れるまで、小松さんと寝食を共にすることになった(笑)」

草野「そうですね。小松さんが1人で室蘭に入るから、一緒に来てくれないかと坪川さんに頼まれて、付き人のようなことになってしまいました」

「モルエラニの霧の中」第4話 晩夏の章「Via Dolorosa」より
「モルエラニの霧の中」第4話 晩夏の章「Via Dolorosa」より

いい意味で出演した感じがあまりないんです

 こうして草野は助監督、小松政夫さんの付き人(?)も担当しながら、第4話 晩夏の章「Via Dolorosa」では主演を務めることになった。

 晩夏の章の成り立ちを坪川監督はこう明かす。

坪川「僕は脚本書くとき、俳優さんも決まってないと書けないんです。決まっているというか、自分の中で勝手に知り合いでもないのにある俳優さんを想定して勝手に書くんです。ようはあてがきです。

 なので、草野さんとお会いして以来、ずっと草野さんを想定して書きたいなと思っていた。

 それから何年も経ってしまったんですけど、こういう形になりました。

 ただ、当初はもっと長い章の予定だったんです。けど、それは次回へのお楽しみに持ち越しにすることにしました。

 なので、今回の『モルエラニの霧の中』で晩夏の章は、一番短い。でも、前半のパートと後半のパートを結ぶ橋渡しの章になる重要なパートで。草野さんには重要な役割を担ってもらいました」

草野「結果的に、出演時間は短いんですけど、前半と後半をつなぐ役で、かつ前半の撮影パートと後半の撮影パートをつなぐ役割でもあることは認識していました。

 ただ、スタッフとして映画に参加していたので、変に力むこともなく、自分でも驚くくらい自然に作品の中に入れたんですよね。

 だから、いい意味で出演した感じがあまりないんですよ。

 前の日まで助監督をやっていて、その前夜は大塚寧々さんと中島広稀くんをとにかく東京に帰さなくてはいけないミッションがあって、奔走していた(笑)」

坪川「ばりばり助監督です」

草野「結構ヘロヘロになって、ほんとに。とりあえず少しだけ寝て、朝起きたらそのまま第4話 晩夏の章『Via Dolorosa』の撮影に入った感じでした」

 ほんとうに草野は裏方としていろいろとフォローにまわっていたという。

坪川「スタッフの人数が少ないので。草野さんにスタンドインしてもらうことが何回もあったよね。

 それで、草野さんに立ってもらうんですけど、カメラマンと一緒に『なんか画になるから、このままカメラ回しちゃおうか』とそのたびに言っていました」

草野「助監督をやったといっても、現場にいたほかの助監督さんが僕もよく知ってる人だったりしたから、やりやすかったし、そこに助けられたところが多分にあると思います。

 たぶん、ほかのメンバーだったら怒られっぱなしだったと思います」

坪川「いやいや、いやいや。そんなことはないですよ」

「モルエラニの霧の中」メイキングより
「モルエラニの霧の中」メイキングより

草野「でも、ほんとうにいい経験になったので、ほかの現場でも入らせてもらえないかなと思っています。何で今まで逆にやらなかったのかなと今思っています。

 それこそ、自主映画にも多く出演してきたので、チャンスはあったのに、なぜかこれまでは俳優部でとどまっていた。

 坪川さんのおかげで、いま新しい映画との関わり方をみつけられたと思っています」

坪川「草野さんが献身的に作品に関わってくれたこともあって、晩夏の章を撮るときは『やっと俳優としての草野さんを撮れる』という気持ちがありました。

 これは僕だけじゃなくて、カメラマンもスタッフもみんなうれしくて、『あ、やっと、やっと回せるよ。スタンドインじゃなくて、本人として回せる』と喜んでました」

草野「そして、僕の出番の撮影が終わったら、小松さんが現場に入られて、またスタッフに逆戻り(笑)」

坪川「草野さんがこの映画の出来具合に少なくない影響を与えていることは間違いない。

 僕もやっぱり、ずっと横にいてくれて、かなり助けられました。『草野さんのおかげ』ということがこの映画にはたくさん入っている。

 草野さんはキャリアも豊富ですべてのことに目が行き届くというか。俳優目線のこともわかるし、スタッフワークのことも熟知している。ほんとうに一流の役者さんがスタッフとして横にいてくれるなんて、通常では考えられないわけで贅沢させてもらったと思っています

草野「そうであったらうれしいです。

 いや、長く俳優として映画に関わってきましたけど、今回、初めて自分は出てないんだけど、『僕は確かにここにいたんだな』と思いながら映画を観ることができたんですよ。

 『このシーンはこんなことがあったな』とか、『ここは下準備でこんなことをしたな』とかいろいろと思い出され、なんとも言えない感動があって、『スタッフさんが映画を観る感動ってこういうことなのかな』と思いました

 あと、小松さんは僕がこの映画に出演してることを知らずにお亡くなりになってるので、どう思ってくださるのかなと考えます

坪川「いい助監督がいたなと思って、むこうでいつか来る日を待っているかもしれない(笑)」

草野「いいやつがいたんだと待ってくれているかも。

 一応、自己紹介もして、昔、共演もさせていただいていたので、その話もしたんですけど、完全にスタッフだと思われていた(笑)」

坪川「『君、芝居もするのか』みたいな感じでしたよね」

草野「そうですね。

 小松さんはカセットレコーダにセリフを入れて、それをもとにセリフを覚え、芝居を作っていくようで。

 初日に、使い馴れたカセットレコーダーが壊れて新しいものを買ってきたのだけれど使い方が分からないと小松さんから早速連絡が入った。

 そのカセットにセリフを録音するところから始まって。セリフを入れたら今度は『聞けない』と連絡が入った。

 そんなことをやってせっかく録音の仕方、聞き方もクリアしたのに、それを現場にもってくるのを忘れちゃって、少しセリフに不安が残る。

 それで急遽、一応、カンペを作ったりもしました」

坪川「小松さんも、草野さんがいてくれたから安心して自由に撮影に望めた気がします。

 僕は今回の小松さんのすばらしい芝居は草野さんとともに作り上げられたと思っています」

草野「ですかねえ」

「モルエラニの霧の中」メイキングより
「モルエラニの霧の中」メイキングより

小松さんは、ちょっと逝くのが早いです

 今は亡き小松政夫との「モルエラニの霧の中」の現場で過ごした時間は、二人の中にいまも深く刻まれているという。

坪川「例えば、奥さんにご飯をたべさせようとするシーンがありますけど、あのシーン、 小松さんが『食べないのか』といって、自分で食べちゃう。

 あれは、100パーセント小松さんのアドリブ。

 事前に、小松さんには、『何としても食べさしてください』といってあって、奥さん役の桃枝俊子さん(市民キャスト)には、『絶対に食べないでください』と伝えてあった。

 それで『用意、スタート』って回したら、ああなった。すごい瞬間を目撃したと思いました」

草野「そのシーンを含め、撮影中に僕も何回かぐっときました。

 僕が一番覚えているのは、港で車いすの奥さんと並んで傘をくるくる回すシーン。あの傘を回すのも小松さんのアドリブなんですよね。

 あのとき、ずっと坪川さんはカットをかけずに回しっ放しにしてて、その坪川さんの演出もすごいなと思ったんすけど。

坪川「くるくる回すところは、本編は最後切っちゃったけどね。あの2人の後ろ姿がすばらしくてずっと撮っていました。

 おそらく5分以上回している。小松さんの傘の位置が微妙に美しくなくて(苦笑)、はじめは『傘を持ち替えろ、持ち替えろ』って小松さんに念を押していた。

 そうしたら、背中なのにどういう旦那さんかが見えてきて、いやあ、あれは切れなかったですね。気づけば、5分ぐらい経過して……。

草野「遊び始めたんですよね」

坪川「そう、飽きちゃって、傘で芸をし始めちゃった。それで、ますます止められなくなった。

 使わないんですけど、一応音声を録っていて、ピンマイクで僕は聞いていたんですけど、ずっと愚痴を言っていました(笑)。

 『カットしないな。監督は長いんですよ』とか言って、演技しながらずっと愚痴ってました。

 小松さんは僕の全作品に出演してもらっているんですけど、毎回止めどころがないぐらい面白い。

 小松さんは、『次は何だ、何だ』と『モルエラニの霧の中』が始まる前から言ってくれて。次は室蘭で撮ろうと思っている話をしていたあの頃、ほんとうに電話で3時間とか4時間とか、次は『こういう役をやりたいんだよ』と話し込んでいたんです。

 『モルエラニの霧の中』の後も、次の企画考えた分でいいから教えてくれと言われて、こういう役を考えていると伝えてあったんです。

 だから、ちょっと逝くのが早いです」

(※後編へ続く)

「モルエラニの霧の中」

サツゲキ(札幌)、ディノスシネマズ室蘭(室蘭)、名演小劇場(愛知)、

MOVIE ON やまがた(山形)、フォーラム仙台にて公開中。

4月10日(土)より名演小劇場(愛知)、4月17日(土)より 横浜シネマジャック&ベティ(神奈川)にて公開

詳しくは上映劇場は公式サイトにて http://www.moruerani.com/

<イベント情報>

横浜シネマ・ジャック&ベティにて

4/18(日)12:35の回、

休憩後の後半4編は生伴奏付き上映(予定)。

演奏者:

坪川拓史監督(ピアノ、アコーディオン)、

清原桃子(ヴァイオリン)、

窪田健策(パーカッション、グロッケン)

※別日でも舞台挨拶予定あり(詳細近日決定)

筆者撮影を除く写真はすべて(C)室蘭映画製作応援団 2020

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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